2日
木曜日
うしろの朔太郎
地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ(心霊現象だ!)
※角川書店打ち合わせ
朝8時までぐっすり、目が覚めてから急にゲホゲホ。
豪貴に聞くと水代謝がよくないための湿咳だろうという。
9時半、朝食。
バナナリンゴニンジンジュースとスープ。
ベッド読書が『暗殺の政治史』(リチャード・ベルフィールド 扶桑社)
で、トイレ読書が『幕末の将軍』(久住真也 講談社選書メチエ)。
いずれも面白い。コロムビアから送られた『巨人の神話』、
『スルタンの象と少女』のサンプルDVDを見る。
YouTubeで断片は見ていたが、やはりDVDでストーリィ
をつなげて見るとイメージが違う。
それにしても少女にオシッコまでさせてしまうのは、やはり
ヨーロッパである。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001QYPD5G/karasawashyun-22
何か腹が減って、早めに弁当(掻き揚げめし)食べる。
その割には、最後まで食べきれず。
この体調不良、まあ年齢考えればありがちか。
2時半、家を出て、中野坂上から大江戸線で飯田橋。
この路線は用いたことなかったのでやってみたのだが、
都庁前で乗り換えなくてはならず、しかも飯田橋駅で降りてから
出口まで駅の端から端までという感じで歩かされる。
やはり中野から総武線という手で行くべきであった。
K社で担当H氏と打ち合わせ。
著者が私を直に名指ししてくれた、画集の解説。
絵そのものを語るのでなく、大衆アートとしての挿絵、表紙絵の
歴史を語ってほしいという要望が以前、電話で来た。
だいたいこんな風で、と思惑を話すと、Hさんがメモした
著者の思惑とだいたい重なる感じ。
その他の企画のこともお願いできるそうで、これは来てよかった
と思った。
30分ほどで辞去。
歩いてJRの駅まで。いくばくの距離でもないが、やはり胸が
バクバクいって、ハアハアと息をつく。
本調子じゃないなあ。新宿まで行き、京王デパ地下で買い物。
こういうところはいくら体調が悪くても苦にならないのが
われながら現金である。
タクシーで(大事をとって)帰宅、すぐ横になって1時間ほど寝る。
咳は出ず。背中にちょいゾクゾク感あり、風邪か、とも思う。
不思議なのは、この体調不良が始まると共に、その前に苦しんでいた
朝鬱などがすっかり晴れて、むしろ意気は軒昂といった感じに
なっていることである。まあ、いくつかの要因は他にもあるが。
8時半、雑用いろいろすませ、夕食。
鶏モツ煮と、鯨赤身ステーキ。
モツは要するに卵管である。ぶつぶつと長いのをハサミで切って
酒と出汁と牡蛎ショウユでさっと煮る。本当に薄味にさっと
煮ただけでおいしい。甘辛く煮付けると、すぐ飽きてしまう。
鯨赤身ステーキは、刺身用肉だったのでちょい上品すぎ。
ああ、こうでんさんからいただいた鯨肉は濃厚な風味だったなあ。
DVDで『東京暗黒街・竹の家』。
サミュエル・フラーが1955(昭和30)年に日本を舞台に
作ったノワール映画。
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ストーリィは戦後占領下の日本でパチンコ店チェーンを配下に
置き、それを隠れ蓑に犯罪グループを作っている男(ロバート・
ライアン)の元に身を寄せる正体不明の男(ロバート・スタック)と、
一味の男の元・妻であった日本の女・マリコ(山口淑子)の恋物語、
という荒唐無稽な話で、ロバート・ライアンが主人公にホモ的な
愛情を抱いて好意的に扱い、他の仲間が嫉妬する、というあたりが
ちょっとヘンテコであるが、他はとりたてて見るものもない。
やはり現代の目でこれを見る価値は、五十年前の東京風景で
あろう。浅草、銀座、佃島などから、何故か警察と主人公が
こっそり連絡をとるのに鎌倉の大仏のあたりまでわざわざ出向く、
という地理的に無茶苦茶なシーンもあるが、まあそれは観光映画
として仕方なかろう。しかし、ちょっとショックなのは、
昭和30年と言えば高度経済成長の始まりとされる年、
日本がやっと欧米と肩を並べるスタートラインについた年と
思っていたが、そこに映された日本の、あまりの貧しさである。
この年には大阪にゴジラとアンギラスが上陸して大暴れをしている
筈だが、2年前、ゴジラが破壊をつくした大都会・東京の面影
はまるでない。銀座は映っても、三越や服部時計店といった
ビル街などは存在しないかのように無視され、露店の建ち並ぶ
薄汚れた格好の人間たちの闊歩する路地みたいなところばかり
撮影されている。監督の趣味なのだろうが、若い女性はみんな
振袖で、子供たちが“かごめ、かごめ……”と唄っているなんてのは
どう見ても明治時代である。
何とか30年代を意識できるのは、ラストの浅草松屋の屋上遊園地
のスカイクルーザーくらいか。1950年から1960年まで、
東京のシンボルのひとつとして稼働していたという。これは、
乗ってみたかったなあ!
公開時は“国辱映画”と糾弾されたそうで、若い人たちのネットでの
感想で
「そう言われて(期待して)見たが、それほどでもない」
というものが多いのは、もう、今の世代には、昭和30年代と戦前の
風俗の区別などがまるでわからなくなっているからではないか。
戦後10年、やっとの思いで復興してここまできた、という感慨の
あった当時の日本人に、ここまで日本を後進国扱いで描かれれば、
国辱と騒いで当然だったろう。今の目でみれば大笑いだが。
役者で、悪党一味でいつもニヤニヤ笑っている男で、どこかで
見た顔があり、誰だっけと首をひねって(ロジャー・コーマンかな、
とか思った)IMDbで調べてみたら、なんとドクター・マッコイ
ことディフォレスト・ケリーの若かりしころの姿だった。
さらに、ギャングの一味に、こないだ亡くなった『吸血鬼ヨーガ伯爵』
のロバート・クオーリーがいる。出番はわずかだが、その
整った顔は印象に残る(逆に、『荒野の七人』のブラッド・デクスター
は、大きな役だがまるで誰だかわからない)。あと一人、
海外版の『怪獣王ゴジラ』で、レイモンド・バーの脇にいた日本人
のトモ役のフランク・イワナガの顔が見えた、と思い、
IMDbで検索してみたが、フランク・カワナガという人物は
出ているが、イワナガの名はなし。誤記か、この時はカワナガという
名で出ていたのか、それとも全くの別人か?