裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

4日

水曜日

「私の日記帳ください」「へい、マイダイアリー!」

 タイトルに意味はない。また早く目が覚めて朝7時起き。朝食、今日はドイツのフランクフルトソーセージ。日記つけ、昨日書きかけだったフィギュア王を完成させて編集部とK子にメール。天気は幸い快晴で、筆の進み具合順調。ネット通販でCDを いくつか買い込む。

 と学会新刊本、そろそろ原稿を書き出せと編集Hくんから。構成段階で上がっている担当書をいくつかチェック。笑える度数が少ないものを、もう少し面白いものに差し換えなくてはならない。それと、書庫の奥に入り込んでしまっているものを引っ張り出してくる作業も(実のところこれが一番大変)。

 1時、時間割にて、世界文化社のDさん。前書の、前半部分のみを見せる。何か、当初の予定よりヘビーな文化論になりそう。それはそれで、書くのが面白い。お花見の季節だというのでアラレをいただく。芝居や寄席演芸のことについていろいろ雑談はずむ。新感線の野獣郎も見ているそうで、三日目あたりの間の取れていないことはひどいものだったそうだ。後半に行って正解だったかもしれない。Dさんもやはり、野獣郎のキャラクターの立っていないことには不満だとのこと。小岩の、ヘルスセンターにある劇場『湯宴座』で大衆演劇見て、それから楊州飯店でメシを食う、というツアーをやろう、という話になる。

 帰ってイナリ寿司で昼飯。これだけでは腹が夜までもたないので、ローソンで買ってきたフライドチキンをおかずにする。食べて、また原稿。今度は海拓舎。大宅壮一『日本の裏街道』をネタに、今回の本のミソとなるところにかかる。リキが入るところなので、なにか充実感は書いていて感じるが、筆はそんなに進まない。

 5時にFくんが今日までのところ取りにくるのだが、結局原稿用紙換算で10枚ほど。途中で、旧知のライターのMさんから、コメント依頼の電話がかかる。DVDで『エマニエル夫人』シリーズが発売され、若い世代の女性中心に、大変な人気だという。この映画のリアルタイム世代として思い出を語れ、とのこと。高校二年のときの公開で、“すっげえエロな映画が来たらしいぞ”と悪童連中でウワサしていたのであ るが、英文法の門田センセイが、ある日授業で、“あの映画はとにかく、画面が大変 に美しい。君たちは普段アメリカ映画ばかり見ているだろうが、あの作品を見ると、ヨーロッパ映画というものの素晴らしさがよくわかるだろう。学校としては当然、生徒には行くことを禁じているが、かまわない、内緒でコッソリ観てきなさい。言われているようないやらしい映画では決してない”と言った。この門田センセイは自宅に16ミリの映写機を備えて、上映会をやっているという、かなりユニークな先生で、今思うとちょっと軽薄なカルチャー好きのエエカッコシイではあったが、私に大変に影響を与えた教師の一人だった。少なくとも、セックス映画を高校生に勧める、というのは、ミッション系の学校の教師として大胆な発言だったと思う(もっとも、一般映画扱いでの公開だったから、学校も露骨に取り締れはしなかった)。さっそくその日の放課後、忘れもしないススキノ狸小路の帝国座に、こっそりと観にいったものである。それまでも授業をサボってサンドラ・ジュリアン主演の洋ピンなどを観ていたが、そういう映画の女優とはまったく違った、胸も小さく、ボーイッシュなルックスのシルビア・クリステルの裸が、確かにエロとはまた別の、不思議な魅力をかもしだしていた。

 もっとも、そこはやはり風が吹いてもチンチンがおっ立つ年頃である。“思ったほどエロじゃないな”と、同じく観にいった同級の多田くんや進藤くんと(誰も誘いあわずに一人で観にいっていたのがオカシイ)話し合ったくらいで、その前年、やはりコッソリ観にいって、翌週あたりクラスじゅうが火のついたような騒ぎになっていた『燃えよドラゴン』や、その翌年、受験勉強をほっぽり出して観にいって、監督の才能に大衝撃を受けた『ジョーズ』などとは比較にならない印象だった。この映画の面白さを再認識したのは、やはり大学時代、映画の乱観賞をしていた時期に、恵比須か五反田の映画館でシリーズ三本立てを観てからである。エマニエル以上に、彼女に性の手ほどきをするマリオ老人役のアラン・キュニーが光っていたし(これも受験生時代に観た萩原健一主演の『雨のアムステルダム』という映画で、このキュニーは日本商社の取引先のホモのオランダ富豪の役で登場し、ショーケンのカマをほっていた。とにかく、男女見境ないスケベおじさんというイメージがこの二本で焼き付き、ヨーロッパ映画界におけるかなりの名優であると知ったときにはオドロいた)、彼がエマニエルに伝授する、アジア人の性の楽しみ方の極意が、どうもケッタイなものであるということもそこで初めて認識した。この映画はヒロインが外交官夫人で、東南アジアや香港が舞台になるのだが、そこで描かれるアジア風俗が、いかにもヨーロッパ人のイメージするアジア像なのだ。

 この映画が火付け役で、その後各映画会社は競って女性向きソフト・ポルノ映画を輸入するようになるが、やはりその皮きりの『エマニエル夫人』のインパクトにかなわないのは、結局、門田センセイが指摘したような画面の美しさと、シルビア・クリステルのカリスマ性、そして、なにも知らなかった女性が性の喜びに目覚めていく、という、“金持ち国にやっとなって物質的満足は得たが、次は何を求めたればいいのかしら?”という状態にあった日本の女性たちの欲望に火をつけるストーリィだったということが理由だろう。まさに、時代の要求と登場の時期がカッチリと合った、希有な例の作品なのである。……てなことを話していたら、あっという間に一時間たってしまった。『エマニエル夫人』について語るなんて、電話があるまで思いもしないことだったし、まとまった感想など高校時代以降一回も考えたことがなかったが、これだけしゃべってしまったことに我ながら驚く。Mさん、“これで一冊、本を書けますよ”という。おかげで、その途中でやってきたFくんを一時間待たせるハメになってしまった。まことに申し訳ない。しかも分量が少ない。代わりに、マンション下のロビーで、今回の本のキモがどういうものになるのかをしばらく熱弁。

 仕事部屋に帰ったら、またMくんから折り返し電話。さっきのコメントを元に彼がインターネットで検索した結果をもとに、また少ししゃべる。6時45分、家を出、タクシーで新宿東口。紀伊国屋で少し買い物。それから鶏料理屋『鳥源』。Web現代連載の『裏モノ見聞録』を本にまとめるにあたり、これまでは第三書籍部が刊行することで進めていたのが、講談社内のセクション規定の変更により、Web現代自体が企画して出版する、というストレートな形になった。担当のIくんと、企画部のHくん、営業のFさんなどと、顔合わせ&打ち合わせ。もっとも、今回は私はすでに原稿は書き上げてしまっており、あと、本をどのような形にしていくかは、井上デザインとの相談で、それについてはK子が主導をとって仕切っていく。初顔合わせのFさんはいかにも営業畑という感じの人、Hくんはなんとマンガ家のくらたま(倉田真由実)の亭主だそうである。くらたまと言えば『この文庫がすごい!』99年版で、日本官能文庫大賞の審査員をセクハラ気味にやらされていて、安達さんや睦月さんのを読んでいたヒトではないか。世間はせまいよなあ。

 Iくんは本の最初にネット業界マンガを載せようといい、華倫変なんかはどうだろう、と言っている。担当だった(?)らしい。華倫変は私の大のお気に入りであり、それが描いてくれればうれしいこと限りないんだが。鳥源の料理、今日はウズラの姿焼きを頼んだら、数が足りない、ということで、私にはハトを焼いて出してくれた。うれしい。濃厚な味をたっぷり楽しむ。今日は原稿もかなり書いたし、疲れているので、そこで家に帰り、倒れ込むように寝よう、と思ったら、またMくんから追加電話あり、三十分ほどさらに深いエマニエルばなし。なんなんだ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa