8日
土曜日
王様は博多だ
なんば言いよっとね、この子は。朝7時50分起床。朝食、タラコスパとナッツ。イスラエルテロ騒ぎなど新聞で読む。民族と宗教の骨がらみ、これはそういう歴史を野村沙知代関係のニュースを見て、なにか彼女を尊敬すらしたくなってきた。人間、なかなかここまで自分本位には生きられない。しかも世間の憎しみを一身にかった悪役として、見事なやられっぷりまで見せてくれる。戦後世代の生み出したヒールとして、確実に裏モノ史に残る存在であろう。
12時、新宿に出て、湘南新宿ラインというやつで横浜へ。スカイライナーの車両を使っており、これに普通キップ(イオカード)で乗るのは、何か不正をしているようで落ち着かない。小野伯父と例の50周年企画のことで打ち合わせに、紅葉坂寄席の楽屋を訪ねる。7年前まで、自分も携わっていた演芸会だけに、桜木町駅に降りると、何か懐かしい。駅前の“謎の信号”(渡っている途中からなぜか横断者がみんな走り出すのでこう呼ばれる。実はそのまっすぐ先の交差点の信号と連動しており、ここが青のうちに渡り切ろうと、みんな走り出すのである)も、『ぴあ』そっくりの字体で看板の描かれた『ぴお』シティビルも健在。うれしくなった。
到着したのが1時で、小腹が空いている。まずいランチが食べたい気分になったので、紅葉坂の青少年科学館のレストランで、定食(800円)を食べる。野菜炒めとメンチカツ、それにサラダとワカメスープつき。これが予想通りのまずさで、非常に満足する。うまくちゃいけない食い物というのもあるのである。仙台にいたとき、駅ビルの日替わりランチが実に私の嗜好にあったまずさで、日曜除いた週6日、そればかり食べていたことがある。
会場の教育会館ホール(ガタコンの東京大会にも使われたことがある)は改装されて、立派なビルになっている。受付を何も言わずに通り、エレベーター使って4階に上がり、楽屋に入るが、何の誰何もされなかった。いいのか。以前の会場は楽屋が館長室みたいな感じで、ロビー風なところもあり、非常に使いやすかったのだが、ここは楽屋が狭く、ジャグラーの道具を置く場所もなく、なんか使いにくそうである。
小野伯父の高声が聞こえてきたので楽屋をのぞく。ゆきえ・はなこ、ボンボンブラザーズと一緒に、ごきげんで雑談をしていた。“ボクの甥でね、札幌で有名な薬局の息子だったんだけど、そこを飛び出して……”と、例によっての紹介。私がそういう言われ方を一番嫌いだということ、もう一○○ぺんも言っているのにまるで覚えていない。まあ、私も歳をとって、そういう扱いにも慣れたんで、あまり露骨にイヤな顔もしない。ただ、いかにも落ち着きが悪いので、ちょっと手伝ってきます、と袖の方に行く。杉男くんと、ナベちゃんがいた。ナベちゃんがいたには驚いた。あれ(私がやっていた頃のオノプロの解散)から、ずっとこの紅葉坂寄席は手伝っているのだそうだ。
こっちのツモリでは、50周年のことだけ打ち合わせてすぐおいとまのつもりだったのだが、結局、昼の部が終わるまでラチがあかないようなので、年末攻勢のさなかに、ノンビリと寄席観賞というハメになった。まあ、これはこれで楽しい。高座作りなどに手を貸し、昔を思い出す。プログラムは、開口一番が権太楼の弟子のさん光で『出来心』、それからふじゆきえ・はなこの漫才、ボンボン・ブラザースのジャグリング、中トリが権太楼で『金明竹』。中入り後がサムライ日本、林家正楽の紙切り、そしてトリが小三治という、なかなかの豪華版である。お客が神奈川県教育委員会の会員連の家族が中心なので、とにかく素直。そしてよく笑う。出演者もみんなここの会は十回以上出演しているベテランばかりなので、よく言えばリラックス、悪く言えば流すながす。小三治なんか、トリで出てネタが『初天神』である。若いころの私なら怒り出したかもしれないが、今のお客さんには初天神すら、めったに聞けない。素直に喜んでいる。
いつぞやの日記で権太楼の『たちきり』を聞いてイヤんなっちゃった、ということを書いた。もともと、この人に重い話は似合わないのである(いや、たちきりは必ずしも重くしなくたって演れる噺だと思うのだが)。そういう、身丈に余る噺をしないと落語家と認めないという、今の落語オタクどもが悪いのである。そういう芸術至上主義の中で、今日の権太楼、師匠の小さんや理事の金馬をネタにしたまくらも、この人独特のツミ方の金明竹も(なにしろ、舞台が古道具屋であるという仕込を抜かして噺に入る。これには仰天した。加賀屋の使いの口上も、早口というよりは関西言葉の奇怪さを前面に押し出している)非常に結構であった。小三治もしかりで、この人の重い噺を私は金出して聞こうとは思わないのだが、今日の、本ネタより長いマクラの
「もともと、あたしの話は面白くないんです。みんなが面白いんで、その中で珍しく面白くないというところであたしは目立ってるんです」
という、どこが聞かせどころなのかほとんどよくわからない雑談のようなデンマーク旅行記(キルトのロングコートを買おうと思っていって結局買えなかったというどうでもいい話)が、不思議とべらぼうに面白い。こういうのをフラというんだな、と再確認。取材らしい女の子がついていて、彼女と会場を出るときキルトの、くるぶし近くまであるロングコートを着てたので、“あれ、それはどこでお買いになったんですか?”と訊いたら、“これはネ、ユニクロのやつを二着買って、それを仕立て直させたモンなの。ホラ、ここで切ってつないでネ”と説明してくれた。凝り性な師匠らしいことである。
サムライ日本ののび太さんと少し会話。これは鶴岡がうらやましがるだろう。うーむとうなって感動したのは、昼の部が終わってその休息時間に、もう何百回もやっているネタであるのに、場所が横浜なので市長の名前を折り込んだギャグを一ケ所入れる、というだけで、何回も何回も、そこの段取りを稽古し直していたこと。これは小野栄一にも見ならってもらいたい。ボンボンさんの芸も、基本は“簡単なことをいかに難しく見せるか”なのだが、ちゃんと出の前には袖でリングの練習をやって慣らしているし、ゆきえ・はなこの年齢を感じさせない歌も、ちゃんと月に数回、レッスンに通っているという。こういうところ、ああ、オレみたいなモノカキは結局、シロウト芸なんだよなあ、と痛感させられる。こういっては悪いが三者とも、超売れっ子というヒトタチではない。しかし、彼らのスケジュール帳は数年先までずっと真っ黒である。なまじなテレビの売れっ子より、芸人としての帳尻勘定はあっているかもしれない。残っている、ということはその後ろに、やはり不断の努力があるからなのだ。
同じことは正楽さんの紙切りにも言える、今日は子供が多かったので、注文はコアラ、ライオン、熊のプーさんなど、楽勝とも言えるものばかり。唯一手こずったのは中学生くらいの女の子の“ハリー・ポッター!”という題で、“読んでません、映画も見ていません”と言いながら、ちゃんと切る。ホウキを片手にした少年が肩にフクロウをとまらせている図。見事である。見てないと言いながら、ちゃんと現代とつながっている。もっとも、その女の子に渡すとき、“これでいいですか?”と訊いたら“イヤ!”と言われたそうな。今のガキは(笑)。小野伯父と杉男くん、それから嘉子おばさんも入れて、50周年の構成、時期などを打ち合わせ。伯父は5月か6月にやりたいというが、それは反対。秋口にしよう、などと話しあう。細かいところは後で杉男くんなどとツメるつもり。
6時、そこを辞す。おおいくんたち特撮ファンクラブGの忘年会にも招かれていた が、時間合わせられず。また湘南なんとかラインで東京まで。品川止まりだったのでそこから山手線。帰宅して仕事続き。電話数本、土曜日だというのにあり。
9時、新田裏の寿司処『すがわら』。土曜なのでネタあまりなし。おつまみで切ってもらったマグロが抜群にうまかった。隣の席に、三遊亭白鳥みたいな顔した土建屋の社長に連れられてきた若い、まだ二十歳ソコソコの茶髪の兄ぃちゃんが座ったが、これが“黒田勇樹をかわいらしくしたような”男の子で、へえと見とれていたが、笑うと歯がほとんどないようなミソっ歯の乱杭歯。治療しようと思わないかな。