裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

13日

土曜日

俺がこんなに強いのも、アタルヴァ・ヴェーダのクラッカー。

クリシュナの時次郎。

※神田古書センター、『モウラ』原稿

朝8時起床。ゆうべの酒でノドが渇く。二日酔いというより三日酔い。頭重く、肩がバリバリ。酒凝りであろう。

9時朝食、朝は昨日と同じくベイグルにスモークト・サーモン、クリームチーズ。ミカン。2ちゃんねる閉鎖のニュースかまびすし。無くなって困るというものではないが(困るという奴も困ったもの)、しかしネットが生み出した、たぶん最大の文化であり最大の怪物であろう。これによって、それまで知らんぷりでいればよかった自分の作品への“悪意”に、全てのクリエイターたちはさらされることになった。人間性善説は全くの世迷い言となった。私自身、いろいろ言われて気分を害することも多かった。とはいえ、これが“人の内心”の正体である、と世に知らしめた事実は大きい。ここの存在を無理に無視したり、書き込む人間を罵っているばかりでは人間というものはわからないし、ものを創作することなど出来はしないだろう。はしゃいでいるところも多いがそう簡単になくなるとも思えず。

知人某氏より、結婚の報告と披露宴への案内。まだ先の話であるが。しかし、実はもう一人の知人も長い独身生活に別れを告げて近く新婚生活に入る予定でいる。最近、友人たちみな遅まきながらも春を迎えている。結構なこと。

雑用すませ、12時に家を出る。地下鉄乗り継いで神保町。古書センターで今年の古書展初め。東京愛書会なので、雑多きわまりない本が並んでいる。映画関係の本、料理関係の本多し。カストリ系雑誌もあったが、ほとんどさらわれた後のよう。十冊ほど買って8000円ばかり。

出て、その後のいつものルートたどるが閉まっていた。文省堂が取り壊されて跡形も無くなっているのを発見、ややショックを受ける。私が神保町に通い出して三十年、そりゃ変わらない方がおかしいとはいえ、変わってほしくない街の代表なのだからして。

ボンデイに久しぶりに入ってアサリカレー。ここにも三十年通っていることになるか。大テーブルについたのだが、年配(60がっこう)の親父と若いヤクザっぽい男(40くらい)が親しく話していた。聞くともなく聞いていたが、何か変。何が耳にひっかかるのかと思って聞いていたら、親父の方が若いのに対して敬語を使い、若い方が妙に横柄、というのでもないが“そりゃいけないよ”などと話している。どういう関係なのか。

渋谷に行き、講談社『モウラ』原稿書く。2時間で7枚、完成させてメールし、図版コピーとってFAX。ひとやすみして送られてきた『コミックビーム』など読む。なをきの『まんが極道』読んで抱腹絶倒。モデルは……?

首と肩の凝り、尋常でなくなり、タントンに。女性マッサージ師さんだったのでどうかと思ったが、実にうまい人で、1時間たっぷり揉んでもらってなんとかほぐれた。

西武の食料品売り場で晩飯の材料を仕入れようと思い、行ったら改装中で休み。あれま。仕方なくサントクで買う。NHKで世界遺産『イスタンブール』見て、それから料理。比内鶏の河童鍋(妹尾河童が作り方を紹介していたのでこう呼んでいる。干し椎茸を戻したダシで鶏肉と白菜、はるさめを煮て、ごま油をタラリ。ポン酢に胡椒をたっぷり入れていただく)。

食べてしばらくメールなど。昨日の日記の“マンガは今の若い人に難しい”という一件、mixiで書いたらつきあいのある某女流マンガ家のところに転載され、多くの人からレスがついた。やはり、若い人に、“マンガは難しくて”と言われたという経験者は多いようだ。これの理由はいろいろあって、読み手に原因があるのか、マンガの変質に原因があるのか、その両方か、いくつも考えられるので簡単に結論は出せない。しかし、マンガ文化人たちがさかしらに言う“日本のマンガは進歩している”という言説が、そのまま若い読者層のマンガ離れにつながっているとしたら、不幸なことであると思う。そう言えばいろいろこれがらみでマンガ評サイトを見回った中、伊藤剛氏のサイトの日記に、(若い人たちの中にマンガを読まない人がいることについて)
「これまでの批評家も、誰も自分の世代に向けてしかマンガを語ってこず、若い世代に届く言葉をつむいでこなかったツケが回っているということだ。自分たちの責任を下の世代に転嫁してはならない」
という記述があった。われわれの世代は“上から教わって”マンガを読む、などという怠惰かつ格好の悪い真似はしなかったし、そもそもそんな上の世代がいなかった。いなくともちゃんとマンガはわれわれのもとまで届いていたわけだが。

10時過ぎにベッドに入り、今日古書市で買った『不老不死仙人列伝』(昭和5年、佐藤進一。萬里閣書房)
読みながら寝る。疑問に思うのだが、中国の隠者たちというのは市街を嫌い、人里離れた山の中で読書三昧にふけるのを理想にしたというが、そういう場所に住まいして、どうやって読むための本を手に入れていたのか。今みたいにアマゾンだのBK1だのもない時代、そんな山奥に住んで、潤沢に本が手に入ったとは思えない。

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