裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

土曜日

ぎんぎんぎらぎら、ナルシズム

 みんなのお顔も真っ赤っか、それでも僕だけ美しい。朝8時30分起床。ゆうべ遅かったので、少し朝寝坊。夢で、自分がなにやら凄まじい虚構の人生を送ってきた男で、それを暴かれるという、『飢餓海峡』みたいな夢を見る。朝食、蒸かしサツマイモ。ゆうべロフトでIPPANさん・談之助さんと相談した、と学会東京大会の前夜祭(トンデモ寄席)の件をいろいろメモするなど、午前中の時間は雑用に消える。

 ネットでイングリッド・チューリン死去の報。ベルイマン映画の名女優、ではあるのだが、そこらの作品は教養としてフィルム・センター等で観たものが多く、リアルタイムとしては『カサンドラ・クロス』(76)の怖い顔した女医のおばさんとか、『ナチ女秘密警察・SEX親衛隊』という凄いタイトルで当初は洋ピンとして公開された『サロン・キティ 鉄十字の愛人』(76)の怖い顔した高級娼婦館のおばさん とか、とにかく怖い顔したおばさん役と言えばこの人、であった。

 遅れている原稿は多々、なのだが、と学会本新刊(二冊分)の原稿がまだ9冊分ほど残っている。遅れて迷惑をかけるのはどの本も同じだが、この本は私の他に6人の執筆者がおり、迷惑をかける人数が一番多い。これを最優先にするというのはバルカン人的合理思考からミスター・スポックもお許しになるだろう、とこれにかかる、編集H氏からは原稿最終〆切が示される。ひょっとして間に合わぬかも、と思い、緊急時用の原稿をストックものから見つけて三本選定。前置き等の手直しをやって、これ をアップしておく。

 昼に雑用あって青山。紀ノ国屋で朝食用の牛乳や果物など買い物。コミケでも畸人研究の今さんとこの話題を話したが、いよいよここ、建て替えだそうで、移転のお知らせ発表。2月いっぱいで閉めて、2年半の間は神宮前の方に移るそうだ。総菜売り場にエビの塩焼きが安く売っていたので、鶏挽肉、卵などと共に買い、家で昼食を作る。去年の12月11日の日記に、『ブレードランナー』でデッカードが食っていた丼の話を書いたが、あれをいささかアレンジしたもの。飯の上に千切りにしたレタスと煎り卵、鶏そぼろを乗っけて、その上にエビを二尾、デンと置く。デッカード丼と でも名付けて売り出せばどうだろう。味もなかなかよし。

 3時、中野駅南口でK子と待ち合わせ、おとつい行ったライオンズステージモデルルーム展示室。今日はこないだの人の上司の人が出てきた。送迎のバンで現地へ。私が物書きと知って、いろいろ話しかけてくる。彼はこの会社で販売主任にまで出世し ているのだが、実は文筆家志望だそうだ。
「休みの日などを使って、いろいろ文章を書いてみるんですが、なかなかプロの人のようにうまくは書けないものですね」
「イエ、うまく書く必要はないんです。へたはへたなりのニーズがこの業界、あるんです。ただ、TPOに合わせた一定の質の文章をコンスタントに書き上げる、というのが最もプロとして望まれる資質なんです」
 と、エラそうなことを言うと、K子が
「〆切に間に合わせることができればどんなへたでも向こう(編集者)は喜ぶの!」
 とミもフタもないことを。〆切いろいろ送らせている身として、少し体を縮こまらせる。呵々。

 現地到着。まだ内装工事の真っ最中であるが、かなり大きな、団地みたいな感じのマンションである。同じ間取りの部屋で今、開いている一階と二階の部屋を見せてもらう。一階はウン百万二階より高いが、これは庭がついているため。だが、庭より収納スペースの多いことが気にいった。要するに床収納ができるのである。笑ったのは和室で、畳一畳ぶんの収納スペースがあるのだが、電気仕掛けで、スイッチひとつで畳がガチャ、と開く。忍者屋敷みたいだ。K子が“まあー、死体が隠せるわね”と、 普通思っても口にできないことをすぐ言う。

 プライバシー保護のため、高い塀がめぐらされており、眺めは上階の方がいいだろうが、何より入り口のすぐ隣、表までの距離が近い。出かけるに便利だし、新聞を寝間着のまま、エントランスに取りに行けるのがいい。防犯が気になるが、主任さんの話では(すでに販売開始からある程度過ぎて、FAQも出尽くしているとみえ、何を聞いても“ハイ、それはですネ”とスラスラと答えてくれる)マンションで最も盗難にあう危険が多いのは最上階とのこと。一階は、人の視線があるために、まず狙われない、という。また、ウチのお袋はそそっかしいので、セコムをセットして出て、すぐ忘れ物とかで取りに帰り、うっかり通報されてしまったらどうしましょう、と言うと、イエ、それは電話がすぐ鳴るので、とって間違いと言えばいいんです。気にしないでください。セコムへの通報の9割がそういう間違いなんです、と。

 二階の方も見るが、やはり一階の便利さを見てしまった後ではちょっと、という感じ。K子、ここにしましょう、ママも大丈夫、ここで満足、とすぐ決断。これは、このあいだ、この部屋の説明を受けたときに、実はこの一階は、一度見にこられて、決定を少し先延ばしにされているお客様がいらっしゃる、という話を聞いていたためと思われる。そういうことになると、彼女は燃えるのである。携帯で母に電話し、決めたから、と報告。K子、値段のことになって、“大丈夫、ママ、いっぺん丸裸になりましょうヨ!”と。その会話を聞いていた担当さん、“お母様というのは、どちらの方の……ああ、ご主人様のですか、それにしては奥様がずいぶんフランクに話されますねえ”と驚いていた。“お母様はおいくつですか”と訊いてくるので、“69歳で すが”と答えると、
「ああ、そりゃまだずいぶんお若いんですねえ。なら、あと30年はウチにお住まいいただけますね」
 との答え。ふんふん、と聞いていたが、後で考えると30年なら99歳!

 周辺の環境を見る。このマンション、これだけ巨大な建物をドンと建てられたというのは、周辺が未開発地域であったということ。こう言っては何だが、すすけたようなアパートばかりである。たぶん、ここ数年でがらりと様変わりをするだろう。気にいったのは、マンションを出て、小道を歩いて、三分とかからずに通りに出られ、そこにすぐ、12時までやっているスーパー、24時間のセブンイレブンがあること。さらにはそのスーパーの真ん前がバス停で、新宿西口まで行く。母はもうバスは無料パスだから、タダで新宿とマンション前まで往復できるということである。これはいい。もっといいのは、地下鉄丸の内線の最寄り駅まで歩いて6分、そこのすぐ近くがパイデザであることだ。知り合いが近くにいるということくらい安心なことはない。パイデザのすぐ前にあった郵便局は、つい最近、移転してしまった。平塚くんがくやしがっていたが、それがこっちのマンションから歩いて四から五分のところなのであ る。母なら、毎日パイデザにお弁当でも届けかねない。

 中野駅まで歩いてみましょうか、と、歩く。こっちはそこから十数分。さすがに足が少しくたびれた。事務所にもどって、契約についての詳しいことを聞く。細かいことはK子にまかせ、フロアに設置されているマンションの模型を眺める。この前、この模型を眺めて
「制作費二○○万はいっているよね」
「エーッ、そんなにかからないわよ、こんなオモチャ」
 とか話していたのだが、私の表情を見て担当さんが
「これ、作らせると金がかかるんですよね、三○○万です」
 とのこと。壁には空き部屋と契約済みの部屋が図示されていて、契約済みの部屋には赤い紙が貼られている。本人がサインする前の簡単な仮契約書に書き込みをする。K子が“じゃあ、次に来たときには赤い紙が貼られているんですね?”と言うと、担当さんがにやりと笑って、どうか壁をごらんください、と答えた。見ると、すばやいことかな、もう赤い紙が“ご契約済み”と書かれて貼られている。買い手の自尊心を 満足させる、心憎い演出である。

 母とそこでも携帯で話し、15日に契約のため上京、と予定を組ませる。いろいろ話しながら新宿まで。そこでK子と別れ、帰宅。アリ原に少し手を入れる。8時半、船山。とりあえず母の住処という問題も進展したし、と乾杯。正月コースで、いろんなものが少しづつ。石焼きも牛肉三切れ、ブロッコリひとカケのみ。メインは白子鍋と、白子雑炊。K子は白子が食べられないので、甘鯛のアラを使った鍋と雑炊。今日は、この店で知り合ったという仲良し二家族が、会食をしていた。お爺ちゃん、酔っ て上機嫌で台湾占領時代の思い出を語る々々。

 10時半、帰宅、と学会MLで名古屋のAさんが、テレビで『アタックNO.1』の劇場版(70)を見たのだが、例の“だって、涙が出ちゃう、女の子だもン“の台詞がなかった、これはひょっとして、女性差別ということでカットされたのでしょうか、と質問。イヤ、あれは映画版の劇伴のオリジナルで、台詞なしバージョンなのです、と返答。数分の差で植木不等式氏も回答していたのが可笑しかった。
http://www.sun-inet.or.jp/~miura/takeo/m69a10.html
↑『アタックNO.1』の音楽についての詳細極まる解説サイト。

 なお、この作品の主題歌には主役の小鳩くるみの歌うバージョンと、大杉久美子のバージョンがあり、小鳩くるみバージョンはごく短期間しか流れていなかったため、こっちのバージョンは幻のものとして、“本放映時には流れておらず、レコードのみの発売であった”と書かれているCDのライナーまで存在し、またLDボックス版では、全ての主題歌が大杉バージョンに差し替えられているということまで行われていた。たかだか69年放映、35年前の作品であっても、アニメの世界というのはここまで資料が散逸・混乱して、当時の正確な状況がわからなくなっているのだ。そこを綿密な調査と徹底した追及で、さすがと言える粘り強い発掘をしてくれているのが、 正義の味方、アニメの味方、データ原口氏。
http://www.ntv.co.jp/ghibli/web-as/05_column/list04.html
↑ここなどを見ると、そのこだわりに、涙が出ちゃう。だってアニメファンだもン。

 アニメの正しい歴史をたどるというのは、実際にはこのように極めて困難で、地道な、一般人から見れば“そんなことどうだっていいじゃない”と一笑に付される、アニメ文化への深い愛情と熱意を必要とする作業なのである(松本清張の『或る「小倉日記」伝』の世界である)。そういう、文化の殿堂を築くための煉瓦一個々々の質を見定めていく作業が、本当の意味での“オタクの正史”を作成していく作業なのだ。正史が必要だ、とこちらが口にするたびに、皮肉のつもりで“じゃあとっとと書いてくださいよ、ホントに”とか言う馬鹿がいるけれど、そういうものがとっとと書ける代物だと思っている段階で、すでにもうダメなのである。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa