裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

23日

日曜日

情無用のジャンゴダイニング若

イタリア製マカロニちゃんこであなたをおもてなし。

※麻衣夢ライブ@高田馬場

朝、7時半起床。
突発的に目覚めてはで関根政美『エスニシティの政治社会学』
など読んでいたので目がショボショボ。
シャワー浴びて、ネットなど巡回、9時朝食。
ネクタリンとタネだらけミカン。

午前中はダラダラ。
と、いうより動きたくないほど肩凝りなどひどいので
今日はマッサージ行こう、と決意。

マルセル・マルソー死去の報。84歳。
知人・友人にパントマイマーが多いので、
マルソーの“神”ぶりは十二分にわかっているつもり、
“ではあるが”、じゃ彼の芸術が完全に理解できるのか、
楽しめるのか、というと、素直にハイ、とは言えないのが
残念である。どうも敷居が高かった。

現代では芸術中の芸術、と言われるマルソーのマイムだが、
実は彼の本来の評価は、パントマイム芸術の大衆化に
あったはずだ。パントマイム演劇を“わかりやすく”演じ、
古典研究家たちの手から一般観客へパントマイム芸を
取り戻した、のがマルソーの真の功績なのである。
http://www.officeww.com/mime/about/history.html

いつの間にか、信奉者たちによってマルソーは
神格化され、人間性とか人生とかを表す高尚な芸、と評価
されるようになってしまった。
彼自身がユダヤ人で、ナチスのフランス侵攻の犠牲者(父親が
収容所で死んでいる)ことも、それに輪をかけた。
世界中が、彼の芸の中に“意味”を求めた。
単に風に逆らって歩く男を演じても、その技術やナンセンス性を
素直に楽しむのでなく、それにいろんな“意味”が
つけ加えられるようになってしまった。
マルソー自身、彼が芸の基本にしたチャップリンと同じく、
自分の芸を人生にからめ芸術として語り始めた。
マルソーの芸を素直に楽しむには、私の世代では残念ながら
そういう“高級な雑音”が多すぎたのである。

http://jp.youtube.com/watch?v=30J3ct0QX1Y&mode=related&search=
↑1960年来日のときの、素顔のニュースフィルム。
思えば、当時、文芸評論家、映画評論家、演劇評論家など、
評論家と名のつく人種は口を開けば“フランスでは”と
語った。『サザエさん』や『おそ松くん』などで、
それはしょっちゅうからかわれていたが、とにかく、
当時の日本人のアタマの中では、フランス人は大統領から
道端の浮浪者まで、国民こぞって芸術を理解するインテリという、
ありえない理想文化国家としてイメージされていた。
フランス渡来の文化は全てが“高級芸術”でなくてはいけなかった
(“フランスにだってバカもいる”と、やっと70年代に入って
喝破したのは篠沢秀夫である)。

日本におけるマルソー受容は、そういう偏光メガネを
通して行われたきらいがある。その結果、パントマイムは
“寄席芸としては高級すぎ”のイメージを多くの日本人に
抱かせた。映画『総長の首』(中島貞男、79)の中に、
西村晃が白塗りの老パントマイマー役で特別出演している
(横縞のマルソー風衣装だったが、演じていたのは
ジャン=ルイ・バローのバチストの代表作“首吊り”)。
ドサ回りの寄席一座の中で、“ゲイジュツ”である彼の芸は
地方の客に受け入れられず、野次を飛ばされ憤慨した彼は、
打ち上げの席で一升瓶をたたき割り、そのガラスを、口を血だらけ
にして噛み砕きながら、“オレの芸はパリでこそ通用するんだ!
こんな田舎でやる芸じゃないんだ!”と悲憤する。
西村晃一世の名演だったが、しかし、この脚本家(神波史男)の
パントマイム芸に対するイメージはあきらかだろう。

パントマイマーたちの多くを見ていると、
あたら才能ある若い人たちが、
「マルソーにどう近づくか」
あるいは
「マルソーからどう脱却するか」
で一生を費やしてしまっているような気がする。
神格化の弊害ではないだろうか。

私の貧弱な体験の中で、マルソーの位置づけは、CMや
NHKの舞台中継、映画『バーバレラ』、それから同じく映画
『サイレント・ムービー』の中で、全員無声喜劇を演じて
いる中でたった一人、“一言だけしゃべる人物”としてのそれ、
であった。思えば時代の不幸だった。
これから、そういうイメージを払拭して、マルセル・マルソー
の芸を、もう一度、残った映像などで見直してみたいと思う。

ところで、今のフランスのパントマイムってどんなのかと
思ってYouTubeを探っていたら、こんなのがあった。
http://jp.youtube.com/watch?v=Zdtm0NN_UUQ
↑これも、芸術というより“生SFX”として楽しみたい芸
ですね。

昼は母の室でマグロのヅケ丼。
シソが大量に酢飯に敷き詰められているのも嬉しい。
家庭料理はこれくらい俗でなくては。
テレビで総裁選の模様を見る。
麻生太郎、かなりの善戦。
絶妙のバランス感覚、と誰かが言っていたがまさに、である。
日本人というのは結局、政治的バランスをとることに
長けた国民なのだ。
バランス感覚のよすぎる人間が大きなことを成し遂げられない
という弱点があることも承知のうえの意見だけど。

4時、家を出て渋谷へ。
事務所にはよらず、そのままマッサージへ。
1時間揉んでもらい、その後、西武デパ地下で
今日の麻衣夢ちゃんライブ(麻衣夢、という芸名は
パントマイムと関係ないのかな?)の差し入れのお菓子を買う。
ちょうど北海道フェアをやっていて六花亭の
“サクサクカプチーノ”と北海道プリンがあったので
これを買う。サクサクカプチーノを手に取っていると、
二組の女性二人連れがそれを見て、
「これおいしいのよね〜え!」
と言っていた。

山手線で高田馬場。
連休中日でえらい人出。
さかえ通り商店街を久しぶりに通る。
この通りは昔は焼鳥屋ばっかりだった記憶があるが
(だから抜けるあたりにエステー化学のヒヨコの看板が見えると
みんな笑った)いまはトルコ料理やタイ料理の店が並ぶ国際色
豊かな通り。時間がちょっとあったので日高屋に入って
カタヤキソバで腹ごしらえ。

会場の天窓comfort。ピアノのある、シンプルでおしゃれな
ライブハウス。rikiさんがカメラをかまえていたが、
首てぬぐい姿が場所に似合わないのに笑ってしまう。
市森正洋さん、TBSのHくんなど来ていて挨拶。
今日は三人の女性歌手のライブだったが
麻衣夢ちゃん、トップバッターで出演。
トークに関西弁が混じるのがキュート。

テーマは“LOVE”だそうだけど、
そこは麻衣夢ちゃん、家族への愛や、がんばる人生への愛
が主で、ホンモノの“LOVE”の曲は一曲だけ。
とはいえ、その曲(“MELODY”)が一番印象に残った。
『地獄の楽園』の稽古を通じて、実は麻衣夢ちゃんの
女っぽさに驚いたので、もっと事務所もそれを
前面に出してもいいんじゃないか? と思う。
実は自分でも思ってもいないイメージが、一般に浸透する
パターンは多いのである。

来年はCDを出して、全国ツアーを企画しているそうだ。
がんばる子はいっぱいいるが、それを具体的に自分で形に
出来る子というのはなかなかいない。
成功してほしいなあ、と心から思う。

席は40席くらいの会場だが、立ち見がずらりという
盛況。麻衣夢ちゃんに挨拶して帰る。
rikiさんと“匠”に行こうと誘われたが、
連絡したら今日は休みだそうで、残念。
もっとも、カタヤキソバのせいでお腹はかなりくちい。

帰宅して、『風林火山』見ながら酒。
ビール、日本酒、ホッピーというサイクルだが、
量はいつもの半分。
ミクシィをチェックしたら、皆神さんから、
亡き父上の葬儀を密葬にした、との書き込み。
密葬が一番、と思う。
他人は所詮他人、家人の迷惑など考えない。
私の父が死んだとき、告別式が終って、式場から帰り、
母がもう疲れ果てて倒れるようにソファで寝てしまったとき、
「どうしても合わせて欲しい」
と言って訪ねてきた人(薬局のお客)がいた。
葬儀の終わった夜の遺族の疲れも慮らず押しかけてくる
という非常識。
K子が応対に出て、
「もう母はくたびれきっているので、帰ってください」
と言い切って、どうしてもというその女性を押し返した。
あれはK子でないと出来ないGJだった。
資料ビデオなど見ながら12時半まで。

*麻衣夢ちゃんの撮影はもう当然の如くrikiさん。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa