17日
木曜日
うるかに乗った少年
あらあら、坊や、きたないじゃないの、そんなパパのお酒のつまみの上におすわりしちゃって。ああああ、べとべと。
朝8時起き。いろんなことが頭に浮かんでは消え。
朝食、K子に梨(20世紀)一切れもらい、あとオレンジ一個。
進んでいる企画類の進行表みたいなものをノートに。いかにいままでナマケていたかを痛感する。日記つけ、ミリオンの新刊のネタを出す。ついでにレトロ関係ネタをいくつか整理。
ジョンベネ殺害事件の犯人だか容疑者だかがタイで逮捕されたというニュースに驚く。学校の教師だというが、なにか絵に描いたようなペド野郎で、逆に疑わしい。
K子にモウラ編集部へのFAX指示を出す。昼はサントクでメンチカツを買ってきて、ご飯の上に刻んだキャベツと一緒に乗っけてオタフクソースをかけ、即席ソースカツ丼。食べて血が胃袋に全部行ってしまったので、ベッドでしばらく休む。『快傑児来也』読みつぎ。児来也の妖術で出現した大ガマを見て悪人たちが
「ヤゝッ、怪物が出たッ」
「ウーム,こりゃア、ゴジラだッ」
と叫んだり、
「あれから」お雪ちゃんを連れて越後の新潟に行き、女郎屋に売ろうとしたが、お雪はまだ年歯が行かねえ、満十四歳にならなきゃア、少年保護法がやかましいからと買ってくれねえ」
などという会話が時代を表していて(昭和三十年四月刊行)面白い。カバー表見返しの推薦者が大映の永田雅一、裏見返しの推薦者が力道山と、これまた時代色濃し、である。
事務所へ出勤。いくつか事務処理事案すませてミリオンの資料調べ。案外分量あり、時間がかかる。5時半、オノと事務所を出てタクシーでエースデュース本社へ。で、タクシーに乗り込もうとして、2人ともエースデュース本社の住所を知らないことに気がつく。急いでSくんに電話して聞いたら、青山。以前親会社のウェッジホールディングスのビルがある神田の方へ行ったことがあるのでそっちと混同していた。
国連大学の前で降り、当然ながら早くつきすぎて待ち合わせまでまだ20分以上余裕があるので近くのファーストキッチンで時間つぶす。子供の城で夏休みのイベントなどがあったものか、そこらじゅう子供たちで一杯。注文の列に割り込んできたりする。
やがてSくん迎えに来て、青山台ビルのエースデュース。いかにも青山の事務所ビルらしい、せまくるしいビルで懐かしい。佳声先生待つ間、京都のイベントのことなど。
やがて佳声先生と佳江さん来て、打ち合わせに。恵比寿GPでのイベントのこと。佳声先生の個人スケジュールとのスリ合わせ。佳江さんが佳声先生のスケジュール帳をのぞいて
「なに、この演芸会って」
「なんだったっけな」
「出るの? 見にいくの?」
「どっちだっけ」
などとやっているのが微笑ましいというか、私もすでに自己管理という点では78歳の佳声先生と同じだ。
恵比寿のイベントは私の演出ということになろうが、とにかく、これまでの、佳声先生と紙芝居の持つ庶民性を打ち出すものでなく、野村萬斎や市川猿之助も上がったGPの舞台に紙芝居が上がる、ということを主要なテーマにしたい。出来るだけ、紙芝居という芸能、梅田佳声という紙芝居師にハクをつけたいのである。私はそういう、“立派な舞台に出たから立派な芝居”という考え、狂言や歌舞伎のカンパンを利用するような考えが大嫌いなのだが、しかし世の中に紙芝居を定着させる最もてっとりばやい方法がこれである。お元気とはいえ先生の年齢を考えるとある程度急ぐことも必要である。
先生、いつものことながらスロースターターながらきちんと状況が把握できていくに従い、いろいろ意見を述べられ、“じゃ、あれはどうかな”的な意見を述べてくれて、こちらの頭の中で形が出来てくる。
誰をスタッフ、出演で使うか、予算などのこともエージェンシーさんと打ち合わせなくてはいけないが、しかし燃える。
エースデュースKさんの話では、VAPさんがもうひとつ、イベントの話を持ってきているそうで、Kさんは
「どうせならここ(恵比寿)と一緒にやってしまっては……」
と言っていたが、私としてはぜひとも、そっちも別口でやりたし。会場にとVAPさんが言ってきている某劇場が私にとってはちと、因縁あるところであるため。
打ち合わせ終わり、いろいろ頭が回転しだす。しかし外は大雨。オノと雨やどりがてら、すぐ近くのこじゃれた地下ダイニングレストランに行く。オーストラリアワインとイタリア料理の店。ピノ・ノワール頼んで、企画のこと中心に四方山話しながら食事。“キノコとポテトのフライ・アンチョビソースかけ”が大変にうまかった。後はカモのコンフィ、イカ墨のリゾット、カワハギのカルパッチョ風サラダなど。
ついつい、話が弾んで酒も弾み、お値段見てややギョッとなった。店を出たときにはもう雨、あがっている。基本的にあまり雨にはあたらない男である。タクシーでオノを新宿まで送り、帰宅。