裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

20日

火曜日

アロマ天狗

 杉作、おじちゃんはね、フェチビデオが好きなんだよ。朝7時40分起床。朝食ソバ粉焼き。民主党古賀議員の学歴詐称事件の報道。およそ世の中で議員という職業くらい、プライバシーを洗いざらいかき出されてしまう職業もないのに、どうしてスネに傷持つ身が立候補しようと思うか、そこが不思議。それにしても、これでもし山崎拓復帰となったら、われわれがどう下からワイワイつつこうと、天意まさに自民党に あり、ということであろう。

 元ナンビョーサイトのえふてぃーえるさんから、自分もホンコン焼きそば食べたとのメール。大阪・なんばパークスの麺テーマパークみやげ物店で買ったらしい。新中野のマンションの庭ならちょっとしたバーベキューセットが置けるから、今度北海道 から箱買いして取り寄せ、ホンコン焼きそば大会を開くか。

 あとがき原稿アゲて9時半にメール。これで五冊同時進行のうち、二冊(と学会本とミリオン猟奇モノ)が終了。ふう、と息をつく。そのあと、やっと届くようになったMLでやりとり。打ち合わせの日取と場所の相談。札幌からクルミ届く。家のクルミもこれが最後かと思うとちと寂しい。売っているものより油分が少なく、さっぱりしていていくらでもつまめた。植木不等式氏の日記でこの日記の“だってナムアミダが出ちゃう、浄土宗だもん”が絶賛されていて嬉しい。あれは朝、寝ぼけた頭で布団の中にもぐっていたときに天啓のように頭に浮かんで、“やたっ!”と思って飛び起きた会心の出来のシャレであった。……もっとも、後から客観的に考えてみると、も少し手を加えた方がよかったかとも思えてくる。“門徒の子だもん”とした方が元ネタに近かったか、とか。とはいえ、“浄土宗だもん”の方がインパクトはある。また何度か口のなかでつぶやいているうち、あ、違った、“だって”じゃなく“だけど” だった、と気がつき、修正。

 ワニマガネタ原、ばきばきと。2時打ち合わせがあるのでそれに間に合わせるべく急いだが、結局メールで編集部に送れたのは1時50分。講談社Yくんとの打ち合わせ。出かけようとしたら、Yくんから少し遅れると携帯に電話入ったので、急いで卵かけ飯を一杯、カッコむ。それから時間割。新連載のネタは年末の忘年会(於『和の○寅』)で提出しておいたのだが、講談社のシステム変更と販売の担当者の異動で、少し方針を変えましょうとの打ち合わせ。Yくんの出したアイデアに、こっちでそれ聞いてひらめいたアイデアを付け加えたら、かなり面白そうなものになりそうな、こちらでノレそうな企画案が浮かんだ。Yくんに託して、会議にアゲてもらうことに。

 帰宅、そのままワニマガネタ原、次の章。これがサクサク行きそうでいかない。有名人ネタなのだが、どこまでを有名人と言えるか、読者(レディース系女性)の基準がわからんためである。結局、3時に帰宅して書きはじめ、ネタ16本を出せたのが 5時半。何か、能率が極めて悪い。

 そこから神保町。カスミ書房行き、ちょっとお願いごと。先日の『よくわかる現代魔法』は、無事重版になったとのこと。SFマガジンでもタニグチリウイチが取り上げたそうなので、そっち方面にも評価されるといいですね、などと話す。雑談、しばし。と学会東京大会のこと、松文館裁判のこと、古書店に流出した某大家の原稿のことなど。大手は管理がきちんとしているので原稿が流出することなどないだろう、と考えるところだが、金にさえなればこの世の中、どんなものでも流通するのだな、と 改めて思う。

 6時半、辞去。丸の内線で池袋まで出て、シアターグリーン閉館記念公演『非常怪談』観劇。方向音痴な私はシアターグリーンに行く道筋、毎度必ず“アレ、ここでよかったか?”と首を傾げていたが、もう完璧に記憶して、地図などなくてもサッサと行ける。行けるようになったと思ったら閉館である。世の中そんなもん。受付にうわの空一座のツチダマさんと小栗由加さんがいる。招待扱いにしていただく。ありがたし。今年は小栗さんに年賀状出したんだけど、帰ってきてしまった。寒中見舞いで対 処するか?

 閉館記念公演ということで、このシアターグリーンでこれまで公演を行ったさまざまな劇団のメンバーが一堂に会して出演している。私が知っているのはうわの空から参加している村木さん(それとうわの空にゲスト出演したキクチマコトさん)だけなのだが、イチゲンであっても、ベストメンバーが集まっているな、とちゃんとわかる濃縮された演技合戦だった。私が最近観ているお芝居とは、感じがだいぶ違うものだが、これには圧倒された。巧い役者をそろえて、しかもそのほとんど全員に見せどころを作っているのだから圧倒されるのも当然か。見せどころが多すぎて、ハナシの流 れが終盤にいたるまでよくわからなかったのだけれども。

 主人が死んで通夜が行われている家の台所が舞台なのだが、このセットが凄い。かなり金がかかったのではないかと思うのだが、本物の流し、ガス台、冷蔵庫などが備え付けられており、ちゃんと蛍光灯がつき、冷蔵庫の中にも庫内灯がついている。蛍光灯はクライマックスでチカチカ点灯したりまでする芸当を見せる。水道からは蛇口をひねると本当に水が出て、柱時計は裏から操作するのだろうが、振り子が普通に動いていながら、場面転換のたびに針が動く。ガス台は、これはさすがに本当に火は付かないが、なんと、鍋で酒の燗をつけていて、お湯が沸騰すると、チン、チンと徳利がぶつかり合って音を立てる。ここまでリアルに凝った装置は初めてみた(舞台美術 はステージ・ファクトリーの田村圭司)。

 そして芝居も、通夜で親類縁者、ふだんあまりつきあいのない人々が一つ屋根の下に集まって交わされる、多少の食い違いはあるけれども極めて日常的な会話や行動を淡々と描く。冒頭からテンションのやたら高いキャラクターたちがどんどん突っ走っていくうわの空の芝居とは対照的。その中にあってわれらが村木藤志郎、さすがに自分の劇団での芝居に比べれば演技のディフォルメを抑え気味とはいえ、他人の思惑を考えず傍若無人に自分の意志を押し通すことに何の疑問も感じていないキャラ(映画『お葬式』の大滝秀治の役どころ)、という自分の持ち役を楽しそうに演じている。ヨソの劇団の芝居(この『非常怪談』は劇団ジャブジャブサーキットの看板戯曲だとのこと)に見事に調和して、しかも数パーセントの異物感はちゃんと残して、“村木の芝居”を期待して観にきている客を裏切らないあたり、プロである。とぼけているのにどこかミステリアスなモスグリーンの服の男を演じたキクチマコトも、以前うわの空に客演したときとは全く違った演技で、幅のある役者さんなのだな、と感心。

 とはいえ、やはり今回の舞台は、すでに過去、今回と同じ役を演じている二人の女優さん、荘加真美と桑名(一色)しのぶのモノ、と言って過言ではないだろう。それくらい、この二人の演技と存在感は凄かった。荘加真美はまだ若いのだろうが、見事に、舞台の上に、“どこにでもいる田舎の親戚のおばさん”を現出させるし、故人の娘だと名乗って謎の行動をとる美女、桑名しのぶの、クライマックスの表情の演技には、本当に驚愕で座っていた席から数ミリ、体が飛び上がった。特殊メイクに頼ってホラー映画で怖い役を演じている映画女優たちは、少し彼女の爪のアカでも煎じて飲んだ方がよろしい。ラストを〆る彼女のセリフも、猟奇的でありながら、たまらなく 切ない。

 限定された空間で行われる小劇場芝居の、これはひとつの完成型のような脚本(はせひろいち・作)だと思う。小さなセリフのひとつひとつ、戸のあけたての順番ひとつひとつに全部意味があり、その後の展開に結びついていく。書き上がったときから古典となる条件を備えている、見事なものだ。大感心する。ただ、あまりに緻密な作りが、観客の方に、自分なりの楽しみ場所を見つける自由を奪っていることも(贅沢な文句ではあるが)事実である。先に“終盤まで話の流れがよくわからなかった”と書いたが、クライマックスで全てがつながってくるとはいえ、そこまではただ、振り回されっぱなしで、混乱するばかりであり、客が余裕を持つことができないのだ。うまい役者ばかりの芝居で、これはもったいない。たぶん、マニアはこの芝居、何度も観に行くと思う。一回目より二回目、二回目よりは三回目の方が、細かな意味を見つけられ、“演劇好き”なファンには楽しめる作品だ。しかし、私含め、ほとんどの、生活に追われる一般人にとり、ひとつの舞台は一期一会なのである。初見の観客や、単に役者さんの追っかけで来ているミーハーなファンにも十分にさまざまな楽しみ方が出来る工夫をしてもらいたいというのは、無理な注文ではないと思う。

 9時15分終演。非常に簡単に村木さんに挨拶し、出て、JRで新宿まで。埼京線に飛び乗ることができ、これはラッキー、と思ったが新宿どまりだった。仕方なくそこからタクシーで中目黒。すし好でポーランド後教室終えたK子と落ち合い、夕食。芝居のハネ時間と、中目までの所要時間、はかったようにピッタリだったのが凄い。カレイ、甘エビ、ワカメつまみなど。“今日はおすすめは何?”“白子ポン酢がありま……”“嫌い!”“じゃあ、アン肝が”“大嫌い!”“……じゃあ、生ガキは?” “……ちょっと嫌い”と、K子如例。職人さん苦笑しっぱなし。

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