4日
火曜日
カニしゅうまい近う寄れ
タイトルに意味はない。朝7時45分起床。時間間違えて早く起きてしまったか、と思う程外は暗い。雨がしきりである。朝飯はサーディンサンドと柿。昨日、谷中のパン屋で買った食パン、お菓子の如く柔らかい。流行語大賞は小泉首相、それはそうとこの授賞式の司会者がまるで昭和40年代のNHKの司会者のような口調だった。古臭いがむしろ懐かしい。一体誰だろう。
朝、ささきうどん(はてる)氏から電話。徳間の少年キャプテンにもう11年も前に連載していた映画批評コラムのコピーをお願いしているのである。なをきと共著でのお蔵出し本に再録するためで、まあレアなだけというようなものであるが、とにかくあるものは何でも掘り起こして載せるというのがコンセプトの本なのである。井上デザインからも電話、幻冬舎/ノーザンクロスの薬局エッセイ本のタイトルロゴ案について。井上デザインには今、これからの出版の本のデザインが四冊も預けられている。中にはまるで書けてないのもあり、考えると頭の痛いことである。一般の作家さんなら出版予定がつまっているのは人気者の証拠なのだが、私のようなマイナーもの書きにとっては、仕事が遅いことの証明みたいなものなのである。
北海道新聞コラム原稿、最終回書き上げてメール。毎週一回、4ケ月のコラム連載だったが、これほどアッという間に終わったという感覚のものも珍しい。ヤマトからエヴァまでの、第一次オタク通史といったおもむきのもので、16回もあれば十分に概略を述べられるだろうと思ったがこれが大間違い、あれも書かねばこれも足りないというばかりで、駆け足どころか超特急で通り過ぎたのみに終わった。読んでた方はあまり面白くなかったかもしれない。にも関わらず、書き手としては、これまでオタクの成立について言われていた通説とは違った手塚治虫評価や、宮崎駿の位置づけなど、改めて執筆してみて自分なりにさまざまな発見があった。これはささき氏などの協力も得て、一度ベイシックな通史として書き下ろしてみる価値はあるかもしれん、 と思う。
1時半、家を出て四谷の文化放送まで。吉田照美のやる気マンマン。出演は一年ぶりくらいになるか? ロビーにいくと黒いジャンパー姿のお爺さんがいて、はて、見たことある顔だが誰だったかと思ったら野末陳平氏だった。スタジオに入り、構成台本見せてもらう。『すごいけど変な人』の中から四人、ピックアップして紹介をということだったが、いつも私の出演時には台本の半分くらいのところでしゃべり過ぎて時間切れになってしまう。すぐにスタジオに入り、本番組ゲスト出場最多記録更新者と紹介されるが、やはりというか何というか、アッと言うまに15分は立ち、何とか三人を紹介できたのみ。いつもながら私のしゃべりは無駄が多いなあ、と自分でイヤになるが、まあ本の広告が出来ただけヨシとしよう。ディレクターさんが神田陽司の学校の同期だか先輩だかで、カラサワさんに今度出てもらう、と言ったら、オレも出せと言われたそうだ。そう言えば長嶋監督引退で、このところ陽司さんの名前はあちこちで見かける。
四谷をブラブラ歩き、昼飯はどこにしようかと迷う。いろいろうまそうな店もあるが、昼からあまり御馳走を食う気にもならず、荒木町商店街でギョウザのミンミンに入り、チャーハンとギョウザ頼む。頼んだあとでしまった、半チャーハンにしておけばよかった、食べ切れないぞ、とくやむが、何のことはない、ペロリと平らげる。大食らいになったものだ。
帰宅、サンマークT氏から速攻でラジオ聞きました、とのメールが入ってる。また電話いろいろ。ロフト斎藤さんから、2月の落語トークの日取りについて。メディアワークスTくんから、メディワのオルタブックス解散後、宙に浮いていた企画の引き取り先が決まったとのこと。と、いうことは来年の出版予定(書き下ろし)が既にほぼ満杯状態ということか? 何にせよ、急いで打ち合わせの予定を入れる。他社との 兼ね合いもある。
4時、時間割、講談社Web現代Yくん。Web現代に私の朗読のコンテンツを入れる件について。年内に基本形をまとめることにする。年内たってもう実際には三週間あるかないかである。早いのなんのって。K子の『納豆女』のことに話がいって、“案外あれも評判いいんですよ”“やはりヘルシー指向ですかね”などと、わけのわからん話。エロ漫画規制の件になり、講習会で、講師が大真面目な表情でスライドを見せながら“……この体液描写が……”とか“口唇愛撫は……”などというのが笑い出しそうで大いに困った、というのを聞く。別れて帰宅、SFマガジン完成させねばならんのだがちとグッタリ。いろいろ統計(?)を取ると、原稿仕事プラストークなどで、日銭換算で一日の稼ぎ高が四万円というところ(印税などは別)を超すと、急に体力が落ちてくるようである。そこらが私の限界か?
・昨日聞いて笑った表現。むかぁし、猪木がホーガンと戦って、後頭部にアックス・ボンバーをくらい、鉄骨に頭を打ち付けて完全失神してしまったとき、立川談志もリングサイドで観戦していたそうな。猪木が死んだ、と観客騒然となり、ホーガンは顔面蒼白になって、オロオロとリング上を歩き回っていた。談志、それを見て笑って曰く“『花筏』みてえだ”。
9時、四谷駅前でK子と待ち合わせ。一日のうち二回も四谷に出かけた。おでんやの『den』、予約していったのに一杯。しかしマスター少しもあわてず、“ちょっと待っててください”と席を作る。要するにひと組追い出す。何か申し訳ない。冬になるとやはりおでん屋にはみな長っ尻になるとみえる。自家製豆腐、コマイの他に、おでん各種。今日はいつもに比べ、料金が格安。K子に言わせると酒をそんなにやらなかったから、というのだが、そうかな。酔い心地はいつも通りなのだが。