13日
木曜日
ボスニアにわにわにわとりがいる
そんなシャレ、ヘルツェゴビナ。朝7時半起床。暁方の夢で、ブラック・談之助と一緒に三池崇史の新作映画の試写会を観ている。殺し屋役で昔、私のアシスタントをしていた黒田が出ていて、へえ、出世したなあと思う。派手な撃ち合いの末に殺し屋も主人公も共に死んで(主人公は顔の半面をエグりとられる)終り。試写室は薄汚いビルの中にあって、そこを出てエレベーターに乗り込むととたんに、快楽亭がさっきの映画の悪口を言い出す(見た夢の話をえんえんとするトークライブをロフトプラスワンでやろうかしらん。客が来るか?)。朝食、サツマイモと中華スープ。中華スープにオクラを一本、刻んでいれたら、スープ全体が糸をひくほどネバる。すごい粘稠力。サツマイモは五郎金時で、栗のような甘さである。
立川流同人誌の続きやる。今日の予定はそれからSFマガジンコラム、その後、本を探してテレコムと打ち合わせ。世界文化社との打ち合わせをずらして入れてしまっているのに気がつき、あわててDさんに電話、明日に延ばしてもらう。12月の予定を見るに、すでに大晦日の帰省まで、ものすごいことに。芝崎くんに電話、冬コミのと学会ブースのことで打ち合わせ。
座談会原稿、午前中というか、朝の1、2時間で終わらせるはずが1時半までかかる。なにしろカットしなきゃいけないヤバい話、オフレコ話の嵐。それをよけて、さらにプロの話芸家が4人も出ているから話がアッチへ飛びコッチへ渡り、というのを前後させてつなげて、しかもテーマをある程度しぼり、そのうえでオモシロくしなくてはならない。いやあ、アタマ使う。しかし、それだけのことはある作業だった。出席者4人の世代や落語への立ち位地の差がクッキリ表れていて、ものすごく、現在の 落語の状況がクリアに見えてきた座談会のような気がする。
私とほぼ、同世代の、落語に対する根本的な、抜きがたい愛着を持っている快楽亭や談之助と、落語というジャンルがすでに衰退してからこの世界に入ってきた談生・志加吾の温度差がまた、面白い。殊に司法試験受験生という、落語とほぼ対極の世界から入ってきた談生さんのスタンスが刺激的ったらない。談生さんは、落語のネックは型であるといい、着物姿で出てくるだけで今の若い連中は“これはオレたちの仲間じゃない”とバリヤーを張る、と経験則から語る。高座着、座布団、風、曼陀羅というものを捨ててなお、落語が成立する条件はなにか、と模索しているらしい。それに対し、快楽亭は“それは慣れの問題”と言い、笑いのセンスという根元への理解さえあれば、今の形でも落語が若い世代にアピールすることは可能であり、たとえ今の世代には(空白期間が長過ぎるから)無理だとしても、もっと若い、秀次郎の世代にまでなれば、またそれが受け入れられるのではないか、その証拠に『クレヨンしんちゃん』のギャグは完全に古典落語のセンスだ、と指摘する。どちらにも大いにうなづかせられた。
思えば談生さんが指摘する“仲間”的線引きは、いま20代から30代前半の人間の根本的思考スタイルになっている気がする。それは、いつぞやのロフトでの“オタクジェネレーション・ギャップ”討論においてもつくづく感じた。彼らは、自分たちと思考形態が異なっている者がいる、というだけで不快感を感じるのである。で、あるから、なんとか彼らは同じ嗜好、同じ思考、同じレベルの話題を共有することで、お互いに“敵ではない”ことを確認しあう。われわれの世代は、他者とどれだけ違うことを証明できるか、でアイデンティティ確認をしたものなのだが。そう思うと、例えば東浩紀氏の世代などが、やたらオタク文化の壁を取り払って、“風通しをよくする”ことにこだわるのもムベなるかな、と思えてくる。要するに“みんななかよし”理論であり、それだから私のことを党派主義者呼ばわりするのである。私にとっては全ての人に理解されるような主義主張はとてもホンモノとは思えないし、“壁を取り払う”と主張しながらオタク的思考を動物的、と切って捨てるような言動は、“私が嫌いなのは差別主義とニグロだ”と言っているのと五十歩百歩にしか思えないのだけど。……まあ、快楽亭によれば、今の秀次郎の世代になれば、またサイクルが一巡して、“違うからオモシロイ”と差異を認めるようになる、というから、それに期待するとしよう。
SFマガジンS編集長、イラストの井の頭氏から電話。進捗状況の確認。JCMのM氏からも一行知識配信の新パッケージの件。多忙を極めていて、確認できず。申し訳ない。阿部能丸さんからも企画の件で電話、ロフトの斎藤さんからも2月の企画の日どりやタイトルを早く決めてくださいと年末進行電話。3時に来客、『本パラ』制作スタッフS氏。こないだ話した本3册のうち、2册はどうしても見つからず、代わりに他のもの、5〜6册、ネタになりそうなもの呈示。かなり面白がってくれる。撮影に使う書庫を見せたら、さすが本の番組作っている人だけに、“ふるえがくるほど うれしい棚揃えですね”と誉めてくれた。
打ち合わせ後はテンションがっくり下がる。だらだら、書くでもなし書かぬでもなしという状態で9時近くまで。K子と東武デパート前で待ち合わせ、今度は間違いなく渋谷シネパレスのレイトショー『モンキーボーン』を観にいく。サル関係グッズを持っていけば一点につき100円(一人4点限度)割引というのでコーネリアス人形など持っていくが、ペア券の方が安かったのでそれで入る。これ、FKJ氏が“思いがけない拾いモノ”“かなり鬼畜で、K子さん向けです”と勧めたらしい。いかにも『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』の監督らしい、オモチャ箱をひっくりかえしたようなブラック・ユーモア映画であった。ツクリモノを見ているだけでも楽しいしグロ風味もたっぷりだが、こういうブラックな話を実写(のメジャー作品)でやる限界もある。サウスパークの作者たちが、実写で成功せず、アニメでブレイクしたことを考えるべきであった(ラストの、内臓争奪戦などをモンティ・パイソンの連中がやればどんなに凄いものになったか!)。テーマは“悪夢”だが、やはりハリウッドの描く夢というのはイカニモ映画の中のツクリモノの悪夢、という感じでいただけず。犬が見た悪夢というシーンはなかなか笑えたが。見終わって、11時半。花菜でタチウオの塩焼き、おろし蕎麦一枚、食べて帰宅する。FAXでSFマガジンから小説のチェック、それから『週刊ビジュアル日本の歴史』(ディアゴスティーニジャパン) からのお仕事依頼あり。