6日
金曜日
港の倉庫横浜横須賀
……書いてから、果たしてこれはシャレなのかどうかと。朝、7時半起床。寝床で『戦中派焼け跡日記』。とにかく、貧乏をかこちている記述が多い。田舎の親戚から金が送られてこないので医学校の授業料が払えないと悲鳴をあげ、電車賃もないので学校まで歩いて行く。一と月大体三百円で暮らしていたらしいが、玉子丼一杯が二十円というインフレ状態の中で、これはつらかったろう。この時期の山風が占領軍に、かつての日本軍に、日本人に、人間に、世界に、やたら辛辣な罵声を日記で浴びせているのも、この貧乏生活の鬱屈からと思われる。これは『闇市日記』の記述だが、あれほど楽しみにしている探偵作家のための勉強会『土曜会』にも、“行くとならばクラブ(昭和22年発足した探偵作家クラブ)入会費百十円、本日の会費二十円払わなくてはならん。それがない。故に行くことをやめる”という有様である。もっとも、これがその年6月のことで、それから一年ちょっとしかたたぬ23年8月には一升で九百四十五円の一級酒を飲み、9月には神田本郷と回って本を物色、医学書中心に総額六千五百四十円ばかりの本を買い込むだけの経済的余裕が生まれてくる。折からの雑誌ブーム、探偵小説ブームで原稿の注文が殺到しだしたからであり、見てみるとその売れっ子ぶりは凄まじい。10月には銀座に山田風太郎のニセモノまで現れるという騒ぎである。有為転変甚だしい時代だったのだなあ、と、しみじみ思う。雑誌『くいーん』の原稿料未払い、原稿売却事件などあって、著者はカストリ雑誌が大嫌いになったらしいが、この雑誌は江戸川乱歩と稲垣足穂が男色についての対談をやったことのあることで有名なところ。さまざまな人物とメディアがモザイクのように交錯す る面白さ。
朝食はまた貝柱粥とスグキ。果物は桃。小さいが甘い。昨日の日記でつけ落としたが翻訳家厚木淳氏死去。新聞記事は翻訳家としてしか紹介していなかったが、東京創元社に編集者として入社、創元推理文庫創設者にして、推理文庫のSFマークを立ち上げた、日本SFの一方の育ての親。どこやらのサイトで氏を“バローズに憑かれた男”と評していたが、さもありなんというくらい、創元推理文庫はバローズ(バロウズではない。エドガー・ライス・バローズである)を延々と出版し続けた。ただし中学生くらいの私は、当時の潮流でSFとはスペキュレイティブ・フィクションなり、などと主張していた生意気盛りだったので、火星シリーズだのペルシダーシリーズだのを読んだのはだいぶ後のことになり、さしてハマらなかった。とはいえ早川で野田昌宏氏が訳していたキャプテン・フューチャーなどには大ハマりしていたのだから、別にスペオペが嫌いだったわけではない。やはり、最初の釘の打ち込みがズレてしまい、それが尾を引いたのだろう。ああいうものに熱中して夜も日もなく読みふける、というのは若い頃の読書の特権だろうから、ちとくやしくはある。もう一度『モンス ター13号』あたりを読み返してみるか。
東京大会前に片付けておかねばならない原稿も多々あるが、やはり気になるのであろう、落ち着かない。久しぶりに自分で手がけるイベントであるからだろう。電話で世界文化社Dさん、創出版Sさんから取材依頼。OTCからは明日の入りと女の子たちの楽屋について問い合わせ。応対いくつか。進行時間表を附した構成台本決定稿を プリントアウトしたり。
英文資料を読んだり、ビデオを当たったりする。昼はチャーリーハウスでパイコートンミン。肉に染み込んだ醤油味がたまらない滋味。帰宅して、食休みがてら風太郎日記にあった乱歩と足穂の対談記事などを書棚から引っ張り出して読んでいたら、電話。光文社文庫からで、同文庫の江戸川乱歩全集の中の一巻に後書エッセイで乱歩のことを書いてもらいたいという原稿依頼。もう、最近はこの程度の西手新九郎ではあまり驚かなくなってきているが、それにしてもタイミングがよすぎる、と苦笑。
原稿書き再開。カシカシとやっているうちに、もう6時半過ぎる。急いでタクシーで参宮橋。駅前でAIQのHさんことエロの冒険者さんと落ち合い、『クリクリ』へ赴く。HさんはAIQのぴんでんさん、獅子児さんたちと共に、東京大会を見にわざ わざ九州から上京してくれたのである。
今日がクリクリなのは、K子が平塚くんを伴って『虎の子』の萩原さんの家に、あの店のウェブサイト開設に行っているので、それが終わった後、ここで落ち合って飯を食おうと言っていたからだったのだが、絵里さんが、“K子さんが9時過ぎになると言っていた”と言うので驚く。電話をしたが“何時になるかわからない”と要領を得ず。ところが、すぐその後で、“もう終わったから行ける”と。何なんだ。
結局、最終的には私、K子、萩原さん、Hさん、平塚夫妻、ぴんでんさん、damさんという大所帯になった。久しぶりにルンピア、ジャガイモとレバーペースト、野菜のオーブン焼き、シシカバブ、仔羊のロースト、それにピザとパスタ。ぴんでんさんはいよいよ結婚にゴールインか、という段階。話はやがてK子・萩原・平塚夫妻組と、私、Hさん、ぴんでんさん、damさんとの組に分かれる。K子はこちら組にも度々出張、プリント資料を渡したり。双方大盛り上がり、damさん“いや、今日は来てよかった、実にスッキリした、嬉しい”と大喜びしていた。
他にちょっとdamさんと話す。トゥーンMLで、卒業論文のテーマについて質問してきた人がいて、こんな感じのものどうでしょう、と簡単にサジェスチョンしておいたら、その意見に添ったテーマにします、と言ってくれた人がいた。何か嬉しかったが、あまり海外でも本格的な研究が進んでない新しい分野だったので、“海外論文のないものはダメ”とそのテーマが却下されてしまった。も少しプレゼンの仕方まで丁寧に教えておけばよかった、と残念である。そこで、次善の策を練って、こういう提出の仕方及び構成の仕方はどうだ、と大学関係者であるdamさんに質問。ソレハ大変結構です、と賛同を得られる。明日が大仕事故、早めに切り上げて、とか思っていたのだが、結局11時半まで飲んでしまった。平塚くんから、“中野ブロードウェイに取り壊しの話があるらしい”と、気になることを聞く。