22日
月曜日
場あたり良好!
このシャレも場あたりの作。朝7時45分起き。二日酔い気味なれど、少し喉が乾いたくらいでそれほどでもなし。目が覚める一時間程前から、五分おきくらいに短い夢を何本も見る。女性の自殺ショーの舞台監督を勤めるというグロなものから、なくしたサイフが見つかって大喜びというような単純なものまで。8時、庭を散歩。開田さんがすでに出ていた。庭を見ると、奇妙な形をしたキノコがいろいろ生えている。玄関先の手水鉢の水で顔を洗う。非常に気持いい。さんなみの真ん前に林業関係者の登り口があり、重装備の一団が登っていった。二人でちょっと後を追おうとするが、石段を十数段登ると、あとはもう道無き道で、ちょっと足をすべらすと斜面を転げ落ちそうなところ。オゾケをふるってあきらめる。庭には露天風呂がまだ作成途中で放り出されている。それでも、こないだよりはどうにか、風呂としての形をなしつつあり、先が楽しみ。
8時45分、朝飯。“昨日かなりお酔いてたから”と、近くで湧く天然水を薬水と称してグラスにいただく。青大豆の汁、中のキノコが実に味わい深い。豆腐のいしり漬け、キャベツサラダ、中のハーブの葉っぱがカラシのようにヒリリと辛い。囲炉裏ではイカミソとコンカイワシ。イカミソはワタのことではなく、鯛ミソみたいにでんぶにして甘辛く煮たものを朴葉に乗せて焼いたもの。ゴハンが何杯でも食べられる。あと、漬け物数種。赤ずいきの酢の物が出て、ふにゃりと柔らかい食感ながら、噛むとシャキリとした歯触りで、最初は何だかわからなかった。これに、ゆうべ飲み過ぎそこまでたどりつけなかった三平汁。能登湾というところはシャケまで入ってくるのか、と驚く。北海道のものにくらべるともう、上品で上品で、シャケじゃないみたいである。それと、メギス(キスの種類なのだろうが、メギスというくらいで目が大きく、うるうるしている)の一夜干し、これも昨日のカマス同様、頭と尻尾を持って食べる、絶品。
食べながら同人誌『堪能倶楽部』の話をする。『日曜官能家』がこないだ最終号を出した後を引き継いでの創刊だが、さて、さんなみなどは誰が受け持つかでケンカになりゃしないか、と話す。K子はここに籠って仕事をする計画を立てているようだ。10時ころ、宿賃支払い、家を出る。あやさんはお母さんと柚子をもぎにいき、山のようにもいで帰ってきた。あと、自家製のカツブシも分けていただく。海沿いのベン(義理の息子)の店、フラットでパンを買い、コーヒー。雨がここらからかなり本降りになって降ってきた。来年の4月に今度は来よう、とK子、計画。二泊して、一泊はこちらでイタリアンを食べるという考えである。
大阪から来た熟年夫婦とのと鉄道で、ゆうべの道を逆にたどって帰る。乗り換えたサンダーバードの中で昼飯、焼きガニ弁当というやつ。K子と半分こにして食べる。私は過食になるのを防ぐためだが、K子は残りの胃にさっき買ったパンをつめこむため。まったく、痩せの大食いというか、よく食う女である。
小松の空港でオミヤゲ。こないだ買ってなくした虎のガラス細工を、『虎の子』へのおみやげ用に買う。あと、これもこないだ買いそびれたものがまだあるかと思って書籍売り場に行くが、果してありました、森喜朗『あなたに教えられ走り続けます』(北國新聞社)。まだ森氏が幹事長時代に出した自伝であるが、さすがお国元、あのバッシングのさなかにも、地元総理ということで、ちゃんと平積みになっていた。今回はさすがに平積みではなかったが、まだ棚にささっている。
帰りの機内でずっと『あなたに〜』を読むが、ちょっと感心。なかなかイイことを書いている。問題は、その内容とご本人がまるでシンクロしないことであるが。正直に、早稲田にはラグビー推薦で入ったとか、まるで勉強しなかった、産経新聞社(日本工業新聞)には国策パルプの水野社長のコネで入った、などと堂々と書いているのはまことにこの人らしい。もちろん本人の筆ではなく、ゴーストライターではあろうが、まんざらウソは書いていないと思うのである。ずっと文部畑を歩いてきた人だけに、若いうちの人格教育の大事さを強調し、恩師たちの教えがいかに今の自分を作り上げたか、と繰り返し、いくつもの心に残るエピソードを紹介しているが、今現在、これを読むと、むしろ教育の無力さが浮き彫りになる感じがする。これだけいい先生たちの薫陶を受けてあの程度の人物しか生めないのか、という気になるからである。“私はかなり宗教心、信仰心の強い人間だと自認している。宗教というものは、文化の重要な要素だと考えている”というくだりなど、読むと非常に結構なことを言っていると思えるし、また、ずっと興味がなかったゴルフを保利茂と金丸信に教わり、ゴルフは政治におけるタイミング感覚を養う、と言われてハッとその意味(ただ力任せに押していくのではなく、頭で考えながらバランスを配分していく)に気がつく、というところも、人生訓としてなかなか、含蓄があると思う。しかし、御本人はその二つを二つながら、神の国発言とえひめ丸事件のときのゴルフで、自らの首相の座をあやうくする要素に結実させてしまったのである。ところで、この本のあとがきには何と1999年の時点で、21世紀の抱える大きな問題は“共産主義の後退に変わる宗教上の原理主義の台頭”である、と喝破し、これからはイスラム文明やアメリカ文明などによる文明間闘争の時代になると言い切っている。他の誰でもない、あの森サンがである。驚くではないか。たぶん、ゴーストが才能ありすぎて、表の著者と似合わなさすぎる本を書いてしまったんだろうな。
羽田も大雨。荷物を預けた開田さんたちと分かれ、タクシーで渋谷まで。仕事などでのトラブルは幸い何もなし。原稿チェックのものなどに目を通し、8時、パパズアンドママサン。フグの粕漬けをオミヤゲに。疲れてはいたが、それでも生二ハイ、焼酎お湯割り二ハイとちょっといった。焼鳥十串とワンタン。