8日
日曜日
リカに寒ブリを食べさせず
女性精神科医に寒ブリを供応すると疑念を招くからいけない、という教え。朝、7時半起床。朝食は粥を切らしたのでバジルスパゲッティ。果物はスイカの残り。メールで眠田さんから昨日の詳しい入場者数、会計等の報告。スタッフたちからも現場で気づいた点などの報告ポツポツ。現金が財布になくなった。K子から、昨日の同人誌 売上げを渡して貰う。
こっちは平塚くんにポスター代金の請求書を出してくださいとのメール。疲れがたまっているのか、頭も体もハッキリとせず。ただし精神状態のみはまだハイである。読売新聞日曜読書欄はもう、みなドングリのせいくらべ。荻野アンナ氏のみが突出。テレビで見るこの人の軽薄さと、文章の巧さのアンバランスは以前にも誰かが指摘し ていたが。
昼は外に出て青山まで歩く。暑い。もう数日すると梅雨入りだろうから、これが今年最後のさわやかな初夏の気候、になるか。ツツジはもうほとんど花が消え、代わりにアジサイの気の早いのがいくつか顔を見せている。青山で、舌郎のタン焼き定食。日曜でもやっているのが感心。紀ノ国屋で買い物。本店の方に寄るのは久しぶり。
山田風太郎『戦中派焼け跡日記』読了。昭和21年5月3日の項に犬の話が書いてある。郷里の家に飼っている犬が大変に著者になつき、家に帰ったときには胸のところにまで飛びついて嬉しがる、しかし著者はこの犬を別に好きでも何でもない。動物は人間の心を見抜く鋭い本能を持っているとか言うが、あれは大分あやしい話ではあるまいか、といういかにも山風らしい考察であるが、これと同じことを、著者は伊丹十三の『小説より奇なり』(昭和61年)の中のインタビュー『犬か! 猫か!』の中で答えている。ご丁寧に、そのエピソードから派生した、“女=犬”論まで、全く同じ書き方ではないが、日記の中に記されている。四十年前に書き記したことをインタビューでほぼ同じ内容で答えるのは、著者の記憶力の賜なのか、ずっとそのことを著者は考え続けていたのか。あるいは西手新九郎で、たまたま著者が昔の日記を読み返して記憶を新たにしたあたりに、伊丹十三からのインタビューがあったのか。おお きに、そんなあたりかも知れない。
この本、後編の『闇市日記』と共に、400頁近い厚さがあるが、しおり紐が二本ついているのは、どういう配慮か。気になった部分のチェックのためのものが一本、今読んでいる箇所の確認のためのものが一本、か。そんな読み方をするマニアックな読者が多いだろうと想定してのことか。まあ、ありがたい心配りではあるが、ならばいっそ、二本の紐の色を変えて欲しかった。岩波の『ドリトル先生』シリーズも“ご家族みんなに読んでもらいたいから”としおり紐を二本つけていたが、区別がちゃんとつくように、色を赤と黄(青と白だったかな)と、区別していた。もっとも、私なら読みさしの本を家族とはいえ他人には絶対読ませたりしないけれども。
夕方5時、新宿に出てマッサージ。サウナに日本語と韓国語チャンポンで、しかもやたら高声でしゃべる一団が入ってきて、往生する。どっちか一方なら心の中で耳に蓋が出来るのだが、“××××、×××でないかと、××××××のときに、××ってのはおかしいと思ったんだが××××渡しを×××……”と、完全なチャンポンなので、日本語の部分にくると、神経が本能的にその意味を探ろうとしてアンテナを立ててしまい、気が休まらない。マッサージしている最中にもえんえんと聞こえたが、やがて嵐のごとく去っていき、急にシン、と静かになる。マッサージはお気に入りの怪力女先生。“背中が今日はひどいですね、何かお疲れになるお仕事でも?”と訊かれて、少しいい気分になる。疲れたのが勲章だ、とつい、ひと仕事終えると思ってしまうもの。
タクシーで8時、下北沢『虎の子』。K子のHP開設の手伝いをしてくれたdamさんと。今日はキミさんが温泉地の山奥で遭難しそうになりながら採ってきてくれた山菜が特別メニュー。姫竹焼き、山ウドの牛肉巻き、山菜天ぷら等、山の幸を堪能。ワケギの球根の辛いのに味噌をなすって齧るのは、野趣があっていいが口の中がヒリヒリする辛さ。damさん、東京大会にも来てくれていたそうだが、改めてと学会のメンバーの話術に感心していた。