裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

8日

日曜日

サンポール・マラーの迫害と暗殺

 まあ、トイレにマラーはつきものだ。朝、6時までフトンの中。3時に目が覚めたがじっとガマン。3時には肩がパンパンに腫れて痛んでいたが、6時にはスッキリとしていたのはさすが。朝食、サラダスパゲッティとコールド・コンソメ。梨四切れ。ダイエー優勝したそうな。初の日本シリーズON対決というわけだが、この盛り上りの欠如は何。テレビでそれを伝える徳光アナの声が鼻声で耳に障る。風邪の季節(二日酔いかもしれないが)だなあ、そう言えば。睦月さんも、風邪が腹に入ってすさまじい胃痙攣を起こしたとのこと、官能倶楽部パティオに書込みあり。本日の旅行、大丈夫か?

 母から電話。親父の上京、結局飛行機でなく、北斗星になったという。私としては所用時間の短い飛行機の方が絶対にいいと思うが。母の、親父上京にかける情熱は、もうロマンの段階。これは止めてはいけない。すでに親父は母のもの、なのだ。それはともかく、お節介な馬鹿が口を出して、飛行機でなく、寝台車で連れてくることになったという。烏滸の沙汰とはこのことだろう。いったいそいつらは寝台車というものがどれだけ疲れるものなのかを知らないのだろうか? 病人の移送に対し最もケアが行き届いている交通期間は飛行機なのである。だいたい、現在の寝台車は車椅子が乗せられない。通路に車椅子が通る幅がないのである(気圧で血管が切れるなどと考えているとしたら大マヌケな話だ。ゼロ戦に乗せやしまいし、そんな事例をこれまで見たことがあるか?)。連れていくものの身になって考えられない奴が何を言うか、 という感じである。

 10時半、家を出てタクシーで新宿西口。長野コイ塩焼ツアー初日なり。コイの塩焼とはいかなるものか、詳しくはこの日記の99年10月25日の記述を参照。あれから一年、去年のメンバー(睦月、談之助)に開田夫婦、さらに植木不等式一家四人を加え、総勢十人で長野へ。睦月氏も何とか来ている。談之助とはぐれるなどの小ドタあったものの、去年もここで腹ごしらえをしたまずいソバを京王デパート上のレストラン街で食い(K子の発案。ここでマズいものを食っておけば長野での食事がさらに引っ立つ、という考えらしい)、1時に高速バスで信州飯田、伊賀良まで。

 こないだはフリーの人間ばかりだったので平日だったが、今回はサラリーマンの植木氏一家同道なので連休に出るという人並みなことをやる。バスも前回の貸切同様の状態に比べ、ずいぶんと込み合い、かつ道路も混雑、途中のサービスエリアでの休息をはさんで4時間以上かかる長旅となる。開田さんは『SFジャパン』の筒井版大魔神を読んで呆れていた。伊賀良到着は6時近く、しかし去年に比べおみやげセンターなどが出来、ずいぶんとバス停近辺がモダンになった。さすが米どころ、夕闇せまる空にスズメの群が雲のように固まって飛んでいる。近くに国定食料備蓄倉庫があるので、そこをねらってるんじゃないか、とみんなで話す。

 十名という大人数なので鯉料理屋『見晴』がマイクロを出してくれている。これに乗って繰り込み、さっそく饗宴。すでにテーブル席に巨大な真鯉の塩焼あり、焼きマツタケあり。鯉は(去年も書いたが)川魚特有のドロ臭さが微塵もない。鯉は塩焼が一番旨い、と書いていたのは誰だったか(子母沢寛だったか?)。身の方は淡白、皮はモッチリしていて濃厚、目の下六○センチはあるくせに味がきめ細かいのはエサがよほどいいのだろうか。・・・・・・しかしながら、今回の私的ヒットは大皿に山盛りで出てきた洗いであった。鯉の洗いは東京でもよく食べるが、季節の風物という感じで、あまりウマいものでもない、と思っていた。それが、ここのは美味清冽、身そのものの甘味と、水に洗ったあとかすかに残る脂の甘味が、舌にじわりと染みて、かくも鯉の洗いはウマかりしか、と感嘆。とにかく、この鯉づくし(あと飴炊き)がどれだけうまかったかというと、唐沢、開田、談之助、植木、睦月というこのメンツで、座が静まり返ってしまったほど(みんな、食う方に忙しかった)だということでもわかると思う。あやさんなどは山盛りでこの洗いを食べ、動けなくなって横になってしまったくらいである。

 そこを辞し、ヒコク氏のとんかつ屋兼喫茶店『信濃路』へ。ここのご主人は木下さんというのだが、K子などは“ヒコクさん、ヒコクさん”と呼び、むこうも“ハイハイ”と返事をする。なぜ木下氏が被告なのかは
http://www.tokyo-np.co.jp/meiryu/990424m1.htm
 を参照のこと。座敷でかぼす焼酎をご馳走になりながら、明日の晩、開催されるという、上清内路という村の大煙火(花火)大会のビデオを見せてもらう。この、上清内路という村は、江戸時代に特産物であった煙草と木櫛の行商で三河地方を訪れた村人が、煙草と引替に火薬製造の秘伝を伝授してきて以来、村人たちが花火を趣味としており、現在でも村の成年の八割が危険物取扱免許を所持しているという、花火の村なのだそうで、戦中戦後の混乱の中でも花火大会を敢行し続け、現在に至るという。一般の観光客は見学できないことになっているそうだが、いや、これがすさまじい迫力。スターマインの大連発が夜空を染め、ワイヤー仕掛けで蝶が飛ぶわ、トンボが飛ぶわ、ピノキオが飛ぶわ。大シャクマという車輪状の火車が回り、花笠という円盤状の火車(ネズミ花火のデカいようなもの)が火花を撒き散らしながら回転する。そこに村人たちがワッと集まり、水垢離を取るようにして、流れ落ちてくる火花を浴びるのである。もう、村人たち興奮の極であり、見ると、そのハッピの方や背中は火花で穴だらけになっている。よくまあ、怪我人が出ないものだ。ビデオで見ていたわれわ れも大興奮。植木氏と
「サバイバル・リサーチ・ラボラトリー(SRL)なんかメじゃないね!」
 と話す。談之助は、そこの店のトンガラシが辛くてうまい! と驚いて、メーカーを確認していた。

 10時過ぎ、信濃路を辞し、湯元・久米川という温泉宿。去年も泊まったところだが、畑や田圃の真ん中に一軒だけ、近代的な旅館がポツンと建っている。畑のところを掘っていたら湯がわいてしまった、という感じである。みんなで温泉につかって、ハア、と溜息をつく。去年は月が皓々と照っており、まさに“信濃では月と仏とおらが蕎麦”という感じだったが、残念ながら今回は曇空。部屋でビールと菊水飲みながら、1時近くまでダベる。

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