7日
火曜日
鰻のDAIGO
「鰻ご馳走っすか。まじっすか。先のとこでしょ? うぃっしゅ、ハンパないっすよ」
※D社最終ゲラチェック 国立演芸場談笑独演会
目が覚めて枕元の時計を見たら、なんと9時半。
一回も目を覚まさずにぐっすり寝ていたというわけか。
まだ完治とはいかず、胸の奥に息苦しさ残り、タンもわずかながら
出るが、効果は着実である。
9時半朝食、例によってジュース、スープ、ミルクティーの水分系。
ハリセンボンの箕輪(痩せてる方)が結核だったという。
結核の主な症状は咳で、これが長期続くときは疑った方がいいと
いうのが常識で、私も実は自己診断でそれが心配だった。
ただし、一般症状としての発熱がなく、体重減少・食欲不振さらに
なく(むしろ増えてる)、栄養・休養・睡眠の結核予防注意事項は
全て満たしているので、まあその危険はあるまいと思っている。
昼は弁当、タラのムニエル。
D社の最終ゲラチェックをバイク便で今日中に出さねばならないので
必死で赤入れをする。
無事取りに来たバイク便にゲラを渡し、さてそれから、と思ったところで
オノからメール、NHK『熱中夜話』打ち合わせがあることを
コロッと忘れていた。以前、渋谷にいたときは忘れても連絡あれば
すぐ、時間割なりベラミなり東武なりにすっ飛んでいけたが、
新中野ではそうもいかず。大慌てで新宿までタクシー飛ばし、
らんぶるに駆けつける。Yくん、共同テレビのお二方。
今回もコメンテーターは田中公平、腹巻猫、私、のおじさん三人組
(第一部のみ)。田中さんは作曲家として、腹巻さんはアニソン
研究家として切り口がある。私は時代背景担当。
アニソンの変遷と、それに歌手の個性がいかに時代の欲求に
応えてきたか、を主に語ることになる。
話しているうちにひとつ、ある企画のアイデアが浮かんだ。
急いでまとめてみようと思う。
なんだかんだで1時間半、しゃべっていた。
Yくんの話聞きながら新宿駅。彼は私の日記に触発されて(?)
『幕末の将軍』、いま読んでいるという。
別れて丸ノ内線で赤坂見附まで、
通路歩いて永田町駅、半蔵門線で半蔵門。
国立演芸場で立川談笑独演会。
楽屋口から入って、前座さんに案内されて楽屋へ。
楽屋では何か落語通らしい方々の落語論議。
談笑夫妻(とリクト)に挨拶、雑談。
例の店での料理会の提案に大賛成を得る。
そのまま楽屋に残って聞かせてもらうことにする。
国立の楽屋も久しぶりだが、モニターが液晶テレビになった。
今日は前半で怒涛の三席連続、それから休息はさんで一席。
三席連続というのは体力よほどないと出来なかろう。
『無精歯科(無精床の歯医者バージョン)』、『饅頭とか怖い』、
『百川改(百川を六本木叙々苑に設定しなおしたもの)』。
途中で水をペットボトルで飲んだり、マクラからネタへの
移行がグダグダだったりするのも、もはやこれは計算だろう。
落語という芸能が、聞き手の、落語世界への意識的な足の踏み入れ
を必要とする芸だということが、テレビに慣らされている現代人に
落語を遠ざけさせている因のひとつだとするなら、そのハードルを
いかに下げるか、が落語家にとり必須の懸案事項となる。
壺算を薄型テレビ算に変えたり、紺屋高尾をジーンズ屋ようこたん
に変えたりという、ネタそのものの改変はその最たるものだが、
談笑はどうも、語りの形式そのものでも、ハードルを下げ、
「堅苦しくしなくていいんですよ」
と語りかけているような気がする。
休息時間に、メール連続。喜ばしいニュース一件、光栄なお誘い
一件、それとエッと驚く報告一件。ま、これも決して悪いニュース
ではないのだが、ひたすら意外。今後の予定の変更が頭にグルグル。
後半は『短命』。国立でやるバージョンとしてはギリギリの
演出であろう。終って、ロビーでのサイン会を見学に行く。
アスペクトのK田さん、ちゃんと販売要員として売っていた。
私の姿を見かけたお客さんから、『超落語』に、私のサインも
もとめられ、次から次へと、時ならぬサイン会の様相を呈する。
それも終り、kazさんたちと打ち上げ。
近くの焼鳥屋『どど』へ。うなぎの寝床みたいに奥の深い店で、
そのどんづまりの部屋で総勢11名ほど。
Kさんという、音響マニアで落語マニアの年配の人がマニアックな
昭和落語ばなしを始める。私は鬼畜ばなしがひさしぶりに(テポドン
のことなど)したかったのだが、ついつい、好きな道だけに
先代柳橋や柳好の話、九代目文治の話などで盛り上がってしまう。
談之助の会ならいいのだが……反省。
11時、お開き。K田さんとタクシー相乗りで。
帰宅して、おとつい買った豆腐がそろそろ賞味期限なので、
簡単に湯豆腐風にして、DVDで黒澤映画など観ながら1時半まで。
マッコリサワー二杯、黒ホッピー一杯。
*楽屋で携帯でスケジュールチェックする談笑さん。