裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

水曜日

タイラノザウルス入道清盛

 まさにREX(王様)。ゆうべ寝るときにノドが腫れて痛くてたまらず、救心の赤玉風邪薬と麻黄附子細辛湯をのんで寝たが、これがドンピシャに効いて、すっかり回復。4時ころ目が覚めるが、体調はよろしく、5時半からまたしばらく眠って7時半に起床。夢をこのごろ頻々として見る。今日は何か理由は知らないが駅のような建物の中を逃亡している夢。ゲームのように、行き止まりに思えてもどこかに逃げられるヒントが隠されている。実家からこっそり送金してもらっての逃亡生活のうらぶれ感も夢の中でしみじみ味わって面白かった。昨日、TV『逃亡者』のナレーションは正確にはどうだったか? なんてことをちょっと考えていたので、それが出たか。7時半、朝食。ダイエットスープと煮卵、梨。K子にはポーチドエッグとナス炒め。

 午前中、『Memo・男の部屋』の原稿を書く。朝のうちに片付けようと思っていたがちょっと間にあわず、11時、ビジネスキング(我が家のOA機器を全て扱っている会社)社長S氏来訪。現在のパワーマック9600をG4に入れ替えろ、と勧めてくれる。別に普段の仕事でそうマックを活用しているわけではなし、システム的にはDVD−ROMがついているのが魅力、というくらいなのだが、なにしろコンパクトで、これを現在書き物用に使っている(本置き台と化している)デスクの方に持っていって、場所ふたぎになっていたパソコンデスクを撤去すれば、仕事場にもう一台書棚を置くスペースが出来るな、と考えて、即OKする。リース代も一二○○円以上安くなる、というのがS氏のウリだったが、プリンターを、現在、FAXとコピーに使っているミノルタのDIALTAをパソコンに接続させて、とかいうことになり、なんやかやで結局、一○○○円アップとなる。だまされたみたいな気もするが、しかしG4はやはりカッコいい。

 2時まで結局かかって、『男の部屋』完成。昼は六本木まで出て、銀行で入金確認し、それから警視庁横の立食いソバ屋で冷やしたぬき食べる。もうメニューからは抜かれていたが、頼んだら“いいすよ”と作ってくれた。明治屋が休みで、丸正で買い物し、帰る。

 東浩紀対談集『不過視なものの世界』(朝日新聞社)を、パラパラと読む。忙しくてじっくり読む暇がないのが残念。いずれ、きちんとした書評はどこかでやりたいと思うが、とりあえず、語り下ろしであり、この本の基幹を成すという阿部和重との対談にのみ、ざっと目を通す。他の対談とまるで異なる、翻訳みたいな口調によるやりとりがおもしろい。“だと思うね”“なのと変わらんぜ”“そうしてくれ”などという、非・日本的にさえ感じられるリズミカルで知的な会話調は、他の話者がやるとたぶん鼻持ちならないものになってしまうと思うが、この二人の、いい意味での書生っぽい友人関係に大変にマッチして、読んでいて実に楽しいものになっている。

 もちろん、以前この二人がTINAMIXで暴走族マンガを論じたときにも感じた“薄さ”に対する引っ掛かりはいくらもある。揚げ足取りと言われるのを承知で一つ二つ指摘すれば、238ページで阿部氏が『未知との遭遇』以前のハリウッド映画では宇宙人は必ず不気味な怪物的イメージに仕立てあげられていた、と断言しているのは、SF映画マニアに鼻で笑われる無知だろうし(『地球の静止する日』などの名作を忘れてはいけない)、東氏が258ページで霊現象や超感覚に対する関心が一般 化したのはエドガー・アラン・ポー以降、などと言っているのも、かなり乱暴な言いきりだ(小説に限ったところでウォルポール、ベックフォード、アン・ラドクリフ、マチューリン、ホフマン、ブルワー=リットン、ポリドリ、その他モロモロの超大物をまったくネグレクトしている)。さらに東氏がリミテッド・アニメに関して、これを手塚治虫以降の日本のテレビアニメが生んだもの、と思っているらしい誤謬は本質に関わる問題だろう(228ページ)。

 氏はリミテッド・アニメを“ディズニー・アニメ”(何故かフル・アニメーションという用語を使っていない)に対立させて論じているのだが、そもそもリミテッド・アニメーション方式を確立したのはディズニー・プロダクション脱退組が一九四八年に組織したUPAであり、さらにその技術を逆輸入させた、ディズニー古参のウォード・キンボールによる一九五三年の『プカドン交響楽』で方式としての完成を見た、というのがアニメ史における常識のはずだ。つまりリミテッド・アニメはディズニーが作ったようなものなのである(東氏は一秒二十四コマで撮ったものがフル・アニメで、十六コマで撮ったものをリミテッドだと思っているらしいが、リミテッドだって一秒は二十四コマである。一枚の絵を何コマずつ撮影するかが違うので、ディズニーでもよほどデリケートな動きの部分以外は一枚の絵は二コマずつ撮っている。詳しくは「宮崎作品のアニメーション技術考」〜キネマ旬報社『フィルムメーカーズ6/宮崎駿』所載〜などを参照のこと)。ディズニーのフルに対して日本はリミテッド方式を編み出した、などという図式は全く成り立たない。手塚治虫がテレビアニメを製作しだすより十年も前にリミテッド・アニメは“完成”してしまっているのだし、いわゆる“ジャパニメーション”の代表たるスタジオ・ジブリ作品などは、もはやディズニーですら行い得ない律儀なフル・アニメーションの伝統を保持していることによって注目されているのである。

 東氏のカン違いはリミテッド・アニメをTVの動画節約システムから生まれたものとする俗説をそのまま信じ込んでしまった故のものだと思うが、仮にこの文脈のまま読者が理解するとすれば、氏は『もののけ姫』を見て、それがフル・アニメで撮られているのかリミテッドなのかを分析するだけの鑑識眼も持たぬということになりかねない。名称や歴史的事項などのケアレス・ミスであれば(私もケアレスはしょっちゅうの男だし)ともかく、こういう基本的な錯誤を前提にアニメの映像論だのオタクの視線だのを語っていたのでは、オタクのリスペクトどころか、ディープオタクに嘲笑されるのがオチだろう。綱渡りのようなロジックが見所の対談だけに、はしばしに見られるこういう部分に、この対談にとって致命的なものになりかねない危険性が内在していると言っていいのではあるまいか。

 8時半、新宿紀伊国屋前でフィンランド語教室を終えたK子と待合せ。居酒屋“くらわんか”に行こうとしたが満員、南口陸橋横(まんがの森ならび)のトルコ料理レストラン“ウシュクダル”に入る。エフェスというトルコのビールで、ナス、豆、ホウレンソウなどのペーストをピタパンにはさんで食べる前菜、シシケバブ、ウシュクダル・カウルマという、羊の肉の炒め煮(おいしい)、それとトルコ風ラビオリ。満足々々。お値段も昨日の半額以下だし。麻布十番にスウェーデンレストランがあるという話。ここにも行かねば。スウェーデン食わぬは男の(前にやったか)。

 K子のフィンランド語の教科書を見せてもらう。単語の格変化が十種類(主格、属格、対格、分格、内格、出格、入格、所格、離格、向格)もあり、しかもこれが単数と複数に分かれ、おまけにこの格それぞれにさまざまな用法がある。例文がいささか他の国語の教科書のものに比べ、ユニークなのはこのせいか。それとお国柄ね。
「月は照らず、星は瞬かず、オーロラは輝かなかった」(いかにもフィンランド)
「そこでは7人の兄弟の冒険について語られる」(どこで?)
「フィンランドでは人々はよくサウナに入り、ビールを飲む」(うらやましい)
「2列の鋭い歯がある大きな口が開いた」(なんのだ!)
「雀は驚いて猫を見た」(見ずに逃げると思う、雀なら)
「私は出来るだけ南の太陽の下で生活したい」(切実)
「私は森でブルーベリーを摘んでいた」(これもフィンランドらしい風景)
「熊はブルーベリーを食べ始めた」(私はどうなった?)
「山の王はSampoLappalainenをつかまえるために長い腕を上げた」(誰?)

Copyright 2006 Shunichi Karasawa