裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

火曜日

クランク・イン! の記

4時起床、入浴洗顔後40分にロビーで勝股さん、おぐり
待ち合わせ。
タクシーで松竹。
猫メイクにつきあいつつ朝食(五目おにぎり、サラダサンド)。
勝又さんのアプライエンス結構。よくこの状況で、を考えれば!
6時15分橋沢さん入り、悪役メイク。
仕出しのエクラン社の人々、さすがの個性。
ただし、放っておくとどんどんメイクが暴走しはじめてリアルさがなくなってしまうのが京都の役者さん。ここで出てくる群衆は宿場町の人々で百姓ではないのだが、つい百姓、それもドン百姓メイクになってしまうのだ。そこのみ注意。
7時半、落合の渓谷に出発。私はスタッフとロケバスで、
俳優さんたちは俳優車で。
昨日の雨(かなり強かった)で心配していたのだが、水量が増えたのと、水がかき回されて濁って、後で取るオープンセットの水の色と同じになり絵がつながったのは幸い。
8時現場着。まだ早いのでそんなに釣り客はいない。
山道を橋沢さんが駆け上がるシーンでクランク・イン。
十年も前からやってますよ、という風を装いつつ
初“よーい、スタート!”と初“カット!”。
ダンドリはTさん江原さんがつけてくれるが一応演出意図にそったダメ出しをして。
次に宿場の人々のシーン、そして鳥追い笠をかぶったおぐりの猫娘。
かつらで頭が大きくなっていることもあり子供の体型バランスにちゃんとなっているのが絵として結構。
メイクすりゃ誰でも猫顔になるのだからこんな役、誰でもいいというわけではない。
例えば小村りこちゃんのモデル体型で、お玉は無理なのである。
「子供体型がいいねえ」
と言ったらおぐり、
「わたしが子供ならグラマー子供ですよ」
と言う。橋沢さんが思わず
「え? なに?」
「……グラマー子供ですって」
「何だって?」
「グラマー……」
「声がだんだん小さくなってるぞ!」
大笑い。
猫娘振り向いてほほえむシーン。
橋沢さんそれに斬りつけるシーン、
おぐりが三味線をかきならすシーン。
橋沢さんののど笛におぐり噛みつくシーン。
噛みつく前に一瞬タメ入れて、など
適宜ダメ出しするが、基本的に非常に順調。
鳥追い笠を二つに切って空に放り投げるシーン、
モニターのぞいていて思わず
「うわっ、いいなあ!」
というシーンが撮れた。
人々が崖の上からのぞき込むシーン、続いて人魂が飛び出したという思い入れで驚くシーン。
サクサク進むしスケジュール的にすすませないといかんのではあるが、オーケーを軽く出し過ぎてベテランスタッフに
「あんな絵でええんかいな」
とナメられぬように、ダメなときはきちんとダメ
を言うということのみ留意して。
下の河原に降りて(9800円の登山ステッキが役にたった)の撮影、おぐりを岩の先に立たして。ゆっくりと体を低くすることで水に沈んでいくときのカットを撮影する。
途中で川下りの船が通って手をふってくる。
こちらも振り返すが、なんだと思っているだろうかね。
最後にダミーのおぐりと橋沢さんがもみ合って崖から落っこちるシーン。
人形が水面に落ちると“バーン!”という音のすごいこと。
これでロケ終わり、10時半。
山田さんが
「うわ、1時くらいやと思った」
と言うほどサクサク進んだ。
一番難関と思われたロケがこれだけうまく進行したのがこちらの大きなはげみになる。
撮影所に戻ってオープンセット。
川のシーンでおぐりが水に沈むシーン。
ドブくさい堀のセットに沈めるのは可哀想だがすでに小道具のジャンボさんが裸でヘドロくさい水の中に漬かっており、進行のIさんが喜助(橋沢さん)役でまた水に漬かり、暑い中一生懸命。
おぐりにもその熱意伝染したか、まず、Iさんの上にまたがって三味線を弾きながら上を見上げるシーン、モニターをのぞいていた勝又さんが、それまで急場で作った自分のメイクを不出来だ不出来だと言っていたのが初めて
「あ、猫に見える! かわいい!」
と言った。
次が次第に水の中におぐりが沈むシーン、
板の上におぐりを乗せてスタッフが水に沈める。
なかなかいい板が見つからず往生するが、なんとか猫の首までを水に漬からせることに成功。
おぐりを引き上げてから三味線が完全に水没するところまで撮ってこのシーン終了。
イヤな顔ひとつせず水にひたってくれたおぐりの役者魂に感謝(もっともイヤな顔してもメイクでわからない)。
続いて妾宅シーン。
橋沢さん、あやさん。
あやさん、江原(さくや妖怪伝)さんのカメラの前で演技できるとは! と大喜び。
そのせいか多少固くなっていたので2テイク。それから抜き撮りシーン二つとって3時半、早夕飯に。やや早すぎ。
弁当とりつつ山田さん、勝又さん、あやさんと雑談。おぐりも加わって松竹撮影所ばなし。伝説のカメラマン石原興(しげる)の話などを山田さんから聞く。
もともとこの松竹京都撮影所は映画の黄金時代が終わって開店休業状態になっていた。
そこにテレビ『必殺仕置人』シリーズの話が来たときに、スタッフやセットの不足をカバーするために石原カメラマンが光と影のコントラストを強調し、それが時代劇の演出に革新をもたらした。
これは松竹が時代劇に長い伝統を持ちつつ、それを一度途切れさせていた故の成功だったと思う。
伝統というものは過去からの大きな遺産を現代につなぎながら、しかし同時にそこに、改革をはばむ大きな非合理性もまた現代につなぐ。
若・貴騒動の際の相撲界を見ればいいし、小泉以前の自民党を見ればいい。
長く続いたものには澱が溜まる。
そういう場合は一旦伝統を断ち切って、澱をさらわねば近代的改革は出来ないのである。
改革して初めて、伝統は底力となって活きてくる。
近代的と言えば私も驚いたのだが、この撮影所はこれだけプロが揃っていながら怒鳴り声がない。
今日の撮影が初めての現場という若い人が二人入っていたが、私などから見ても拙い彼らに対し、ベテランたちが癇癪も起こさず、丁寧に一から教えている。
以前東京の似たような現場を訪れたときは、カメラ、照明のベテランの絶え間ない罵声が若手に飛んでいた。別に怒鳴らずとも用は弁じられるのではないかと思うところでも彼らは怒鳴っていた。
「怒鳴り声で現場というものは進行する」
というようなことを、そのカメラマンは私に言った。
ところがここの現場は怒鳴り声の代わりに、笑いと的確な指示が飛び交っている。
どう考えてもこちらの方が作業はサクサク進む。
怒鳴り声は現場を萎縮させてしまい、結局能率を著しく下げるのだ。
これは私がこれまで体験したすべての現場においてそうだった。
若手へのベテランの指示を聞いているとこちらまで勉強になる。
見ていて楽しいし、参加していて楽しい。
ずっと映画を撮っていたくなる。
「伝統ある松竹京都撮影所で仕事が出来る」
ことをこれまで名誉に思っていたが、それは違った。
「伝統がありながら近代的な松竹京都撮影所で仕事が出来る」
ことを名誉に思うべきだったのだ。
昨日いけなかった冠太のおやじさん、陣中見舞い。
休み時間はさんでスタジオに組んだセットで喜助妾宅の場。あやさんしっかりメカちゃんになって。江原さん竹内さんが演技つけて、撮影に入るがかなり緊張の様子。モニターの中の表情が別人のよう。
NG2回出させてもらう。
口元のアップでも鼻の下に汗。
やはり現場のすごさを知っているが故の緊張か。本人は(着物着てカメラの前って経験が滅多にないから)と言っていたが(笑)。
それから橋沢さんの喜助が猫を絞め殺すシーンのアップ、効果使ったものと普通の、片袖をちぎっているというその片袖がどちらか記憶になかったので右と左それぞれ、でつごう4バージョン。
さらにお時役の小村りこちゃん入って、後ろ手に戸をピシャッと閉めるシーン。
なかなかうまく演技つかず、5テイク撮った。
これでいい意味での緊張感と、私にとってはダメ出しの自信がつく。
しばらく休み、東北で地震があったそうな、というニュースを遠いことのように聞いて6時再開。
夕暮れの時間で船着き場。
モニターの中の絵が完璧な夜になっていたので驚く。照明マジック。
出演の橋沢さんも驚いていた。
船の揺れ方にちょっと注文。
ジャンボさんたちが首までドブ水につかって船を揺らす。
これでNGを出すのは悪いのだが、いい絵を撮るのがこっちの仕事だ。
橋沢さんがメイクチェンジして今度は惣吉。
間抜けメイクで船をこぐ。
Tさんが櫓のあやつり方を橋沢さんに指導している。
つぁん、さっきはあやさんに三味線の弾き方、持ち方を指導していた。
知らないことが世の中にないのではないかと思える。
そのあとおぐり再度入りで、Fさんとジャンボさんが支える鉄棒につかまって船先にトン、と足をつく場面(橋の上から舟に飛び降りた、という場面)撮影。
なるべく軽やかに見せるために3テイク。
それから場所を移動させ、橋の上で船を見下ろすシーン。
ちょっと危険なシーンだったが無事、こなす。
草原でモニター見つめていて、小さい虫に手足を刺される、刺される。
「かゆいかゆい」
とみんな大騒ぎ。
ゆうべ帰りに閉店間際のドラッグストアでみんなで買った虫除けスプレーをシューシュー。
それから惣吉が襲いかかるのをよけて背中をポンと蹴るシーン、これも猫のキックの軽やかさ出すためNGださせてもらい、4テイク撮る。
これで橋沢さん、はあがり。
あがり第一号でみんなで拍手。
照明のT浦さん、ヤクザみたいな巨漢だが少女みたいにケラケラいつも笑っている人で、途中でおぐりの猫が気に入ったか、
「にゃんにゃんにゃん、にゃんにゃんにゃん」
と口ずさみっぱなし。
「おい、そこの一キロ、もすこし右だにゃんにゃん」
などと。顔や図体とのギャップがおもしろい。
そこらで小村りこさんの時千代入り。
すでに死体なわけであるが。船の中でのおぐりとのからみ、最後にアドリブ演出で“にゃお〜“と鳴かせてみる。成功。メイクに慣れてきた頃合いでごく自然に表情を出せた。
これで今日はおぐり終了。
カッチーが
「すごく疲れているみたいなんで、はやくメイクとってあげたい」
とわがことのように気にしていたが、まだ時千代の死体が駕籠の中にいるという場面がひとつあるので、その死体メイクもしなくてはならない。
首がガクッと落ちるシーン、Tさんのつけた演技がイメージとちょっと違ったので訂正。
Tさん、そこで監督の意志にスッと従ってかつ、それをくみ取り、新たな指示を出す。
前半はまあ出来ても後半が出来るというのはただごとではない。
引き出しがいかに多いかということだろう。
問題なく終了。
スタッフルームで江原さんTさんと
缶ビールでお疲れ様。
江原さんが
「これ、全編実写でやりたいね」
と言ってくれた。企画者として涙もの言葉。
京のぶぶ漬け、でなければの話だが。
今回、“生意気な東京モン”に見られることを何より恐れて、とにかく現場のスタッフを立てよう、という気持ちで京都入りしたのだが、このプロ技術を見たら、そんなことどこかへ行ってしまって、自然と頭を下げたくなる仕事ぶりだった。
聞いたら、以前、やはり“モノカキ”さんが自作の監督でやってきて、映画の現場のことを何も知らないというコンプレックスから、やたらに
「ボクのねらいはこのような絵じゃない」
とか言ってNGを出し、そのくせ、じゃあどんな絵をねらっているのかを説明してくれない。または抽象的すぎて理解できない指示を出す。
「言うてくれればそのようにこっちは撮ります。言うてくれへん
のでは撮れしまへん」
の状況だったとか。
それがあって、またか、と緊張していたところに入ったので
「思ったよりいい人やないか」
になり、グンと現場の雰囲気がよくなったようだ。ひそかに、そのモノカキさんに感謝。
明日の打ち合わせIさんと。
おぐりメイク落としを待ち、山田さんのローバーで橋沢さんとアークホテルまで。
おぐりは部屋で休んだが、
大文字を見てきたあやさんと橋沢さんと3人、
橋沢さんのお疲れ様会ってことで、さっき江原さんに聞いた、
「風」という料理居酒屋へ。
盆で何も料理なかったがお疲れ様でビール。橋沢さんはスタッフの質の高さに大興奮、あやさんも太秦で演技が出来たと大喜び、安いギャラで変な役で出てもらったこちらはホッとひと安心。
いろいろ話して12時まで。
考えてみれば朝4時起き、スタッフが用意してくれた仮眠室も使わず、撮影後にこうして酒飲んでるんだから元気なこと。
部屋でメールチェックして1時就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa