裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

月曜日

今日も元気だ継子がにくい

 健康のため継母には注意しましょう。朝、7時半起き。雨垂れの音が耳に心地よく響く。窓の外、山々が靄にけぶり、山水画の如き幽玄たる光景。バスに長時間揺られた甲斐はあった、と、しばらくその景色に見入る。さんなみの朝の海や蛍もそうだったが、探せば東京の近間でも見られるようなものであっても、遠く時間をかけて訪れたところで見たものというのは、受け取るこちらの感性の端末が活性化しているために、特別な感慨と一緒に脳細胞に焼付けられるのである。旅の風情というのはそういうものであろう。味覚においてもこれは言えるし、旅で出会う女性が魅力的なのも、またしかり。

 8時、大広間で朝食。バイキング方式で、シャケ、納豆パック、味付けノリなど、ごくごく一般的なもの。ひとつ、何だこれは、と思ったのは真っ黒い奇怪な物体で、よく見るとタクアンを佃煮にしたものだった。案外ウマい。

 朝風呂を浴びようかと思ったが、体がダルくなるといけないと思い、我慢する。ゆうべは脱衣場で、開田、睦月、植木の三氏が体重計を前にして増えた減ったとかまびすしいデブ談義をしていた。支度終えてロビーでくつろぐ。オミヤゲ売り場を冷やかす。去年はどこにでもあったザザムシの佃煮が姿を消している。以前、何かの本で、天竜川でザザムシ漁をしている老人の話を読んだが、まさかその、日本唯一のザザムシ漁師の身に何か・・・・・・? 代わりに、蜂の子の塩漬けというビン詰めがあった。ほとんどの蜂の子は甘露煮になってしまっているので、これは珍しい、と買い込む。

 帰りのバス、さすがは連休で満席状態。昨日、八人は何とか取れたが残りの二人がちょっと・・・・・・ということだったので、われわれ夫婦は飯田から汽車で帰ろうかと話していたのだが、バス増便が出たそうで、何とか安心。それにしても談之助という人はこういう予約や問い合わせを実にキメコマカにやる。私などは彼に比べたらまるきりの旅行無能者である。

 フロントに付随している喫茶店でコーヒーを飲み、植木さんの息子とウノでひと勝負する。ヒコクの木下氏迎えに来てくれて、また去年同様水引美術館へ。最初行ったときは期待してなかったわりに案外キッチュで面白かったが、さすがに二回目はダレる。オミヤゲ売り場で“まむし油”というものを買う。独自のまむし蒸発釜で製しているんだそうだが、まむし蒸発釜ってなんだ。おまけに、買ったはいいが何に使うものかも、まるでわからず。

 そこから山の上にある手打ちソバ屋、『末広庵』に。これも去年と同じコース。タクシーで言うと、渋谷から中野くらいまでの距離を山中に入り、ドライブインのような見晴らしのいい中腹に、主人がバンザイしている姿のコンクリート製の像が立っている。三遊亭新潟に似ているようでもあり、神田北陽に似ているようでもある。写 真を撮っていると、その主人が出てきて、興奮気味に、
「今年のソバはいい! 俺がここで十何年ソバを作ってきて、最高のソバ粉が出来た んだ!」
 とマッド・サイエンティストの如き口調と表情でしゃべり、われわれの掌に、その最高というソバ粉を乗せてくれる。舐めてみると、なるほど香り高い。大盛りソバを頼み、地ビールで乾杯。これが軽い味のビールで、スイスイ入る。辛子菜の漬物がまた、いいサカナである。ソバはなるほど、自慢するだけのシャッキリした味で、ソバ好きの開田夫婦が感動していた。ここで去年、木下ヒコク氏に教わった食べ方で、例の長野の辛い唐辛子を、ソバの上にふりかけて食べる。わさびよりも、ソバの味がストレートに味わえる、ような気がする。

 そのソバ屋のおみやげ品コーナー。植木さんの奥さんはキュウリや玉葱を見て、安いと驚いて買い込んでいた。私は、ここの店のお爺ちゃん特製の、スズメバチ酒というのを買う。焼酎にスズメバチを漬け込んだもの(ちゃんとビンの中に十数匹、プカプカと浮いている)。“ハチのバイアグラ”という宣伝文句もスゴい。図として大迫力なので買った(2500円)のだが、お爺ちゃん、私の肩を抱くようにして、ニヤニヤしながら、服用法を説明してくれる。杯イッパイを三倍に薄めて、一日一回。二杯飲んではイケナイそうである。そして、さらにニヤニヤしながら耳元で、
「それとな、奥さんには飲ませんこと。殺されるからねえ」

 昼ビールでみな、かなりいい御機嫌になり、『信濃路』の座敷で少し、休ませてもらう。普通の旅行なら、こう自堕落にはできない。日刊スポーツ新聞読んだら、『肛門にポールが!』という大見出しの記事。ホモネタかと驚いたら、棒高跳びで、宮城県で行われた日本選手権の男子棒高跳びで、安田覚(25)という選手が跳んだ時、はずみでポールが尻の穴に突き刺さり、重傷を負ったというものだった。
「陸上の日本一を決める大会で、痛々しい事故が起こった。安田が5メートル40の跳躍を行った直後のことだった。失敗すれば競技終了となる3回目。体は鮮やかな弧を描き、バーの上を通過した。マットへ着地しようとした空中で、悲劇が起きた。直前まで手にしていたポールがでん部、ちょうど肛門部分にグサリと突き刺さった。
 安田は苦痛に顔をゆがめながらマットに落下。ほとんど同時に、先端が血で赤く染まったポールが、体の横に倒れてきた。あまりの痛みに声も出ない。大量の出血でもともと赤いマットが赤黒く染まった。すぐに応急処置が施され担架で医務室に直行。救急車で運ばれた。陸連関係者も“こんなの見たことない”と驚くばかりだった」
“もともと赤いマットが赤黒く”というあたり、この記事、単なる報道を越えて悪趣味記事になっているところがイイ。写真には、股に血をしたたらせて苦痛にあえぐ安田と、心配そう、というよりは、“あらまー”という表情でその傷をのぞきこむ女性の顔が。お嬢さん、嫁入り前の身でそんなところをのぞいてはいけない。ご丁寧に、突き刺さったポールの血まみれの先っちょの写真まで載っていた。記事には他に“安田のポールは先端にカバーをしていなかったため、ダメージが大きくなった”とも書いてあった。やはりゴムはつけねばイカンのですな。・・・・・・ちなみに、安田選手はこの跳躍自体は見事にクリアし、二位入賞を果たしたそうだ。本業は教師だそうで、こんな事件のあと、学校で悪ガキたちになんとウワサされるか(ひどいアダ名がつくんだろうなあ)とは思うが、ともあれ、銀メダルおめでとう。

 2時、バス停留所に送ってもらい、最後のオミヤゲあさり。猪肉のカレーを買う。バス、さすが連休最終日は混み、新宿に帰りついたのは7時ちょい前くらい。旅そのものは楽しかったが、乗物でバテた。しかし、このごろ狂乱的に遊んだり食べ歩いたりしているな。私は学生時代にそういうバカ騒ぎをあまり経験していないので、昨今で取り返す気になっているのかもしれない。家に帰って、メール整理する。8時半、道玄坂まで出て牛たんねぎしでからし味噌たん焼き食って、帰って寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa