25日
水曜日
池田裸族
裸で心霊鑑定! 朝の夢は昨日の焼肉会をそッくり再現したものだった。心底ウマかったらしい。3時ころトイレに目を覚まして無茶な二日酔いだったが、7時の起床時にはすっかり回復。酒は弱い方だが、肝臓はツオい。朝食はサツマイモの茹でたのと、葱花湯(ツォンフォアタン:ネギのスープ)。これは昨日の『食をもって天となす』で覚えた、中国農家の朝ごはん。サツマイモは塩を少々加えた水で、水が無くなるまで茹で、鍋の熱で少し蒸す。この方式が一番サツマイモの甘味が出る。本来の葱花湯は葱と塩だけでダシもなにもないそうだが、それでは寂しいので中華スープの素を少し入れる。
好美先生の奥様から、先生の本が三十冊ほど届く。半分は持っているか見たことのあるものだったが、初期のもので、まったく知らなかったものも大分ある。『ネズミ娘』という本の、タイトルの下に『RADE GARL』と英語が添えられている。GARLはGIRLの誤記だろうが、LADEはやっぱりRATだろうか。違いすぎる気もするんだが。ここらのおおらかさが貸本時代の魅力ですな。
快楽亭の師匠から電話。12月9日(土)なかの芸能小劇場の『鬼畜変態マル秘ビデオ篇』の宣伝について。昨日の八起に師匠が来なかったのは、その前日、八起の主人夫婦を連れて歌舞伎を観に行き、御礼に肉をもらったからだという。“出かけるまでもない、テメんちで食べられますから”だそうな。来年は私も師匠のレクチャー受けて歌舞伎を集中して見てみようかと思う。
人間の知識量というのは平行して増大しない。FMISTYなどを見るとつくづくそう感じる。博識をふるって科学的論陣を大いに張りながら、モノの言い方(丸い卵も切りよで四角・・・・・・)を心得ない御仁もいる。もっとも、“似非”だの“専ら”だのが読めない、というのはさすがにひどいと思うが。例え否定派がどんなに科学的検証を行おうと、一般大衆が心霊などありえない、と完全啓蒙されることは未来永劫決してない、と思うし、また、どんなに肯定派が実例を示して科学の穴を突こうと、ひとびと全てが“心霊は確実に存在するのだ、ありがたや”と改心することもまず、あり得まい。大衆は“なさそでありそな”その微妙なアヤフヤさを好み、宙ぶらりんなままに結論の出ない状態で奇談を楽しみたいのである。本来、まっとうに常識の地平に足をつけながらアヤシゲさをアヤシゲであるが故に愛するそこらのスタンスが、知 識人のとるべき姿勢だったはずなんだが・・・・・・。
1時、時間割で村崎百郎氏と鬼畜対談。案外続くな、この連載も。少し前に外出して、チャーリーハウスでパイコートンミン。揚げ肉のコロモがしみじみうまい。店を出たら担当Kくんとカメラマン氏が、撮影用喫茶店を探してウロウロしていた。村崎氏の用意してきた資料をもとに、今月は松坂問題、英国スッチー失踪問題、ミニにタコ問題など。村崎氏から“鬼太郎占い”なる占い記事をもらう。生年月日から自分が何の妖怪かを見る、動物占いの変形だが、“ぬりかべ”という分類の特長が“役立たず”。で、その分類の有名人のところに“乙武くん”があがっているところがスゴいというかヒドいというか。ちなみに、私もこのぬりかべだった。何かうれしい。適している職業は哲学者だそうである。
話題はダラダラとつきず、4時まで。そのあとパルコブックセンターで書評用の本を数冊、買う。半、歯医者。自分の歯がいかにひどい状態であるかをカメラを使って説明される。帰ってしばらく原稿書き。ヒロポンでネット検索したら、私が先月、SFマガジンに書いた原稿に触れていたサイトがあった。私が『サザエさん』で子供たちがヒロポンを飲んでラリる回があったと書いている、とある。実際はちゃんと『似たもの一家』と書いているのだが、記憶の中にはサザエさんで刷り込まれる。記憶ってものはオモシロイ。そう言えば今日届いたSFM12月号に、植木不等式さん監訳 のマーク・ミナシの本の書評が載っていた。
7時半、新宿紀伊国屋前でK子と待合せ。伊勢丹会館内のロシア料理『ペチカ』で夕食。かなり日本風にアレンジされた味で、あまり面白味はない。ワカメのピクルスというのが前菜についてきたのに驚いた。ロシア人も海草を食うのか。。