裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

30日

火曜日

カーフェリー船

 ヨッ、バタやん、海峡越えかい。朝7時起床。平面上に広がる螺旋模様の間をコイルのような立体の螺旋が縫って行くという幾何学的な図形の夢。そのBGMに流れていたのがズーニーブーの『白い珊瑚礁』。いかにも二日酔いのあしたに見る夢という感じである。モヤモヤしながら起き出して、スープスパゲッティ。K子も二日酔いで半ば眠っているような顔で食べている。アメリカ国内で“このままではタリバンに勝てない”という論調がさかんなようだ。あの国の特色のひとつが、この大男の怖がり的なところなのだな。細川護貞の『細川日記』によると、戦争ももうドイツが手をあげる、という時期になって、“このままでは日本に負ける”という本が多数出版されたとか。ここらへんが面白い。

 日記つけ、雑用すませK子に弁当。今日はジャガイモと鶏肉の煮付け。それからSFマガジンにかかり、12時前に10枚、仕上げてメール。昼は飯に冷蔵庫にあった汁の残りをぶっかけて、立ったままかきこんで15秒で食い終わる。

 原稿の資料で見つけた、『東京催眠心理研究所』というところのサイトの、『催眠術の歴史』というコーナーの文章が一種ものすごい。タイピングに慣れていないせいもあると思うのだが、文脈がつながらなかったり同じことが重複して形容されていたり、外国人の書いたような文章である。
「ではメルメル磁気説を唱えたのは何であるか? 現在の暗示であります。磁気説といい暗示の影響力を持つ強い力を世にはじめて明らかにして、世人の耳目をそばだて健康えの道を暗示によって強化し人の心の奥底に潜んでいる潜在活動を普通の医学治療ではとても引き出せないものを思いも依らない力が働き生活力を高めることが出来るという、現代精神療法の第一歩を踏み出す扉を開いたのはメスメル先生です」
「これは現在の暗示と催眠との関係です。この治療は大変な盛況を極め彼の治療室の門前に貴族の車〔当時は馬車》が市をなして居たそうで、馬蹄の食事や馬の飼い葉、水と更に大勢の人達が集まる。また彼の治療室の予約を取るのはスカラ座の初日の前売り券を買うより難しかったと伝えられています」
「科学的な理論を無視し磁気説を彼は強調した事と、婦人の治療に当ては患者の太ももと彼の太ももを挟むような体位で対応し腋や胸と子宮等を押したり擦たりして治療したので、風俗的に良くないと言う事と、パリのメスメルリイスム調査委員会は『動物磁気』は存在しないと言う結論でメスメル名声も地に落ちパリを去りホーデン湖の辺で1814年に80歳で華やかであった人生が裏腹で寂しい人知れず生涯を終わったのです」
 ここの所長は加藤洋二の名で著書も多数あるということだが、こんな文章で書いて いるのだろうか。
http://plaza9.mbn.or.jp/~kator/rekishi.html

 2時、どどいつ文庫伊藤氏来。今日は珍客を伴っての来訪。カメラマンで、日本各地の性神(いわゆる金精さま、カナマラさまとか呼ばれているチンコの像)のコレクターでもあるK氏。通称“ちんちん先生”と呼ばれている人ということで、えらい学者風の人物を想像していたのだが、まだ三十才そこそこの青年だったのは意外。うちのマンションの前に二・二六事件の碑が建っているのを見て、“うわ、偶然だなあ。ぼく、こんなんがあるとは全く知らずに、さっきまで鼻歌で『昭和維新の歌』を歌うてたんですよ”と言う。高校生のころ、五社英雄の『226』にエキストラで出演して、そこで覚えさせられたのだという。“ショーケンさんがあの頃、アル中でして、台本読み合わせのとき、「こんなん演れるかあ」と、いきなり台本にオシッコひっかけはじめて、女優さんたちびっくりしてましたですよ”などと話してくれる。

『時間割』に場所を移し、さまざまな性神のコレクションを見せてもらいながら話を聞く。彼は大学は写真の方だったのだが、街の中のドラマを撮りたいと思い、本通りでない横町や脇道の方にばかり入り込んでいるうち、そこにすでに忘れ去られたような祠があり、中にチンコ型の像が祀られているのを見て、こういうものに興味を持ちはじめたのだという。そして、日本国内のさまざまな生殖器信仰を調べるうち、この方面の研究の権威であるN教授に面識を得て、教授から“日本のチンポコのことは君にまかせたから”とまで励まされたそうである。コレクションのいくつかを見せてもらったが、招き猫の頭が亀頭になっているもの、神社に飾ってあったおさすり石で、両端が亀頭になっている珍しいもの、非常に抽象化された神像で、ガンダムのジオングみたいな形状のものなど、文字通りの珍物ばかり。

 話もはずみ、いまだアカデミズム内に残る、こういう淫猥にわたるものの研究への蔑視などをコキ降ろして盛り上がる。古書マニアの先輩としてのサジェスチョンなども求められ、照れながらちょっと話す。お互い、本集めの魅力は形であり匂いであり持ち重りでありというフェチックな部分が大きいという意見の持ち主。平野啓一郎が資料は全てインターネットから得ていると言い、本など集めなくてもインターネット内にすべての情報があると断言していたという話から、何を無知蒙昧な、××のことがネットのどこにあるというのか、△△の著作をこないだ検索かけてみたが一件たりとヒットしなかったぞ、などとお互いの知識内でのマニアックな作家名、著書名を挙げて盛り上がった。いやあ、カラサワ先生は著書など拝見していて、もっとエキセントリックな人かと思うてましたけど、まともに話の出来る人でよかったです、などと言われる。こういう人にエキセンと思われるというのもなかなかの経験である。

 ご両人と別れ、肩がえらい張り様なので、新宿でマッサージ受ける。女性の整体師さんに当たったが、この人の指の力の強いこと強いこと。痛てててと思いながら、気持よくってウトウトしてしまった。帰宅して、仕事続き。京都のファンが、この日記を読んで、わざわざ上京して『幸永』に行ったとのメールをくれた。あそこの奥さんが喜んで、こういう人がいる限りウチは潰れない、大丈夫と言ったそうな。他にも幸永愛好者はたくさんいると見えて、土曜日はほぼ満席だったとか。うんうん、めでたいこっちゃと大いにウレシクなる。

 9時ころ、電話。韓国のテレビ局の人(女性)からで、日本のオタクを取材したいという。ヘンなもの集めていて、私設博物館みたいになっている人知りませんか、と言われる(“ニホンにはそういうオタクのヒト、たくさんいますけど、韓国にはヒトリもいないんデスよ〜”と言う。これは韓国においてはアニメや特撮の地位が極めて低く、つまりガンダムのようなブロックバスター的作品によるオタク的価値革命が起こっていないためで、私のオタク環境説と非常に合致する)。知人で二、三そういう人の名を出したら、“マダありませんか”“ホカニありませんか”の連続。もともとテレビのヒトというのは他人の情報はタダと思っているところがあり、それが韓国系の押しの強さとあいまって、応対に非常にくたびれる。別冊宝島の『お宝スポット秘境めぐり』の個人博物館の紹介のところを十ページほどコピーして、FAXする。韓国へのFAXって、いくらくらいかかるんだろうか。

 10時、花菜でK子と待ち合わせて食事。えらい込み様で、一時は完全にフルハウスになった。タチウオ塩焼きと冷や奴、それに揚げだし豆腐と、豆腐を重ねて注文してしまい、やはり少し食いあぐねる。二人ともあまり食欲なく、ソバは省略して帰宅する。有罪というのはウザイと読めるな、と帰り道で唐突に思いつく。何の使い道もない思いつきだが。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa