3日
土曜日
盆から先ゃポーランド〜
ええ、そうですね、七月十三日から東欧の方に行っております。朝、8時起床。体力、漸くに回復。入浴、洗髪、髭剃り。カミソリを持ってくるのを忘れていたので、洗面所を探して、サビの浮いたような古い安全カミソリを二つ、見つけ出して交互に用いる。親父が病中に、髭剃りに使ったものであろう。実家に帰省する際にこの十数年、ハミガキ・髭剃りの類は持ってきたことなし。これは、私の父の困ったクセで、出張などでホテルに泊まると、そこの備品のハミガキセットや髭剃りセット(一人部屋でもたいてい二つくらい備え付けている)を全部持ってくる習慣があったためである。かと言って家ではそれを使うわけでなく、専用のハミガキや髭剃りがあり、そのためにそういうものが我が家の洗面所にはたまりまくっていた。帰省するたびに、それを用いていたわけである。親父が寝込み、死去し、それらの歯ブラシやシェービング・セットの山が残された。それでも一年くらいは残ったそれで十分に用が足りていたのだからいかにその数があったかがわかるが、母の東京転居が決まり、もともと片付け魔の母が、それらを一斉に始末した。とたんに、探しても一本もなくなって、私が大いに困ることになった(歯ブラシは元旦に近くのコンビニで買った)。今でも、ホテルに泊まってそこのシェービング・セットを見るたびに、父のことを思い出す。
朝食は昨日のお粥の残りを、ちょっと中華風にしたてなおしたもの。これがなかなかうまい。これに油条があればそのまま香港や台湾の朝飯である。しかし、食べるとまだちょっと、胃がチクチクする。今日一日はおとなしくしていようと、食べてまた横になる。
母は年賀状をやっと書き出している。私はその横で、沖縄の中笈木六さんに録っておいてもらったDVDを見る。時代劇チャンネルの『琴姫七変化』。沖縄ではいまだにこのドラマの主演の松山容子の写真が箱に印刷されているボンカレーが売っているから、沖縄人には録画しておきたくなる番組なのかもしれない。1960年、23歳の松山容子の美しいこと。当時の美人の平均からすると顔が長すぎるかもしれないがそのために男装が似合うし、かえって今見てもキレイだなあ、と思わせる。男性顔まけの強さを見せる姫のウィークポイントが世間知らずということで、何かというと
「無礼者、許さぬぞ!」
と言うのがいい。この決まり台詞にしびれて、M趣味になった男性たちも多いのではあるまいか。
話もまた、おもしろくておもしろくて。演出は当時のものだからタルいのだが、全ての場面、全ての展開が、ただただ主演の松山容子をキレイにカッコよく、しかして可愛く撮ることに集中しており、変なリアリズムやストーリィ性に毒されていない。これが正しい娯楽作の主人公のあり方なのである。当時のこととてマイナーな役者ばかりで、ほとんど知った顔がいないが、琴姫を追いかける大名のドラ息子三人衆(この設定がうまい)の中間の一人の役で、『仮面の忍者赤影』の紅影役や、『白獅子仮面』の目明かし一平役っをやって印象的だった千代田進一が出ていた。松山容子の顔は、も少し丸めれば声ちゃんに似ているな、と思う。しかもコスプレで七変化だし。中野貴雄あたりに『声姫七変化』というのを撮らせたらどうだろうか。
K子はまだマンションの件で母と談合。あまり彼女の口調がキビシイので、母も、“もうどこでもいいから!”などと言っている。一昨日、チカ子さんが“方位的にはここが最高”と太鼓判を押した笹塚のマンションは、平成17年入居開始、であったのでダメとなった。K子、ずっとやっていたポーランド語のカード作りの単語カードがなくなったと言って、大通まで買い物に出る。
昼はK子の戻ってくる前に、大晦日の残りのソバで。K子には梅干しのおむすびを作る。K子帰ってきてそれを食べるが、おつきあいにと、私も一個食べてしまう。腹具合は悪いが食欲はあるのである。これでは痩せないか。家の風呂場の脱衣場にある体重計ではむやみに痩せたような数字が出るが、まさか二日で5キロ近くも痩せないだろうから、これは信用できない。
琴姫見終わり、あと同じDVDに入っている『モスラ』なども見る。その後しばらく、また布団で休む。8時、夕食。ゲラッチさんのポーランド土産のニシン酢漬け、ビーツのみじん切りを使ったボルシチ。つけあわせのザワークラウトは、あのつさんのキャベツで作った自家製。禁酒開けて、ただしまだ軽くワインを数杯、缶ビール小一缶。K子は飲み足りないらしく、母に餃子を焼いてもらっていた。私は食うとまた胃がシクシクしてきたので、母がスーパーで買って来た胃薬をのんで(薬局の実家なのに我が家には薬がほとんどない。みんな健康なんである)、ソファにごろりと横になって休む。10時前には二階に上がって就寝。なんと健全な正月。