21日
土曜日
ゲバラ焼肉のたれ
焼肉闘争の歴史的例外か前衛か。朝、8時半に食堂で睦月さんと待ち合わせの予定だが、その直前まで熟睡。このような眠りは東京ではとれない。三遊亭圓生が『狐忠信』を歌舞伎ばなしでやる、その前座につく夢を見た。食堂の朝食、昨日とは(少しだが)メニューが違っているのに感心した。札幌のグランドホテルが5日間、まるきりおんなじメニューだったのを思うと、心遣いは沖縄の方が上ということになる。ミソ汁まで、昨日は赤だし、今日は白ミソ。食事後、一階の喫茶店に行く。開いているのだが店員はおらず、コーヒー・紅茶はセルフサービスで、料金は箱にいれろと札が 出ている。もっとも、この箱なるものが見当たらず。
部屋で買った荷物類を箱につめ、ゆうパックで出す。ちょうど、朝のテレビ小説が沖縄を舞台にした『ちゅらさん』。すさまじく誇張された沖縄ことばで会話がなされている。余貴美子がクリクリの絵里さんそっくりなのに驚く。最初は本人が出ているのかと思った(絵里さんの父親は新東宝俳優の沼田曜一)。今日は帰京日だが、帰りの飛行機が夜なので、たまにはごく普通の観光も、ということで、首里城まで出向いてみる。石造りの堅牢な城塞、という感じ。もちろん、米軍の爆撃によって完全に破壊され、現在のものは復元物。沖縄のものは何でも気に入る私だが、この首里城は、中国の宮殿のミニチュアという感じで(感じというよりまさにそれで)、あまり気にいらない。歴代の王の肖像画の写真(本物は全部爆撃で焼失した)が飾られているのだが、これが王の偉大さを表現するため、回りの家臣たちよりはるかに巨大な、身長十メートルくらいの大きさに描かれていて、ちょっとヘン。『ちゅらさん』の主人公がアルバイトでやっていた、観光写真のコンパニオンがいっぱい。
朝からどんより曇った天気だったが、見学途中から雨が降り出し、やがてドドーッとスコールのような降りになる。こないだのコミケのときもそうだったが、さすが南国の雨、という感じ。近くのソバ屋に避難して、島らっきょうでオリオン・ビール。睦月さんはラッキョウ・ニンニクが食えない人間なのだが、島らっきょうは食べられるのだそうだ。南国の雨の昼のビール、最高ですなあ。
そこからタクシーでまた嘉手納まで行き、ここのアメリカン・アンティークグッズ店へ。ユニバーサルの狼男のオモチャなどを買う。木六さんはナポレオン・ソロとイリヤのフィギュアを買っていた。そう言えば、昨日、ケッタイな日本ミヤゲ屋(帰国する米兵がここでニッポンの思い出になる品を買う)に入ったのだが、あれば買おうと思っていた(ずっと昔、海洋博に来たときにはどこにでも売っていた)コブラとマングースの(なぜかハブでなくコブラ)戦いのシーンの剥製がない。木六さんに、田中星児が“みんなのうた”で歌っていた『悲しきマングース』って唄を知っているかと訊いたら、やっぱり知っていた。“皮をはがれてこの姿、マングースウの悲しみを明日はどなたが笑うやら”という歌詞は子供向けの唄とはとても思えぬスゴいものがある。メロディの都合でマングースが“マングースウ”になっているのが困りもんだ と聞いた当時思ったもんだが。
公設市場で買い物。チャイナの主人が、燻製になっていないイラブーがあったらおみやげに欲しい、と言っていたので探すが、どれも真っ黒に燻製されたものばかり。代わりにチラガァ(豚の顔の皮をそのままのカタチに剥いだもの)を買う。で、こないだと同じく、市場で魚類を買い、二階のツバメ食堂で料理してもらう。前回、伊勢海老がちょっと大味だったので、ダルマエビというやつにし、身は刺身に、頭は味噌汁にしてもらう。これがアタリで、刺身だけは沖縄のはマヌケな味がする、という先入観が払拭されるおいしさ。沖縄人の木六さんも“へえ、今度から人を連れてくるときは伊勢海老でなくダルマエビにしよう”と言う。他にアバサー(ハリセンボン)の空揚げ、なんとか鯛の塩焼き。酒は久米仙という泡盛で。この泡盛は木六さんに言わせると、典型的な、アル中浮浪者の抱えている酒らしいが、いかにも泡盛らしいクセがあって、上品すぎる古酒より、むしろ私には好みである。
それから開田あやさんに彼女の好物の島バナナを買い、三越でお茶して、飛行場へ行く。今回も木六さんには徹底してお世話になった。五月に上京してくるらしいのでそのときに恩返しをしよう(車の修理費ということでちょっとお金を受け取ってもらうことにした)。そろそろ、東京に残してきた〆切のことなどで頭が痛くなる。
機内乗り込み。睦月さんは今度はブザーが鳴らぬように、と、ベルトからメガネからはずして検査していた。東京まで気流に乗ったか、2時間強の早さで到着。機中、由麻角高介こと木六さんのアンドロギュヌスもの『フォーリンソルジャー』(マイクロデザイン)と、宮田登『終末観の民俗学』(ちくま学芸文庫)という、よくわからない取り合わせの読書。『終末観の……』面白いが、冒頭に出てくる“もの言う魚”伝説のことが、巻末に収録された評論にも、ほぼ同じ内容で出てきて、冒頭の方のそれが『宮古島旧史』から、となっており、しゃべる魚の名前が“ヨナタマ”、で、巻末の方が『宮古島旧記』からであり、魚の名の表記が“よなまた”。どっちじゃい、と言いたくなる。こんな大きな部分での食い違い(巻末のものは文庫化にあたってつけくわえられたもの)を、著者も筑摩の編集者も、見逃していたんだろうか。木六さんのは、さっきまで会っていた、しかも顔から人となりまで熟知している人間の書いたエロをエロとして読むのに大苦労を要す(笑)。
羽田着、10時半。睦月さんとどこかで食事でも、と思ったがすでに空港内の店は閉まっており、東京まで出ると睦月さんには遠回りになる。別れて、タクシーで帰宅する。こないだの『宣伝会議』のゲラチェックが金曜午前中戻し、になっていたのが少しあせる。とりあえず、赤入れてFAX。寝るが、夜中に目が覚めてしまい、二階で缶ビール小一本、飲んでまた床につく。