裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

26日

水曜日

ゲドを斬る

昨今のアニメ批評家。

朝7時半起床。疲れたまるが、目が覚めて布団の中でウトウトしているときに、ハッと、いま、頭の中に引っかかっている某件における自分の正しさがはっきりと言語化されて、ソウダ! と飛び起きる。モヤモヤが晴れた感じ。

入浴、汗かいたあとに飲むブラッド・オレンジーナの美味さ。一回々々買うのは面倒くさいのでまとめて通販で購入しようとするが、カードが何故かハネられる。

9時朝食。夕張メロン、コーンスープ。ネットニュースで淫行事件の山本圭一が家賃50万円弱の超高層マンションから退去、との報。実にわかりやすくて結構。芸人なんてのは自分自身を相場にかけて、あがれば大盤振る舞い、さがれば橋の下で隠忍自重、何事につけハッキリしているところが魅力である。そのわかりやすさが人々のあこがれにつながる。一方で被害者の17歳女性から、彼の性癖の異常さなどの告白がいくつか出始めているようだが、こんなプライバシーまで暴露される商売、性方面でのゆがみあたりでバランスをとらねばとてもやっていけまい。若さ、幼さを価値とする報道をこれだけバラまいておいて、実際に手を出したとたんに人非人呼ばわりするマスコミの方がよほど異常であるように思うのだが。

弁当使って1時、事務所。急に盛夏になったような日差し。パルコブックセンターに寄ってカードで買い物をしてみるが問題なし。なぜ楽天でハネられたか? 仕事場に帰り、メールで編集部各位と打ち合わせ。半年近く連絡のとれなかった某企画会社から、講演の依頼がきた。

岡田斗司夫さんから、新人女性ライターを“弟子にしてやってくれませんか”とメール。落語・演芸関係をやりたいらしい。いきなり弟子というわけにもいかないだろうが、話を聞きましょうと言っておく。それにしても、彼女も自力で出版の企画を立てて、持ち込み、インタビューなどをこなし、刊行させるところまでなんとかこぎ着けた。こないだの女性造形師の瑞穂ちゃんもそうだが、若い女性のがんばりが目立つ。男はどうした?

朝日新聞夏の読書特集原稿、書いて送る。すぐKさんから返事で、最後のオチに使った本は別項目で取り上げるので、差し替えて欲しいとのこと。すぐ、別の本をチョイスして、それで新しいオチをつけて返送する。パイデザとサイトリニューアルについてメールやりとり。

6時、オノと一緒に家を出て、銀座線で銀座。ヤマハホール、立川談笑真打昇進披露興業。花を差し入れる。受付にフワリさん、客席に夏さん、IPPANさん、その他談笑独演会常連の綿々。暑いが昼から水分を全然とってなかったので、自販機でコーラを買うが、160円もした。

開口一番が談修、小柄な体型なのでこのホールの大きな座布団の上に座ると福助人形みたい。演目は『もと犬』。続いた上がった談笑はさすがに巨体で、座布団のサイズもぴったり。真打披露興業の二日前にカナダ取材(『特ダネ!』)から帰国したそうで、私の仙台〜伊勢原などこれに比べれば子供の時間割。

演目は『金明竹』。与太郎を最初は独演会やトンデモなどでの知的障害者バージョンで一瞬やって、
「志の輔師匠がいらっしゃってるんだ、馬鹿!」
と普通の与太郎にもどすところが談笑風で爆笑。あとはこのネタは談笑落語中最も一般受けするネタで、東北弁の言い立てのところではおばさん連が苦しげなほど笑っていた。

続いてが本日のゲストの志の輔。演目は『八五郎出世』をたっぷり、じっくりと。毎回、志の輔を聞くたびに上手いなあと感服する。今回のネタは特に凄かった。“古典を現代に”という談志のテーマはこの志の輔の『八五郎出世』に見事に完成形として表現されている。原作の『妾馬』から時代に通じにくい(殿がひょいと見染めた女性を妾に所望するような非・人道的な)部分をカットしていきなり八五郎と大家のやりとりから始め、
「こんなに廊下を曲がったんじゃあ覚えきれなくて一人じゃ帰れねえ、角にしょんべんしていいかい?」
のような昔ながらのクスグリに
「この重箱はナスの古漬、でしょうか?」
というような志の輔らしい新しいクスグリ(秘密を隠しておけない性格なのである)
も入れ、大杯で酒を飲みつつ次第に酔っていく芸を見せ、
「望みのものをつかわすぞ」
という赤井御門守の仰せに、質に入った道具箱を受け出してもらいたいというだけの欲のない江戸っ子の心を見せ、武士への取り立てをかたくなに拒否し、母親の話で泣かせ、お鶴と殿の中にちゃんと“愛情”がある演出をとって、現代人に受け入れやすい古典をそこに現出させている。凄い。

……だが。へそ曲がりと言われるようだが、その感嘆の一方で、落語マニアとしての私は、
「古典落語をこのように、“現代の常識”で解釈してしまっていいのか?」
という疑念が聞くたびにわくのである。この『八五郎出世』に描かれた、“いつの時代、どこの場所にも存在したはずのない”庶民、殿様、その妾という人物たちが演じた虚構の感動ドラマを、そのまま受け入れてユートピアとしての落語ワールドとすることが、果たして落語という文化を受容する正しいあり方なのか、と疑問に思ってしまうのだ。

もちろん、そこまで言うなら古典落語の中の江戸時代は本当の江戸時代ではあり得ない。大岡越前は決して『三方一両損』や『大工裁き』のような判決は下さなかったろうし、江戸の女房は誰もが『芝浜』や『子別れ』のような理想の女房であったはずもない。しかし、たとえどんなに理想とはいえ、彼ら彼女らが行動している規範は、江戸時代のそれである。封建制度、身分制度、男女の区別ということがきちんと規定されていた時代のワクの中での行動から、少しも外れていない。江戸時代の職人が貴顕大名の屋敷に客として招かれるなどということは本人にとり天地がひっくり返るような事態であったはずで、その中で八五郎にトンチンカンなことを言わせるあり得ないナンセンスが、『妾馬』の演出だった。

この志の輔の『八五郎出世』においては、それを“あり得ること”としてさらに拡大解釈し、八五郎に、あろうことか大名に対し酔いにまかせてというエクスキューズはありながらも説教をさせている。これは落語という文化、そのバックボーンとなっている江戸の制度というもの、江戸の人間関係というものの否定なのではあるまいか?現代人に通じないから古典の方をどんどん変化させ、その背景までをも変化させてしまうというその演じ方は、果たして正しいものなのか?

その時代と常識の違いという大きな埋まらない溝を通して先人が残した文化と、それを生み出した歴史を感じ取ることが古典を鑑賞する魅力だと、私などは思っている。聞いて満足し、感動までした上でこのような否定的意見を述べるのは気がさすが、そんなことを思ってしまった一席だった。

そして、そんな七面倒な理屈の他にも、ここでこれだけのネタを演じるのはいかがなものか? という単純な疑問がある。昔、末廣亭で円楽の弟子の真打披露目の会を聞いたが(三遊派の協会脱退の前のことである)、圓生がそこに出席した。演目は『寝床』で、それもごくあっさりと演じてさっと袖に下がった。しゃれていることだな、と感心したものだ。大物が披露目に出席するのはご祝儀であり、あまりそこで大ネタをかけるのは野暮というものである。実際、ここで志の輔があまりたっぷり演じたものだから、9時撤収というこの会場の規約で、トリの談笑が十分で『薄型テレビ算』を演じねばならなくなってしまった(まあ、これは事前に誰も志の輔に伝えてなかったためであるが)。もっと軽いネタを演れなかったものか?

次に口上。ここは志の輔のいい面がたっぷり出て、なかなかいい口上だった。
「落語の破壊と再構築」
という話が出たが、談笑の場合は、あと十五年は破壊だけで十分役割を果たせる、と私などは思う。そして、例の『薄型テレビ算』十五分バージョン。十五分で客から手がくるまでに盛り上げた談笑の実力は凄いが、やはりここはじっくりと聞いて貰いたかった! 談笑は志の輔のように古典をそのままで現代に通用するようにする、などということをしない。いきなり壺を薄型テレビに変えて、改変し、テーマ周辺のものに新しいストーリィを付与することなく、全く別のところに持ってきて
「ほら、こうして抽出するとテーマはまだ不変でしょ?」
と呈示する。どっちが正しい古典の現代への持ち込み方か、と言うといろいろ個人の意見もあるだろうが、私はとにかく今、談笑のこの過激かつ唯一無二の演じ方の方を追いかけずにはいられない。

終ってCDにサインする談笑さんを待つ間、アスペクトK田さんと、今回の談笑本の装丁をしてくれるMさんと話す。Mさんは関西人で、枝雀くらいしか落語を聞いたことがないという。

「東京の落語ちゅうんはえらい違うな、思て」
と言うので、
「そうでしょう、大阪じゃ『壺算』と言って水がめで演るでしょう、東京じゃ薄型テレビなんです、ああ、先代文楽の『薄型テレビ算』を聞かせてやりたかった」
などと言い聞かせる。

終って、『ライオン』四階で打ち上げ、スタッフの他は私たち入れて七〜八名のごく内輪のもの。ご贔屓筋なんだろう、威勢のいい旦那さんとその奥さんが来ていて、私のファンだと言うので一緒に写真を撮ったりする。40年落語を聞いているというその旦那さんと、今日の『八五郎出世』談義、また談笑談義で意気投合。談笑さんにはカナダの話を聞く。キングサーモンの和名のマスノスケの話なども。マスノスケのスケは吉良上野介とか織田上総介の介で、そこの地域の管理者という位。サケ・マスの中での位の上のもの、という意。

某大型の差し入れで盛り上がったり、蕎麦談義でワイワイと笑ったり。なかなか楽しい打ち上げだった。11時に閉店ということで出る。Mさんがポラロイドをせっせと写す。集合写真の中に談修さんが写ると、二丁目の美少年バーの子みたいである(本人もそれを意識しているのか、必ず写真撮影にはメガネを外して入る)。

蕎麦談義のせいで蕎麦が食いたくなり、K田さん、Mさんを誘う。オノは終電が無くなるので帰るというが、K田さんが
「女性がいないとつまらない。タクシー代持ちますから」
と強引に誘う形で、麻布十番の川上庵へ。ちょっと迷ったがこないだバーバラとオノと言ったときのようにナビに頼ることもなく行き着けた。目印もわかったし、もう迷わない。

関西弁のMさんをオノがつついてつついて、またそれにMさんがいちいちボケで反応して、漫才を聞いているよう。突っ込まれすぎてワタワタして、日本酒ロックのグラスを落として割ってしまったり、とにかく騒がしい。脇で聞いていて、こんな笑ったのも久しぶり。いい新キャラだなあ、と思う。ソバ湯割り焼酎とつまみ、それとせいろ。タクシーに全員相乗りで、帰宅は2時過ぎ。明日トークだというのにしゃべり過ぎてノドが痛い。K子の風邪を貰ってしまったかもしれない。風邪薬のんで寝る。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa