14日
日曜日
おかまのすぎのこ
えっ、おすぎに隠し子? 朝7時半起床。朝食、イチジクとヨーグルト。ヨーグルトは小岩井のだが、どうも明治ブルガリアでないと“っぽく”ない感じ。ヨーグルトなんて食い物は日本人の舌にあまり合ってはいけないのだ。ブルガリアのは少し酸っぱすぎて、そこがヨイ。読売朝刊、炭疽菌事件が一面。騒いでいる割に、あまり効果のある兵器とは思えないのだがな。細菌関連で最近一番の名言と思ったのは、神田森莉氏の日記サイトにあったセリフ。
「まったく細菌の考えてる事はわからない。小さいからな」
例えば不特定多数の人に自分の食べた料理の美味しさを伝える際に、最も大事なのはその具体性である。いくら美味しい美味しい、これはいまおフランスで流行の料理なんざんすよ、と繰り返しても、口の中につばは湧かない。まず味わうべきはその料理のどこなのか、素材、調理法などにピントを絞って、あたかも実際に一口を試食させてもらったようなバーチャル感を与えてくれる表現でこちらに伝え、そこから全体の味に想像力をふくらませてくれる人を、腕のいいグルメライターと称する。書評もまたしかりで、短い枚数の中でいかにその本の読みどころを伝えてくれるか、を何よりの必要技術とする。今回、読売書評欄の渡辺利夫氏(拓殖大学国際開発学部長)の角山栄・著『「生活史」の発見』の書評術に、その粋を見た。マルクス主義歴史学の発表が、人類学・生態学などの学者たちが集う研究会でコテンパンにされた模様を関西弁のセリフ入りでコミカルに描写するという具体的イメージで読者をその本の世界に引っ張り込み、そこから著者(コテンパンにされた当人)の角山氏の抱いた疑問点を呈示、さらに著者と評者の思いが一つになっての日本の歴史学界の悪弊への慨嘆に筆は及び、読者に共感を呼び起こさせ、一転まとめに入って、その他この本で論じられている生活史の具体例中からオモシロそうなポイントを二ツばかりあげて、サア後が読みたいでしょう、すぐさま本屋さんへドウゾと誘っている。これだけの内容を、僅々800字の中にすべて盛り込んでいるのである。その手腕には瞠目の他はない。書評を読む醍醐味ここにあり、という感である。まあ、一方にまるで勧める本の内容の具体的イメージ化を欠いている曖昧模糊的な書評があり(またアノ御仁である)、それを先に読んで腹が立ったところなので渡辺氏の書評が清涼剤のように感じられたのだけど。少しは自分と同じ欄に載った他の人の書評を読んで勉強したらどうだろうか。
(人に要求してばかりいてもナンなので、今回の書評評も800文字キッカリにまとめてみました。そううまくはないが、まあ御容赦)
原稿、SFマガジン『妄想通』最終回。筆が乗ってきたところで、Iさんこと、ライターの石原伸司氏から電話。例のヤクザの親分から転進した人である。相談があるというので、渋谷駅前まで出て、近くのマイアミで話を聞く。K出版というところから刊行予定の処女出版本(氏の獄中結婚のエピソードを書いたもの)について、当初の話から少し違ってきている、という話。なにしろ処女出版なのもので、かなりナーバスになっている状態。この出版不況下、フロシキが縮んでいくことはアリウチなことと説明し、しかしながら処女出版を控えた作家をイラつかせる出版社にも問題はあります、と、出版スケジュール及び刷り部数の呈示を求めるのは著者の権利うちだから、まずそれをしっかり答えられる出版社であれば信用していいでしょう、部数の多寡は向こうも苦しい所帯だと思うし、その中で出してもらうのだから、この際問題にしなさんな、と言っておく。K出版はちょっと昔、家田荘子の『イエロー・キャブ』などをヒットさせたところだそうであり、社長がそれの再現を、と、最初の打ち合わせで大きなことをフいたらしい。今年別荘から帰ってきたばかりのウブな人に、あまり大きな期待をさせるというのは罪ですぜ。
マイアミに入ろうと言ったのは私なのだが、トラブるときはトラブるもので、なんと石原さんの食べていたアイスクリームから、ガラスの破片が出てきた。さあ、石原さん怒るまいことか、オイ、これは何だ、ふざけんじゃない、店長を呼べ、とやり出した。店員がさっそく調べますから、と下げようとしたのを、“冗談じゃない、証拠品じゃないか、置いておけ”と命じたのはさすが、経験豊富。私が、この場合怒るのはもっともですが、これからのお体なんだから、穏便に、と言うと、イヤ、わかってます、ただ、このまま引き下がるのは男がすたるんで、という。こういう思考形態がいかにもこの人らしい。苦笑して、とりあえず私は帰る。後から報告があり、きちんと店長があやまったのでまあ、ことなきを得たとのこと。
なんだかんだで4時までかかった。帰宅してSFマガジン続きやり、完成まであと一歩、になったとき、重大なカン違いをしていたことに気がつく(最終回で、第一回へと大きな輪を描いてつながるという趣向だったのが、リンクのフックに使うネタを間違えていた)。やはり途中で執筆を中断されて、何かリズムが狂ってしまったらしい。仕方なく、中断のまま放棄。明日のこととする。
予約していたマッサージへ。こないだが満足に揉んでもらえなかったので、今回はじっくりと思ったのだが、整体師さん、肩をさわったとたんに“うわー、固いですねえ、どうしちゃったんですか”と叫ぶ。体して重労働はしていないのだが、精神的ストレスのせいであろう。揉まれながら何度も悲鳴をあげる。休息室で10月7日号の『サンデー毎日』。毎日はいまだビンラディンに“氏”をつけてるというウワサを聞いて、ホンマかいなと記事を読んでみたら、確かにそうであった。読売書評欄ではお気に入りの上田紀行氏も、テロ報復反対の談話を発表。論旨平凡で少しガッカリ。別に報復反対だからダメ、というわけではないが、書評くらい芸のある論を見せてほしかった。なかなか全ての面で優れた人っていないもんである。連載コラムから巻末の高橋春男のマンガに至るまで、見事に全誌これ報復反対の論調で固まっている中で、中野翠がその中間でゆれ動き悩んでいる自分を正直に出しているのが印象的だった。
8時、下北沢『虎の子』。例により上のアンティーク屋に行き、スター・ウォーズのかなりヒドいパチモンを買う。その後K子と食事。牡蠣の松葉焼き、ねぎま鍋など蒸し暑い一日だったが食い物はすっかり冬仕様。黒竜少し過ごした。