裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

土曜日

天王星反対

 冥王星の方がいいぞ(意味不明)。朝7時半起床。K子が突然の腹痛。もっとも薬のませたらすぐ回復。朝食、ピタパンにサーモンはさんで。果物はイチゴ。文珍の番組に総裁候補勢ぞろい。橋本龍太郎、インタビュアーの質問などに“あなたねえ、そうおっしゃいますが……”といちいち反論。舞台の芝居のような口調。

 原稿書きにとりかかる。週刊アスキー、今日はやたらサクサクで、12時までに完成。しかもそのあいまに弁当など作っているわけだから、能率をあげたことである。書き上げて、昼飯。弁当のおかず(鶏の煮物)の残りを食ったがちと塩辛かった。釜あげしらすを昨日買ったので、ごはんの上にかけてしらす飯。

 神保町に出かけて、古書会館、和洋会古書市。棚がホコリっぽくてまいった。古書のほこりは価千金とはいい条、ここの古書市はちょっと棚全体が煮染めたような感じがしすぎる。バイトの若い男女が高声で話し合っていて、落ち着けないが、古書マニアたちのずーんと沈んだオーラに、黙っていると自分が呑み込まれてしまうような不安を感じ、あえて高声でしゃべっているんじゃないか。と、思ったら、まだ学生服姿の若い男の子で、“次回の目録、どうやったら送ってもらえますか”と質問しているのがいる。また一人、泥沼に沈もうとしている若者がいるのを見ると、頬がゆるんでしまうねえ。ひと抱え買い込むが、ほとんど200円、400円の雑本。カストリ雑誌数冊買ったのが一番、高かった。

 そこから中央線に乗り、高円寺の古書会館に久しぶりに。土日は中央線は高円寺・阿佐ヶ谷には止まらないので、中野で乗り換え。以前、まだ土曜には快速が止まっていた頃、阿佐ヶ谷に住んでいたのだが、杉並区会議員で、“日曜に高円寺・阿佐ヶ谷に快速を止めよう!”という公約ひとつだけでずーっと当選し続けていた人がいた。一度飲み屋にいったらこの議員さんがいて、握手を求められ、彼が目をかけているという若いフォークシンガーを紹介され、『阿佐ヶ谷慕情』という歌を三番まで聞かされて閉口したことがある。当時阿佐ヶ谷・高円寺の住人はこのセンセイにまかせておけば、やがて日曜も快速が止まるようになり、中野や吉祥寺なみにこの街が栄える、と信じて票を投じていたのだろうが、止まるようになるどころか、土曜も素通りするようになってしまった。あの先生、どう支持者に言い訳しているのかな。

 高円寺の西部古書市、今日の神田にワを二重くらいにかけてホコリっぽい。客も、まだ神田はレインコートだが、ここはジャンパーが主。白井喬司編の国史挿話全集などバラで何冊か。駅前の焼鳥屋に大きく手書きで“おみあげできます”。なんか、いかにも中央線という感じでいいよなあ。

 帰って、ネットで資料検索。恵贈本、掲載誌などいくつか届く。『週刊読書人』の『読書日録』というコーナーで、法政大学のKという若い(?)先生が、歌舞伎観賞のことを書いていた。仮名手本忠臣蔵十段目の天川屋義平のセリフ、“天川屋の義平は男でござる”に触れ、子供のころ、三波春夫のレコードで聞いたのは“アマノヤリヘイ”と覚えているが、なぜなんだろう、と書いている。なぜなんだろうもない、仮名手本忠臣蔵では大石内蔵助が大星由良之助、浅野内匠頭が塩谷判官と、名前を全て変えている。実名の方が天野屋利兵衛、芝居での名前が天川屋義平である(天野屋利兵衛の方も綿屋善衛門という商人をモデルにした架空の人物という説もある)。浪曲や映画では本名でやるわけで、一般的には“天野屋利兵衛は男でござる”の方が通 用している慣用句のはず。知識というのは主筋のものに、周囲のさまざまな雑知識がからまりあって生成されるものなのだが、最近は、歌舞伎というセントラルな知識の部分のみ吸収して、その周辺の雑知識に関してはのっぺらぼうな人が増えてきた。歌舞伎というものが広がりをもたぬ狭い文化になってしまったということでもあるし、また、文化人たちのアトヅケの勉強の限界なのかもしれない。

 恵贈書は児嶋都さんから綾辻行人原作の『眼球綺譚』(角川書店)。手紙によれば児嶋さんが綾辻さんと面識を得たキッカケは、私がホラーウェイブという雑誌に書いた、児嶋さんの『こども地獄』の書評であったそうな。あのホラーウェイブという雑誌、版元のロクでもない対応に心底腹がたった雑誌だったが、それを思うとちゃんと存在意義はあったわけである。

 8時、『船山』でK子と夕食。キンキ鯛のカブト焼き、こんなデカいキンキの頭は初めてみた。ヒレの付け根の筋肉が弾力あって美味。あと、シッタカ貝も、赤ん坊の握りこぶしくらいあるのが出る。御飯は昼にも食ったシラス飯。旬のものはなんべん食べてもうまい。帰宅、ネットでニュースを見たら三波春夫死去の報。K先生の文章に三波春夫のレコードのことが出てきている。西手新九郎見参。

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