裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

12日

木曜日

俺々のうた

「電話口の向こうで甘えし孫の声 詐欺と知れども可愛ゆかりけり」朝、7時起床。朝食は発芽玄米粥。粥は貝柱入りとこの発芽玄米粥を交互という感じで食べている。なんとなく、この玄米の方がカロリーが少ないと思っていたのだが、見てみるとこちらが93キロカロリー、貝柱の方が85キロカロリーでこっちの方が高い。それで、何か濃厚なものを食べたような気にさせてしまうダシというものの不思議さよ。

 一昨日、掃除が来て、換気のためにずっと窓を開けていたら、やはり蚊が入ったらしく、昨日の晩額を一カ所、顎を一カ所刺された。額のところが大きく腫れて、さわると痛い。仙台に下宿していたときも、マンションの四階で、エレベーターなしの四回はキツくていやだなあ、と思っていたが、大家は“四階がいいですよ、網戸なんかしなくても蚊は入ってきませんし”と言っていた。蚊は三階くらいの高さまでしか飛べないのだそうである。確かに仙台にいる間じゅう、蚊に刺されたことはなかったように記憶している。しかし、いまのマンションも四階なのだが、蚊は平気で入ってくる。東京の蚊は仙台の蚊より高く飛べるのか。あるいは、窓でなく、エレベーターなどを使って上階に上がってくるのだろうか。“蚊を二階にあげてはしごを外す”という小咄を思い出した。

 原稿を送ろうとしたがメーラーの調子が悪いのか、ハネられる。というか、そもそも文章を認識してくれない。頭を抱えるが、しかし、と読み直し、一部に手直しの必要を認める。それもなまなかな分量ではない。30枚の原稿のうち、15枚近くを差し替える必要性である。まあ、文章をやや手直しをして、と書き始めるうちに筆が乗り、11時までかかって、結局25枚程度をすっかり書き直すまでになってしまう。こんなことも珍しい。くたくたになり、メールしてみると、今度は楽に送信。ふう、と息をつく。ずっと座り続けていたので、気がつくと下半身がぐっしょりという程に汗をかいていた。体もあちこちガタピシだが、こういう風に一気に原稿を書き上げたあとというものの快感はモノカキの特権。古川ロッパがこれを“下戸の知らねえいい心持ちだ”と、『め組の喧嘩』のセリフをもじって日記に書いていたっけ。一応、まだメールに心配があるので、プリントアウトする。今日これから河出の本の表紙の撮 影なのである。

 風呂へ入り、出る。撮影場所は井荻のカメラマン・飯村昭彦さんのスタジオ。井荻という駅がどこにあるかも、確認するまで知らなかった。タクシーで雨の中新宿へ。西武新宿線で下井草と上井草の間(などと説明しなくても私以外の人は知っているだろうが)。駅から一分の場所だが、降り口を間違えてしまったために、大きな地下道をくぐって反対側に回る。地下道の柱がなにか巨大で、駅のスケールより大きい気が した。 スタジオ、Sくん、井上デザイン井上くん、河出Sくん、モデルのAさん(そう言えば名前を知らなかった)揃っているが、まだ撮影準備中。スタジオはコンクリの打ちっ放しで二階分をぶちぬいており、小さいながらかなりのもの。井上くんのざっと描いたスケッチを見せてもらう。Aさんには全裸になってもらうので、部屋の一部にカーテンを引き、脱衣スペースとする。とはいっても、すぐこの後、全員の前でポーズをとるわけである。飯村さん、“まあ、混浴の温泉の脱衣場だって男女に分かれて いるからね”と。

 ポラで数枚撮ってイメージをつかんでから、撮影開始。Aさんの髪の毛にもう少しシズル感を出したい、という井上くんの注文に、Sくんが買い物に走る。ついでに、サラダ巻きとお茶も買ってきてくれたので、みんなつまむ。考えてみれば昼飯を食っていなかった。井上くんも同じだそうで、“食ってはじめて、腹が空いていたって気がついた”と。Aさんは撮影前なのでお腹には何もいれない。気だてのいい、よく気のつく子で、お茶を入れたり、お皿を片付けたりしてくれるが、格好が格好である。
「いや、キミ、全裸でそういうことをせんでも」
 と言うと、
「そうですよね、途中で自分の格好に気づいて、凄く恥ずかしかったです」
 と。雑談もいろいろ。あの巨大な地下通路の柱は、最初地下道にショッピングモールでも作るつもりで、地元商店街の反対でとりやめた名残では、というような話。

 撮影、再開。最初は勝手がわからないので、ややぎこちなく、ポーズを言われるままにとっていた(井上くんが、ポーズをいちいち自分でやって見せるのが可笑しい)彼女だったが、やがてなじんできて、自分でいろいろ体の線を動かしはじめると、段違いにいきいきしてくる。胸が大きく、大きいが張りがあり、ウエストがくびれていて、しかもクラシックバレエから現代舞踏までやっているので、体が実に柔軟。特に上半身は、少し筋肉を動かすだけで、見事なラインが出る。こういうときは現代アートに詳しいSくんがいきいきして、自分でもさまざまに注文を出す。飯村さんも撮影 が面白いといった感じ。

 この歳になると女性の裸というものにはさして興味もなくなり(そりゃ、これから寝ようという女ならまた別であるが)、それよりも残りのインタビュー原稿のことなどで頭がいっぱいで、彼らにまかせていたが、最後にまだ何枚かフィルムが残っているというので、じゃア、あまりアートっぽくならないように、オタクぽいのも何枚か撮ってもらおう、と、Aさんに注文して、ゴジラのポーズをとってもらう。前屈みになって手を腰だめにし、口を大きくあいて放射能を吐いている格好。いや、これがグッときた。思わず“いいね、いいね!”と篠山紀信みたいなセリフが出た。私はオタク文化の中にどっぷりと身をひたしてきて育ってはいるが、自分の本質はひょっとして、いわゆるオタクとは違うんじゃないか、ニセモノなのではないか、というような疑心暗鬼が常にあった。しかし、これで興奮するというのは大丈夫、やっぱりオタクですわ、と、自己を再確認したような次第だった。

 撮影終わり、西武新宿線で新宿まで。車中井上くんと雑談。新宿駅でみんなと別れて、マイシティで少し買い物。5時半帰宅。たまっていたメール連絡しばし。このところ、と学会関係で、機材、例会会場、来年の大会会場などの件で、一日平均20〜30通のML通信と個人メールが来る。来年の大会の形式のことで私がなんだかんだ具申していたのを見てハイになってますなあ、みたいなことを言って笑っていた植木不等式氏ですら、と学会事務費で購入が検討されている書画カメラの機能を確認しにメーカーまで見学に行く、とか言い出している。昔は社会的にある程度の地位のある中年オトコがはまる趣味と言えばヨットかゴルフ、山荘でのナチュラルライフとかであったが、現代のせわしない世相ではそういうこともなかなか出来ず、その替わりに こういう“会作り”が置かれているのかもしれない。

 7時、またとって返してK子と一緒に新宿。大久保の『グリーン食堂』。こないだ撮影できないまま食っただけで帰った補身チョンゴルを、講談社の編集さんと撮影しながら食べる。YくんとIくん。Yくんは体調がすぐれないとのことであまり食欲が進まない(と、言っていたが、愛犬家なのでやはり犬肉を食うのは抵抗があるか?)が、Iくんは、こないだ講談社メチエの著者の人とここで補身湯を食ったが、あまり犬という感じがしなかった、このチョンゴルは犬肉がどさっと入っていて実にいい、と大喜びしてパクついていた。チョンゴルというのは韓国風鍋のことで、別に犬だけに限ったことではないが、コチュジャンたっぷりの汁に肉とネギ、ケニブ(エゴマの葉)を入れて煮、それをたっぷりの摺り胡麻とトウガラシミソ、和辛子などの薬味で食す。こういうじめじめした季節にはぴったりの、鬱気を吹き飛ばす鍋である。それに今回はネギチヂミと蛸炒めを頼む。辛い辛いとわめきながら、結局ペロリと平らげて、鍋の後の飯まですっかり腹におさめる。まだ10時と早かったが、かなりバテていたので、帰宅、百草胃腸薬だけのんですぐに就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa