13日
月曜日
どエリア51
「どえりゃーもんが隠されとるんだがね、あそこにゃ」
※書き下ろし原稿 買い物 トツゲキ稽古
朝9時半起床。
今日もいい天気。
朝食摂って、弁当作ってもらって
仕事にかかる。
某社から、メールではラチがあかんと思われたか電話で催促。
催促されるのは光栄なことだが、やはりあせる。
今週中に、と約す。
スケジュールをそれ含みでいろいろ変更。
少しストレッチ、体力復調いまだしを感ず。
息切れひどし。
依頼した宅配業者さん、微妙な時間に来る。
遅くはないから文句も言えないが速攻というわけでもない、という。
バーバラから、夜、『オタク論』ゲラを手渡したいと言われるので、
じゃ稽古場に持ってきて、と言っておく。
その他、楽工社からもメール。
入浴して、新宿へ出て買い物ちょっと。
ルミネエスト地下で、K子の誕生日プレゼントを買う。
家に戻ったら特撮関係のマイミクさんから連絡あり、昨日、
田中文雄さん死去されたとのこと。愕然。
脳出血だそうで、まだ67歳。
元・東宝プロデューサーで、岸田森に和製ドラキュラを
演じさせた『血を吸う』シリーズをはじめ、『惑星大戦争』、
『エスパイ』など、日本におけるSF・ホラー映画の理解者として
ユニークな作品をいくつも送り出した。
泡坂妻夫唯一の映画化作品、『乱れからくり』も
田中プロデューサーの功績だが、泡坂氏とは、雑誌『幻影城』
の佳作仲間であった。
何より、特撮ファンクラブGの顧問として、いつもお元気に
飲み会に参加され、洒脱にミステリや映画の話などをされていた。
若すぎるし、突然すぎる死だった。嗚呼、そうと知っていれば
『悪魔が呼んでいる』の話などをもっともっと、聞いておいたのに!
プロデューサー退職後、作家に転身され、ホラーを書く他。
別ペンネームで架空戦記の大多作作家になられたのには驚いた。
最盛期には毎月2冊の単行本を出していた!
ちょっと信じられない執筆量である。
そう言えば私が『SFマガジン』にエッセイを連載したのは、
田中さんに勧められたからであった。
「唐沢くん、『SFマガジン』には書いておいた方がいいよ。
原稿料は安いけど、あそこに書くと他の雑誌での扱いが違ってくる」
そう言われたので売り込んで連載を始めたのだが、さして他の雑誌で
扱いが変わったとも思えず、次に会ったとき
「田中さん、別に変わりませんよ」
と文句を言ったら
「いや、キミはエッセイだろ? 小説のことを言ったんだよ、
小説。アハハ」
とかわされてしまった。
あのいたずらっぽい笑い声と顔が、ずっといま、脳裏に浮かんで
いる。ご冥福をお祈りする。
おーいくんにメール、すぐ電話で返信。
田中さん、数年前に歯の手術をした際の輸血(?)によって
肝炎になり、ここ何年か人工透析を受けられていたそうである。
脳出血は心不全、感染症と並んで透析患者の三大死因と
言われている。やんぬるかな、である。
しかし歯の手術が後に自分の命を奪うとは、ワセダ・ミステリ・
クラブ出身の田中氏も、思ってもいなかったろう。
6時、再び新宿に出て『いつも心に怪獣を』稽古。
もちろん、みんなは田中文雄という、84ゴジラに関わった
プロデューサーの名前など知らない。
台本、やっと私の次の出演シーンが出来てくる。
怪獣にも名前がつき(?)やや発展しているも、横森&永野コンビ曰く
「まだ、唐沢さんのカッコいいシーンは書いてない」
と。うーむ。
アドリブかなり入れてやってみる。怪獣ものに絶対に必要な
“あのセリフ”とか。
大阪チーム(この芝居は大阪での出来事と東京での出来事を
平行して描いている)の青木忠宏さんが、長野に仕事で行ってきた
とかで、松本の名物焼きそばをおみやげに持ってきてくれる。
ソース焼きそばだが、太めの麺に、キャベツと牛肉だけという
シンプルな具がいい。
稽古中、平山先生から電話。てっきり田中さんのことかと
思っていたら違う話。思い掛けないキッカケになるか?
バーバラからも無事ゲラ受け取り、近くの『世界の山ちゃん』で
東京組決起集会と称する飲み会。
ワイワイといろんな話。久しぶりのこういう飲み会なので
テンションあがる。
12時に解散となるがまだ飲み足らず、松ちゃん、助くんと
連れ立って上海小吃。隣の席にいたグループが私の顔を知っており、
名刺交換したら日テレの関係者だった。
3時までダベって帰宅。
*写真、世界の山ちゃんでの飲み、松本名物たけしやの焼きそば。
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