4日
日曜日
スラッガーは道真
天神さまは学問の他に野球にも御利益があります。朝、3時ころ目が覚める。覚める際に、なにやら壮大華麗な、オーケストラの音のようなものが耳の奥に大音量で響いた。そのまま布団の中で本を読んでいたが、同じく早く目が覚めて、芦辺拓さんの『殺しはエレキテル』を読んでいたK子がごほごほごほ、と、苦しげな咳をする。東京で12月頭に引き込んだ風邪の、咳が残ってしまった。あまりにごほごほとやるので、“薬をのんだら?”と声をかけると、“鼻炎薬は効きすぎて鼻と喉がキンとして痛いから、のまない”との答え。“でも、苦しいだろう”と言うと“苦しくない!” と一喝。苦笑して黙る他ない。
8時半に起き出す。風呂入り、メールチェック。談之助さんに、キウイのことを訊いたら、“復帰〜いきなり二つ目”コースでなく、お情けの前座復帰だそうである。家元も、こうなったら“クビにはしない、しかし一生前座のまま”として、弟子とかいうのでなく立川流で飼っている珍奇な動物、というスタンスで扱ったらどうだろうか。と、いうか、出世してしまったら、そこでキウイの存在価値はなくなるのでは。
朝食、ジャガイモと大根のサラダ。パンプキンシードのパン。体調はほぼ、回復した。やはり、正月休みを無理にもとらせようという天の配剤だったかと思うことにする。しかし、正月休み中にひとつも仕事をしなかった、ということにはしたくない。モバイルでコチコチと書き始めるが、やはりMacを使い慣れていると、ウインドウズは仕事をしにくい。それに、電波状態が悪いのか、ネットの接続に、昨日あたりからやたら時間がかかるようになり、途中でいきなり落ちる現象も起こるようになる。
昼は手巻き寿司。わが家のお正月料理の定番。なぜこれが定番になったかというと二十年ほど前に、某製薬会社からお歳暮にブリ一尾の丸ごとというのが届き、これを解体して切り身にした後、骨にこびりついて残った身を掻き取って、手巻き寿司にして食べたら父がことの他それを気に入り、そのことを母がその製薬会社のプロパーさんに伝えたところ、毎年のようにブリが暮れになると送られてくるようになったからである。なんでも、会社がブリ贈答をやめた後も、そのプロパーさんが手銭で送ってくれていた、という話もある。そのため、わが家では年中行事で大晦日にはブリの大解体作業が行われることになり(母はこういうことは器用で、自分の工夫で素人でもちゃんとプロなみに綺麗に解体する方法を編み出した)、正月にはブリの中落ちで手巻き寿司を食べるのが習慣になった。今はもうさすがにブリは送られてこないので、 スーパーで買った切り身マグロがネタであるが。
モバイルの調子、まだ悪し。構成のメモをつけ、さてこれから書き出そうという間際になって、文章作成ソフトが使えなくなる。普通ならここで仕事を投げるところであるが、無人島に流されたロビンソン・クルーソーみたいな気分になり、いろいろいじくるうち、一時的書き込み用のメモソフトが内臓されていたので、それを使って書いてやれ、と思いたつ。行数表示も、一行の字数設定も出来ないので、いちいち文字数を数え、行数を数えながら、22ワード×240ラインの原稿(400字詰め12枚)を書く。数字や記号は半角でしか表示されないので、文字数計算があわない。なかなかスリリングな執筆作業である。目がチカチカし、肩はバリバリに張るが、脳内 麻薬みたいなものは盛んに分泌される。
K子は、3時からモモちゃん(薫風堂の娘さん)を連れてきて、アシスタントの練習をさせている。二点透視の特訓。途中でおやつ替わりにゆうべの残りのボルシチが出た。こっちはコチコチと表現したくなるような、小さいモバイル画面をのぞき込みながらの原稿書き。必要な調べものはネットを用いるが、これの読み込みが、一回つなぐごとに遅くなっていく。夜はなじみの古書店さんたちが集うので、7時までには原稿を完成させ、MLに送りつけなければいけない。しかし、そんな状況下にしては サクサクとすすみ、6時にはなんとか完成原稿の形にまとまる。
ふう、と息をつき、いや、しかし時間通りに完成させられたわい、と満足し、さて送信しようとしたが、今度は送信ソフトがつながらない。何度かトライしてやっとつながり、メールを送ろう、としたが、送信の瞬間にフリーズしたりする。時間はどんどん過ぎて、早めに須雅屋さんが来たり、車で来たじゃんくさんと薫風さんにビール買ってくるのを頼んだりして、予定がどんどんズレこむ。あせるあせる。原稿を送るのは明日の朝でも、または東京に帰ってからでも同じなのだが、それでは今日これだけ苦心して書き上げた意味がなくなる。なんとしても今日じゅうに送りたい。こっちが苦しんででいるのを見て、ワキからまた、じっと見ていられないK子や母が口を出すので、つい“黙ってろ!”と怒鳴ったりしてしまう。母はワキでどんどん、食事の準備を始めだす。それでも最後の最後に、なんとか送信成功、のサインが出たときには、爆発7秒前に核爆弾のスイッチを止めることができたジェームズ・ボンドのよう な心持ちになったことであった。
送ってしまうと急に心が広くなって、ワインの栓抜きなどを受け持ち、さて、宴会の始まり。薫風さん父娘、須雅屋さん夫妻(奥さんは逃げ出したインコを籠の中にもどすのに手間取り〜老鳥なので、放っておくとタンスの裏などに落ちて出られなくなる可能性がある〜遅参)、じゃんくまうすさん父娘。じゃんくさんの奥さんは、母親が怪談から落ちて世話をしなければいけないというので欠席。どうしてもうちの料理が食べたい、と、いうので娘の萌ちゃんにジップロックの袋を持たせてよこした。ワインとビールで乾杯、その後、私と須賀さんは日本酒の燗をガブガブ。無事に原稿送 りを乗り切った安堵感で、酒が旨いこと。
雑談はやはり古書のこと。年末の伊勢丹古書市のこと、上野文庫主人死去のこと、マンガ古書市場のことなどさまざま。例の野間宏の文章のことも話すが、さすが古書店さんたちは作家のことに関しては詳しい。料理は今日は中華基本で、北京ダック風鴨、あのつ氏からの白菜の蟹あんかけ、ちまき、エビのマヨネーズ和え、鳥炒め、東坡肉とチンゲン菜、ブロッコリーとイカ・ほたて炒め。元旦の宴会は腹具合が悪かったので、今日はばくばく食う。母は“これだけ出せば酢豚はいらないわね”と、材料だけ買って作らないでいたのだが、全員のあまりの食べっぷりのよさに、あわてて追 加で作っていた。デザートはあんみつ。これまでペロリと食べた。
酒をクイクイやっているうちに、須賀さんが黙りこくりはじめた。11時過ぎ、そろそろ帰宅、という頃には、何か顔が、玄関の暗い照明の下でもそれとわかるくらい真っ青(を通り越して紙みたいな白)になっていたので驚き、心配したが、奥さんは平気々々と笑っていた。いつものことなのかもしれない。来年度も札幌には何だかんだ足を運ぶだろうが、正月のわが家での集いはこれで最後。実感がどうもわかぬ。就寝前に、またメールチェック。植木不等式氏から、送った原稿に関しての書き込みがあり、無事原稿出せてホントによかったと思う。ただし、字配りや何かは間違いがひどい。帰京したら手直しせねば。