裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

日曜日

クラックを共にする

 夫婦揃ってコカイン中毒。朝8時起床。ゆうべは宿に帰りついたのが12時ころ、それから足湯だけ使って寝た。朝、洗髪して朝食。ホテルの豪華さ(やはり東京ではこんな土地に余裕ある建て方はできない)に比べ、食い物は普通。大阪の日航ホテルの方が上。目玉焼きがカチカチになっていた。朝日と読売の書評欄を読み比べる。読売は今回も編集委員の橋本五郎氏が駄文を弄して佐藤栄作秘書の日記を誉め上げ、書評欄全体の質を下げている。それもあるが、朝日の方が取り上げる書籍が一般的に柔らかい。学術書が中心の読売とははっきりと方針が異なっている感じで、評者の文章も全体的な質は上のように思える。

 部屋に帰って、チェックアウトが12時なので、もう少し寝足す。食後にまたひと眠りできるのは旅の特権のようなものである(家では予定に追われて、食ってすぐ仕事である)。週刊ポスト10/26日号の『新聞を読む』欄で、経済アナリストの森永卓郎なる人が、朝日新聞までが最近は小泉政権のテロ報復支援寄りになってきてしまった、と嘆き、産経や読売は仕方ないが、朝日までが、と憤慨して、“平和ボケと呼ばれても、戦争ボケでない朝日新聞を読みたい”と主張。朝日の方針が変化してきたのは、遅まきながらそれが世界の傾向だと気がついたからであると思うのだが、森永氏の筆調から見るに、こういう人は、世界の趨勢や基準がどうでもかまわない、ただひたすら平和平和と唱える文章が読みたい、と言っているだけらしい。つまりは己れの宗教的信念を揺るがせるような情報には耳をふさぎたいわけで、すでに朝日の読者というのは(あくまで政治経済記事においてだが)聖教新聞の読者と同じになってしまっているのである。まあ、これは産経の読者なんかもベクトルこそ違え同類だろ うが。

 チェックアウトまでだらだらしていようと思ったのだがK子がタイクツしてきたらしいので、10時半に出て、タクシーで香林坊まで行き、そこから1時間ほど互いに別行動。K子はダイワデパートに行き、私はこのあいだも立ち寄って感心した喜久屋書店に入り、ぶらぶらして時間をつぶす。この前来たときにはあったサブカル棚の私のコーナーが大幅に縮小されていたのには落胆した。

 12時半くらいに、開田夫妻(画集が完成した記念に今回のさんなみツアーに参加した)と待ち合わせなので、しばらくK子と二人、喫茶店で時間をつぶす。香林坊が見おろせるいいポジションの席が取れたが、わきの席に座っている、初老の女性の様子がなにかおかしい。二人がけの席で、自分の前と、対面の席にコーヒーとケーキが置いてあるので、最初、連れがトイレにでも立っているところなのか、と思ったが、どうも、一人で二人分を注文しているらしい。じっと、誰もいない席の方を向いて、座り続けている。ときおり、クックッと口に手を当てて笑ったり、小さく“いやだ”とつぶやいたりしている。脳内で会話がなされているのか、若かったころ、デートした様子をリピートしているのか、その様子にちょっと気味が悪くなり、レジの方を見ると、ウェイトレスさんたちがみんな、その女性の方をじっと監視していた。そうそうに出る。

 正午、駅でキップを先に買い、おみやげ屋など回る。フグの粕漬けがあったので、チャーハン用にとまた買う。1時、ホテルに戻り、その裏手で待ち合わせ。桜井さんの車で開田さん夫婦、到着。私らを拾って名物回転寿司『びっくり寿司』へ。ここは名のがびっくりかというと、ギョウザだのトンカツだのまで時として握られて回ってくるというのだが、本日は案外まともな(?)ネタばかりで残念。近くの書店で桜井さん、見つけられてなかった『トンデモ本R』の最後の一冊を見つけて大喜びしていた。サインを頼まれて書く。後から駆け付けたニセビルゲ氏も、『裏モノ見聞録』を持参、これにサイン。

 二人と別れ、サンダーバードで和倉温泉へ、そこから乗り換えでのと鉄道、矢波まで。途中までゲラに目を通して赤入れをやっていたが、矢波到着は6時過ぎなので、途中から周囲は真っ暗になる。ライトに照らされた山間の線路際の光景、なかなか凄みがあっていい。特にトンネルをくぐるあたりは、CG画像で穴をくぐる、あのシーンを生で体験するような感覚があり、私と開田さんは小学生のように前面の窓ガラスにくっつきっぱなし。運転手さんが席から出てきたので、注意されるのかと思ったら“これ、邪魔でしょう”と、窓際の足下に置いてあった荷物を片付けてくれた。何というサービス。

 真っ暗な中、懐中電灯もなしにさんなみまでたどりつけるかしらんと思い、もし何だったら近くの売店で懐中電灯を借りよう、と思っていたのだが、ちゃんとお父さんが迎えに来てくれていた。今日は休日で客が立て込み、われわれ四人は完成したばかりの離れに泊ることになる。みると、以前はそっけない木の立て札だけだった『民宿さんなみ』の表示が灯つきのものになり、家の前に山門風の門まで出来ている。みなお父さんの日曜大工によるものである。

 離れも二間ある、茶室風のいい作りであり、みんな歓声をあげる。風呂を浴びてからいつもの食堂で夕食。今日は一般客二組に、沖縄の食通雑誌の取材が入っている。さんなみの料理で泡盛の古酒を試そう、という記事である。お父さんと、その友人たちが集まって、あれがいい、これが癖がない、などと楽しそう。こちらもあやさんと私が少し古酒を分けてもらう。K子は明日、編集部に名刺を渡して仕事もらおう、などという。

 さて、料理。いつものごま豆腐、イカの黒づくり、などが前菜で、今日はエビとイカの陶板焼き、いしりとバタの相性が抜群で、“快楽亭は馬鹿だなあ嬶あ”の心でおいしくいただく。お造りはカンパチと甘エビ、甘エビは子が珍味々々。サザエはつぼ焼きにしていただく。それからまたちょっと他で食べられない“ぬめら”の刺身。ぬめらというのは淡水系のアブラムツの別称だが、ここの地方ではハタ系の魚をさすらしく、身はほんのりピンクがかった白で、ほんのり甘い上品な味。おろした頭の部分を見せてもらうと、赤い斑点が全身についた、ちょっと南方系の魚。なるほど、皮がぬめらっとしている。この種類では一番おいしいんだそうな。珍しい魚と言えばヘラヤガラの身を焼いていしりソースをかけたものが出たが、これが身がモチッとして、実にうまい。芽ネギがぱらりとかかっているが、これがもう、彩りとしてかかっているのではなく、これだけで十分に甘いのである。ここのハーブ類はちゃんと自己主張している。囲炉裏で焼いているのはおなじみ海餅と、カマスの一夜干し。これを頭と尻尾をもってがぶりとやるうまさは、野生味十分で、もう何尾でもいける、という感じ。

 このように列記すると、私がいかにも美食家で、まったりとしてそれでいて、など言い出す人物のように思えるだろうが、実は私の舌というのは実に粗雑なもので、もののコマカい味わいなどというものはほとんどわからないに等しい。仕事などで忙しいときは立ち食いの蕎麦や、コンビニ弁当でもなんら文句を言わない男である。私にとってのうまい食事は、ひたすら、仕事がらみのストレスからの解放の意味を持っている。特に最近の仕事ラッシュは、日記読んだ人から“死にませんか”と言われるほどだが、ずっと続けているので苦にならないとはいえ、裏ではあちこちにストレスが溜まりっぱなしだと感じる。そこからしばしなりと意識と体を解き放つために、いわば向精神食としてこれらのものを摂取しているわけだ。もちろん、ただうまいだけではなく、そこには会話とシチュエーションが必要で、友人たちとこういう場所でものを食うということが、私をして大病もさせず、仕事をこなさせている。今日は少しストレス解放されすぎ、竹葉と泡盛とでもう、何がなんだかわからなくなった。イカの刺身はさすがに食い切れず、お母さんに頼んでいしり漬けにしてもらう。残った一升瓶を抱えて部屋まで帰ったが、そのまま倒れ込むようにして大イビキ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa