20日
金曜日
アッとアナログ為五郎
なに、まだこんな旧式? 朝、8時まで熟睡。さすがにここまでは〆切も追い掛けてくるまいという安堵感か。枕の高さが頭に合わず、4時ころ目が覚めたが、戸棚の 中の予備枕と重ねて調節してからは、ぐっすり。
8時半、ホテル2階のレストランで朝バイキング。去年の国際ホテルの朝飯は世にもひどいものでK子が怒り出したくらいだったが、ここはまだ、まし。食後、おみやげ店を冷やかす。ヤシ細工のクロンボ人形がまだちゃんとあるのがうれしい。品名が“ヤシ土人”というのがこれまたうれしい。これはわれわれ海洋民族の南方楽園幻想 の象徴であって、無くしてはいけないモノなのである。
昨日に倍していい天気、さわやかな陽射しに思考力を奪うような湿気を含んだ風。人生に疲れたらここにしばらく住もう、と決意。11時、木六さんと、今日の運転手の824(ヤッシー。326のパチ名か?)さん、迎えにきてくれる。木六さん、今朝、印税の振り込みがあったというので意気軒昂。総勢五人で乗り込んで、名護まで出発。だいたい、2時間弱の道のりである。K子、“沖縄にそんなに走れる距離があ るの〜?”と叫ぶ。
看板類にいろいろ情緒あるものがあり、飽きずにいける。嘉手納のあたりの不動産屋の看板に『軍用地売ります・買います』。あと、軍放出品関連の面白そうな古道具屋さんがいっぱいあった。右足の膝関節が、せまい車内でじっとしているうちに痛み出すが、耐えられなくなる前に、なんとか名護に到着。島料理の店、『しま』(まんま)。別に由緒あるというところではなく、居酒屋みたいな店。しかし、ここのイルカ料理は又吉さんご推薦らしい。オリオンビールで乾杯し、イルカ炒め(残念ながら季節でないため冷凍もの、刺身とかはなし)。シャコ貝刺身、ヘチマ炒め、あとは沖縄でやたら看板を見かける、ステーキ&イセエビ。私はステーキのみにする。ステーキには沖縄らしくケチャップみたいなソースをかけて食べる。まず、なにはともあれイルカ炒め。ニラやモヤシと一緒に炒めるのだが、イルカの肉は、こないだチャイナ ハウスの石橋さんが言っていたように、脂身部分と赤身部分がクッキリと別れて三枚 肉風になっている。それでイルカを漢字で書くと“海豚”、というのだとか。
一口食べると、強烈な香りが口中に広がる。が、決して不味いものはない。クジラのベーコンのアクをもっと強くした味である。冷凍のせいか、赤身はパサパサしていてちょっと食べにくいが、脂身の部分はモチモチしていて、風味があり、珍味、という感じである。ゼラチン質豊富で、健康食として通りそうである。ただし、これは沖縄料理全般に言えることだが、温かいうちに急いで食べなければいけない。冷えるとすぐ、固くなってしまう。一緒に頼んだヘチマ炒めも、十分もするとすぐ、水が出て縮んでしまう。以前、新宿のマッサージパーラーの受付に置いてあったイルカヒーリングの本に、著者(イルカ大好きの女性)が、当然イルカ食には反対で、“反対するからには一度食べてみなくては”と、伊豆でイルカ料理を“自分の赤ん坊を食べてるような気分で”涙を浮かべながら食べる件があった。著者は、“おいしくなかった。これで、イルカを食料にするという必然性がないことがわかった”と書いていたが、自分の子供を食べるような気で食べてうまいわけがないし、たぶん、食べる前にいろいろ逡巡して、箸をつけたときにはすでに冷えてしまっていたのではないかと思う。ところで、イルカを沖縄ことばでヒートゥというそうだ。ヒートゥ食い人種か。
昼日中の飽食とビールジョッキ三杯で、すっかりダルくなってしまい、帰りの車中で居眠りとなる。ところが、乗っていた車のラジエーターから煙が出始める。どうもどこからか水が漏れるらしい。近くのスタンドに寄って調べてもらうが、修理が必要ということ。まことに気の毒だが824くんには残ってもらい、われわれ三人はバス に乗って、嘉手納(だったかどこか)のところで降り、そこのTシャツ屋通りをそぞ ろ歩く。K子がヘンな柄のシャツを見つけて買い、私はドラゴン柄の帽子を買う。九州あたりの高校生が、スポーツの大会かなにかで沖縄に来ているらしく、ゾロゾロ歩いている。沖縄の高校生は東京なみに洗練されているのだが、九州の子たちは、昭和50年代のまま、という顔つき風体で、笑ってしまう。アメリカもののカードとビデオを物置きみたいに並べて売っている店(学校帰りの子供たちが床に座ってカードを戦わせている)があったが、そこで木六さん、ビデオをバカバカと買い込む々々。
一旦ホテルに帰って荷物のみ置き、またトンボで出る。いささか強行軍である。睦月さんが東京の漫画家協会で知り合ったという女性(島袋さん)と落ち合う約束だったが、彼女が仕事で遅くなるというので、また四人で食事。去年も行ったびん殿内という店で食事。去年食べられなかった島ラッキョウをつまむ。うーん、私はこれと泡盛があれば、もう何もいらない。またモノカキ談義となるが、わたしは脳が働かず、馬刺しというメニューを見て、これも沖縄馬かね、じゃあシマウマだね、などという知能程度の低いギャグを飛ばすのみ。途中で巨大な島ゴキブリ(笑)が出て、K子が悲鳴をあげる。店員がつかまえたが、お客のおばさんが“あら、ゴキブリ? ちょっと見せてよ、私、まだゴキブリって見たことないのよ”と脳天気に叫んでいた。
国際通りの地ビールの店に場を移して、島袋さん待つ。落ち合ったところで、彼女のバンに乗って、沖縄居酒屋へ。サイコロコロ助の如き体型のお姉エさんのいる店であった。ここでも島ラッキョウ。金曜日で満員状態であり、座敷の奥の席だったが、ちょうど睦月さんの座った頭上に、カラオケ用の巨大モニターが吊るされている。ダモクレスの剣みたいである。島袋さんは土地の情報誌のようなマンガを描いている人なんだとか。11時半まで、なんだかんだとしゃべる。しかしよくしゃべる旅行であることだ。ホテルに帰り、まだ大浴場が開いている時間だったので、ここで一日の疲れを洗い流す。満足々々。