28日
土曜日
しょんじょショコラにはない
しゅばらしいチョコレートでしゅよ。朝8時起き。朝食、ソーセージとイギリス食パン。紀ノ国屋製であるが、耳の部分がさすがのうまさ。日記をつける前に、K子のマンガ(サンマークの)の方の仕事をやる。案外、調べものに手間がかかった。わかりきっているようなもので、いざとなるとどこに記載されていた記事かを探すのが大変な手間。インターネットというものも、知らない事項を調べるのには役にたつが、知っている記事がどこに出ているかとか、正確にはどう言うか、とかいうことを調べようとしても、まず大概はどこにもない。まあ、そんなにぽこぽこ何でも検索できれば、私のようなモノカキは商売あがったりだが。
SF大会からやっとゲスト招待状が届く。今年は招かれないかと思っていた。夏の旅行代わりに行けるリゾート式コンベンションなら、友人連うち連れて企画を持ち込むのだが、千葉ではちょっと中途半端。細々と悪趣味映画の部屋でもやるか、または眠田さんと『トゥーン大好き!』出張編でもやるか。
新宿までタクシーで出ようとしたら、えらい混雑。メーデーだという。おい、なぜメーデーを4月28日にやるのだ。聞いたら5月1日にもやるのだが、5月に入るとみんな家族旅行に行っちゃったりするので、4月にまずやっちゃうのだそうな。そんな情けないことで労働者闘争ができるか。西参道から甲州街道までギッシリなので、参宮橋で降りて小田急で新宿へ出て、そこから中央線で東京まで。八重洲地下街の古書店へ行く。金井書店がRSブックスとかなんとかいう、おっそろしくオシャレな店になっている。幻想文学関係とか、ちょっと濃いものも並んでいるのだが、そと見にはアート関係のギャラリーみたい。古書のイメージを変えるいい試みだとは思うが、やはり本好きには、書棚が立ち並ぶなかを身をすくめてくぐりぬけるような店の方が落ち着くことは確か。本の価格は決して安くなく、建築関係の本を数冊買って一万円ばかし。
買った本を読みながら、同じ地下街の博多うどんの店でゴボ天うどん。ツユが塩辛すぎる。東京人の調理人で、薄口の使い方に慣れてないのだろう。中央線から山手線に乗り換えて原宿で降り、古道具屋など冷やかしつつ帰宅。読書しばらく。寝転がって博文館の『繪本稗史小説』シリーズ(大正6年)のうち、『身代山吹色』『滑稽邯鄲枕』など、江戸時代の上方の滑稽本を読む。江戸のものとはかなり味が変わっていて面白い。読んで疲れるとそのまま眠る。極楽である。
江戸時代の黄表紙、滑稽本の類いは罪がないことを本義とする。おざなりの教訓ばなしを最後にもってきて形をととのえ、あとはほとんど意味のないうがちや洒落で話をすすめる。この、進歩発展の気風がツユもないところにネウチがある。『身代山吹色』も、金の大事さを謳うのがテーマだが、作者はそんなことはおかまいなく、主人公の茶屋遊びの細かい段取りや、当時の通人たちの芝居評などに筆を費やす。こちらが描きたかったのであり、読者もまたそれを喜んで、話のまとまりなどに期待はしなかったのであろう。現代の進歩至上主義者にこの余裕はない。現代の黄表紙がすなわちマンガだが、そういうものを評するのにまで進歩しろ、勉強が足りないと青筋をたてるのだから論外である。進歩発展というのはそもそも貧乏人の発想であって、いしかわじゅんとか夏目房之介だとかいう、精神的にビンボーな方々がマンガ評論の代表者としていばっている限り、マンガは大人の文化足り得ないのではなかろうか。
8時半、新宿すがわら。今日は白身を入れてないそうで、縞アジ。タイのアラをスープ煮にしたもの、茶碗蒸し、焼酎のお湯割りと温かいものばかり頼んで、K子、汗をかいている。稲荷寿司をノリで巻いて食べるとうまい、と大将が言うので、一個試して見たが、なるほど、これだけのことで、まったく稲荷寿司とは違う別の食い物になってしまう。不思議。この程度の進歩発展で人類は充分である。