裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

19日

木曜日

忍者ハットリくん+忍者怪獣児ポ法

 改悪は許さんでござるぞ(声・熊倉一雄)。朝、8時起床。なんだか、バラエティ関係の賞をとって大金が儲かって、世間がみな自分を絶賛する、という、大層もなく景気のいい夢を見る。夢でも気分のいいものである。朝食、イカの残りをマヨネーズで。それとサクランボ。MLで、トンデモ本大賞2004会場決定をふまえ、夏コミ 用のチラシ文面を植木不等式氏に依頼。

 ここの担当さんが実にと学会に詳しく、私の名前も知っていたことは前に書いた。決まったからさらに書くが、申込みの時に提出した内容説明を読んで、
「立川流の落語とありますが、ブラックさんですか?」
 と訊いてきたそうな。
「いえ、談之助師匠の予定です」
 とIPPANさんが言うと、
「ああ、談之助さんならいいですが、ブラックさんだとちょっと心配で」
 とのことだったとか。さすがに『一発のおまんこ』はここの会場ではまずいか。使用規約に“猥褻な催し物は禁止”とあった基準は快楽亭か、と大笑い。それにしても お詳しい担当さんですな。

 雑用で、外へ出る。昼はいいかげんにすき屋に入って、キムチ牛丼。案外食べられる。ただし、受付の店員が、そこらじゅうに臭いわたるようなワキガで参った。体質で仕事が限定されるというのは気の毒とは思うが、吃音の人がアナウンサーになれないとか、難聴の女性が電話交換手になれない、対人恐怖症が落語家になれない(これ はなってる奴もいるか)みたいなもので、向いてないと思うのだが。

 そのまま、雑用で駅前まで。東急文化会館の方へ歩いていく。こないだ植木氏と、中をちょっと見回ったとき、結婚式場がすでに閉館になっていたのを知ったのが、映画館やプラネタリウムよりもショックだった。ここは、潮健児さんの出版パーティをやった場所だったのである(映画館の上の式場ということで、俳優さんたちがよくここをパーティの会場に使ったのだそうで、潮さんがここで開催することを望んだのであった)。一度は潮さんの病状が悪化して、パーティ中止の葉書を出し、その直後、主治医のK田先生から、“出来るものならやってあげてください”と言われ、急遽、再開の通知を出した。もちろん、会場も一旦キャンセル、その数日後にまた再申込みというドタバタだった。そんなわけで、会場の係の人には大変迷惑をかけたのだが、支配人さんが東映映画の大ファンだとかで、大変に協力的であり、キャンセルしたときもキャンセル料を免除してくれた。どれだけ感謝したかしれない。それでも、人が集まらなかったらどうしようと思い、私はパーティ当日、朝、銀行に寄って自分の預金から金をおろし、50万円の札束をふところにのんで会場に赴いた。もし、会場費や入れたバンドの出演料分の祝儀が集まらなくても、潮健児に恥をかせることだけは出来ない、という必死の思いであった。私の表情はかなり硬いものになっていただろう。幸いに、客はあふれんばかりのにぎわいで、これも潮さんの意向で用意した紅白饅頭の引き出物を、特撮ファンクラブの方の面々には辞退してもらう程だった。最後にうちのプロダクションのMマネージャーが、集まった祝儀をまとめて、一階の式場事務所に持っていき、計数機で数えてみると、ちょうどその額が会場費その他、経費にピッタリ、二千円も違わなかった。こういうのは珍しい、と係も驚いていたそうである。支配人も会場に顔を出して、いいパーティでした、でも、病気で潮さんが途中退席されたのが残念でしたね、全快祝いもまたうちでやってくださいね、と声をかけてくれたときには、私は思わず支配人さんの手をとった。思わず人の手をとる、などという行為をしたのはあれが人生でただ一回の記憶である。あの支配人さんは、まだ お元気だろうか。

 帰宅、肩がまるで剣山でも乗せたように痛み出し、横になる。横になったまま、マンガ翻訳一本、アゲた。そのままグーと寝る、というか気を失ってしまった。目が覚めたら6時。河出の対談原稿まとめに入るが、調子乗り出したところで時間。9時に花菜で大阪から上京のぺぇさんと会食。髪を金髪にしていたのに驚く。仕事がらみで以前、マンガ関係の大物数名の原稿を持ち込んできて、ポータルサイトを立ち上げるという仕事を頼んできた人物がいたが、どうも言うことが常識をわきまえない勝手放題なのでお断りをした、という話が出た。ああ、業界ゴロにはよくいるからねえ、私も昔、Xというゴロがらみの件で……と名前を出すと、ぺぇさんの方で驚いて、あ、まさにそのXですが、と。大笑い。そうか、大阪の方で動いているのか。体調すぐれず、日本酒だと何か変に酔いそうな気がしたので、焼酎水割り。キノコサラダ、豚とゴボウの卵とじなど。客がひっきりなし。

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