裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

3日

火曜日

野獣死すべさ

 伊達というくれえだから東北出身じゃねえのけ。朝7時起き。朝食、イタリアンウインナーというわけのわからないもの。昨日読んだ『上方食談』に、関東煮(かんとだき。大阪でおでんのこと)の店の看板で“関西風関東煮”というのがある、と出ていたがそれを思い出した。テレビで『明日があるさ』のことを取り上げていて、坂本九さんの歌を吉本興業の若手が……と紹介している。それで初めてこの原曲のことが頭に浮かんだ。坂本九の『明日があるさ』はもちろん知っているが、あの独特の歌唱法で歌っている曲が最初に頭にあると、今のはまったく違う歌に聞こえる。それで、さっぱり元歌をイメージしなかったのである。いかに坂本九の歌い方がユニークなものであるかを、改めて認識した。

 午前中、ダカーポコラム一本。K子の弁当作りも。オカズはソーメンチャンプル。週刊文春から電話。昨晩FAXで届いていた、書評原稿依頼の件。横田順彌さんの本のものなので、引き受ける。新文芸座から電話、諸事情により、ギャラクシークエストの上映はちょっと延期になったとか。あれ、残念な。単館上映でかなりヒットしたので、夏休みあたりにまた拡大上映をねらっているのではあるまいか。

 打ち合わせの予定が流れたので、今日はずっと仕事。某社原稿、送ったはずが送られてなく、元原まで見つからない。トホホである。週刊読書人を書く。現在の連載原稿中、最も字数の少ない原稿(一回700字)であるが、それだけに言いたいことを過不足なく、説得力持たせて盛り込むのに苦労する。短い文章を書かせると、はっきりそのモノカキの実力が出るからコワイ。今日届いたダカーポ新刊のコラム、これも短い中に、“ところが”でつなげた箇所が二つもあった。急いで送ったせいか、見のがしてしまったのか。あちゃあ、と思い、少し落ち込む。本当はところがでもなんとなればでも、何回入ろうと気にならない、独自の文体を開発しなくちゃならないのだ けれどな。

 昼のおかずは、と思ったが何もない。こないだ食った豚肉とワカメの煮きあわせがおいしかったので、また作って食べる。食後、散歩に出て、そのまま六本木へ。あおい書店で買い物。一階と二階に売り場が別れて、買いにくくなった。風が強くて、何度も帽子が飛びそうになる。春の風。小学生のころ、この風の運んでくるほこりっぽい匂いを嗅ぐたびに気分が浮き立ったものだ。最近、風に匂いがしなくなったのは東京住まいのせいか、こちらの鼻のせいか。

 帰ってまた仕事。さすがに最近、夜中までパソコンの前にハリつくことが多くなった。朝は早くからやる代わり、午後4時を過ぎたら仕事はしないと決めていたのであるが。六本木で買った資料を使って、フィギュア王原稿9枚。力入れずに書き出したのがよかったか、スイスイと行く。光文社からメールで、文庫の要望が一度に四冊分も来る。うれしくなるが、しかしそのうち二冊はいきなりの文庫化。やはり、できれば単行本にして最初は出したい。

 フィギュア王、9時までかかりざっと形にしたところで、新宿に出て、寿司処すがわら。常連らしい客が、自分の甥と姪、それにその友人の女性を引き連れてきた。この若い連中、“ちょーおいしいー”などとはしゃぎながら、やれアワビだ、やれトロだ、やれワタシは火を通してないものダメですう、とか、傍若無人。非常に不愉快になる。若い連中がキャッキャッと喜んでいるのを見て顔をしかめるのは、老人の特権的な娯楽なのだな、と、このごろやっと気がついた。ふりかえってみれば自分も若いころ、伯父などに身分不相応な高級店に連れていかれ、顰蹙をかったこともあったとは思うが、しかしそんなことは忘れ、大いに“最近の若いやつらは”と、不愉快を楽しむ。その常連客は、甥や姪に御馳走してやって(こないだもどこだかの高級店に若いの九人連れていって、一八万とられちゃったよー、とか言っていた)、いい気分になっているのだろうが、若い奴らはアナタが思っているほどには決して感謝していない。年上の者がオゴるのは当然と思っている。私がそうだったからな。

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