裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

土曜日

ダダより高いものはない

「なにしろ三面怪獣って設定なんで、三体もぬいぐるみを作ったからねえ」(製作スタッフ・談)。朝、7時半起床。今日も天気はパッとせず。梅雨らしい梅雨と言えばその通りだが。朝食、貝柱粥とスグキ。果物はサクランボ。マイシティで買ったもので、紀ノ国屋で買うもののほぼ半額だが、甘さは同じ。粒の大きさや色が落ちるとい うだけである。

 こないだ黒澤和子『黒澤明の食卓』をつまらないとケナしたが、もちろん、われわれの知らない黒澤明の日常がどうだったか、を知るための資料としては実に面白い。それを越えて、黒澤明のあの演出力の根元の秘密を食卓から解き明かす……といったような視点がないというのが、父を尊敬している娘(父が尊敬される理由といったものに疑問も探求心も抱かず、尊敬されてあたりまえと思っている存在)の書いたものの限界なのである。黒澤明より、本多猪四郎監督の描写、黒澤との性格の違いが面白い。別荘で一緒のときなど、本多監督は身の回りのことも洗濯からベッドメイキングまで、自分のことは一切自分がやって、整然として万事控えめ。これは長年にわたる軍隊生活のたまものだろう。彼が炊事をすると、二人前なら二人前、三人前なら三人前と、常にピッタリの量で炊きあがり、黒澤監督はいつも“お代わりなしなんだよ”と文句を言っていたという。実に本多監督らしいが、これはこの二人の映画の演出法の違いにもそっくりあてはまらないだろうか。常におかずたっぷり、ご飯山盛りで、ゲップをしながら、しかもかなりの量を卓上に残して帰らねばならないのが黒澤映画であり、期待した分、金を払った分はきちんと満足させて、帰るときは皿の中はきれ いさっぱりとなくなっている定食の本多映画。

 午前中から、本日〆切のSFマガジン原稿10枚。ざくざくと進むはずであったし現に書いてもいるんだが、妙に時間がかかる。好きなテーマなので、力が入っているからかもしれない。今日は3時から九段で植木さんたちと来年の会場下見が入っているので、その時間までにはアゲないといけない。余裕で完成の筈が、ギリギリの2時半にやっとメールできたところまで延びた。やれやれ。井の頭こうすけ氏に送る図版は九段のどこかでコンビニを見つけて、そこで宅急便を出そう、と、急いで家を出てタクシーに乗り込む。今日は神宮で野球があるとかで土曜というのに路が込み、イラつく。運転手さんが60年配の、杉本五郎氏によく似たタイプの人で、根っからの江戸っ子らしい。再開発でどんどん東京がつまらん街になっていく、再開発のショッピングセンターなんてのは四、五年もすれば人がこなくなる。今に東京はゴーストタウンだらけの街になりますよ、と。もっとも、そうなればそこにまんだらけ的なオタクショップとかがまたいろいろ入って、あちこちに中野ブロードウェイ的な魔窟街が誕 生するかも知れない。

 千代田区某所の某会場、なんとか5分遅れで着いたが、タクシーつけてもらったところが裏側で、ホールにはどちらから回ればいいのかわからず、事務所で聞いたりして少し迷う。結局10分遅れになってしまった。植木氏、IPPAN氏には迷惑かけた。ビル上のホールに上がり、会場の音響係のおじさんにいろいろ質問。北見けんいちのマンガに出てくる、気のいい下町の親父さんみたいな感じの親切な人だった。責任者はこのおじさんではないのだが、以前にIPPANさんが電話して“と学会”と名乗ったら“ああ”とすぐわかってくれた人が、この人ではないかとのこと。

 会場、ロビーが狭く、物販がしにくい(後で聞いたら、基本的には物販NGのハコだそうだが、結果的にみんな講演者が著書などを売っているとのこと)のがまず、一番気になるネックである。それから、会場備え付けのプロジェクターが機種が古く、アオリ補正もできないものなので、そこらへん、いい機種をレンタルででも調達しないとならない、ということが問題。とはいえ、ハコの広さ、席数、イザとなれば二階席を使える、落語用の高座台、毛氈、屏風などが備え付けてある、なにより九段下駅三分というアクセスのよさ、そしてなぜかこれだけの施設なのに、会場費が他のところに比べると一割以上安く(これは古い〜昭和41年だったか2年だったかのオープン〜せいでもあるだろう)、来年の公演予定の月の土曜日に空き日が多いなどというメリットは捨てがたい。そこはそれ、区の公的建物で、いろいろとやかましいことも言われそうだが、ぜいたくを言ってもキリがない。楽屋回りも見せてもらう。日暮里より総面積では広いが、一部屋を二つに区切るという形でしか分けられない。女性陣の着替えには屏風を立て回すことになるか、という感じ。

 近くのレストランでティータイムのケーキセットつつきつつ、三人で会談。会場番長のIPPANさんは今回のために30以上の会場をいろいろ検討したが、まず、あそこ以上の場所は現在、望めないだろうということで、私も植木さんも、異議なしでこの報告を実行委員MLにアップしてください、と許諾。使用説明書に目を通すと、ワイセツ、残虐な内容の公演はお断りとあるが、あんな大舞台でやるワイセツ、残虐な公演っていったい何だろう、とか笑う。天井が高いので、日暮里のような、会場の一体感が失われないかという意見もあったが、その分ロビーはごった返すから、例のゲッベルス効果はまず大丈夫だろう。観客席と舞台の距離感をなくすために、と学会エクストラの出演者は客席から壇上にあがってもらう演出をするとか、大賞候補本を壇上から客席に回して手にとってもらうとか、質疑応答のワイヤレスマイクを回すなどの工夫が必要になると思う。音楽は今回のテルミンより、もう少し聴くもののテンションを高める、パチンコ屋の軍艦マーチ的なものがよからんとも思う。

 いろいろと話しているうち気がついたが、植木氏もIPPAN氏も端正な東京山の手言葉を自在にあやつる。植木さんの口調は日常であっても、また駄洒落を連発しても基本的な学者肌の言葉遣いを崩さないし、IPPANさんは公務員だけあって、これだけ親しくしていてもちゃんと基本的礼儀を崩さない、好青年的な(趣味は好美のぼるとか立川談生とか、好青年的ではないが)口調である。それに比べると、私の言葉遣いというのはまじめな話の中にもゾロッペエな芸人的、ヤクザ商売的なクズレがポロポロと出る。なみきたかしだの鶴岡法斎だの快楽亭ブラックだのといった化け物連中と普段話している分には目立たないが、こういうところで下地というのは出てしまうものだな、と可笑しく思った。IPPANさん、こないだネットオークションで買ったという、姿英介名義の好美のぼるの総集編雑誌を見せてくれる。『UA!』にも入れた『ドケチ』総集編であるが、中のコラムマンガやギャグまで、全部好美先生 一人が描いている。凄い!

 外へ出て神保町方面に歩く。雨が本降りになりはじめた。急いで出て傘を忘れてきたので、近くのampmでビニール傘買い、ついでに井の頭氏への図版を宅配便で送る。8時の下北沢で落ち合うことにして、IPPANさんとは別れ、植木さんとカスミ書房さんへ。こないだの大賞ポスター協力の感謝と、コミケ関係のことなど。山下さん、大賞授賞式、面白かったし、安心できたと。安心というのは奇妙な感想かも知れないが、要するに周囲の観客のほとんどが自分と同じ文化圏にいる世代なので、壇上のギャグに反応して笑うことに、周囲から浮くんじゃないかという心配がない、ということである。と、いうことはつまり、若い客層が少ないということでもある。しかし、山下さんは、と学会は活字文化世代の最後の砦みたいなものだから、仕方ないのではないか、と分析。確かに、下手に若い世代にこびるより、上の世代の親父たちが、何かしらないがやたら面白がっているイベントがあるけど、あれはなんだろう、 と、若い世代に注意を喚起する方がいいのかもしれない。

 30分ほど話すが、植木さんが何か腹に入れておきましょう、というので、古書センター並びの中華『上海朝市』へ。ビールと手延べつけ麺。ここは初めて入るが、メニューを見ると店名に忠実に上海ガニなどがあるらしい。次の実行委員揃えての打ち合わせ場所はここにしますか、などと話す。近くにうまい打ち合わせ向きの店があるというのは案外会の成功に大事なファクターで、例えば前回の日暮里は、会場下見の後の打ち合わせが大木屋であった、ということで、メンバーの出席率が無闇によかったりした。あとは打ち上げに適した店か。ここのつけ麺は手延べと手打ちとあり、植木さんは双方頼んで食べ比べをする。つきあいで私ももう一皿麺をとったが、大部分残す。食欲がないのではなく、これから下北沢での飲み会に、胃袋のスペースを空け ておくため。植木さんと私では、体重に三十キロ近い差があるのである。

 地下鉄と小田急を乗り継いで下北沢、途中IPPANさんから店の地図を失したという電話も入ったが、無事改札で落ち合える。雨、さらに強くなる中、虎の子へ。集うもの、われわれ三人にK子、大会の器機担当I矢さん、ビデオ担当だったTさん、それから開田あやさん。開田さんは仕事で来られないので、あやさんはタッパを二つ 持ってきて、その中に詰めてオミヤゲにするとか。

 入ると既にもう、囲炉裏でサザエがいい感じに焼かれている。乾杯の後、泡を吹いてきたやつからとって、竹串で引っぱり出して齧りつく。キミさんは“醤油をたらしたら?”と言ったが、醤油も塩もいらばこそ、身内のダシと塩気で、ただ焼いただけで見事な壺焼きになる。存在そのものが素材セット、という生き物なのである。哀れと言えば哀れだ。能登のサザエは波がおだやかなのでトゲもあまりなく、サザエ特有の潮臭さもあっさりで、いくつでも食べられる。他にパン粉とガーリックソバターで焼いたエスカルゴ風、大きめのやつを選んで仕立てた刺身。いずれも美味い美味い。ことに刺身のキモの、とろりとした部分は、酒以上に酔っぱらいそうな味わい。I矢さんがこないだ大会の打ち上げに持ってきたワインが美味かったというので、K子が今日も持ってこい、と命令。ドイツのフランケンワイン、もう一本ドイツの、何だったか忘れたがやたらさわやかな飲み口の白、スペインのラ・マンチャ地方の、ちょっとユニークな香りのワインを次々味わう。さらにはこうでんさんからの能登の地酒。サザエを発砲スチロールのケースからつかみだし、焼いては食い、食ってはまた焼きにかかる。サザエを飽きるほどむさぼり食うというのもなかなか出来る経験ではないだろう。他に虎の子からのおつまみとして、クリームチーズに酒盗をかけたもの、ゴルゴンゾーラにハチミツをかけたもの。ことに後者は、クセの強いゴルゴンゾーラの風味をハチミツが和らげていて、絶品。この組み合わせは何か中世の食べ物という感じである。そう言えば、去年の12月30日、コミケのあとの下北沢での落語会の前に腹ごしらえで入ったイタ飯店でも、I矢氏はチーズピッツァにハチミツをかけるというやつを食べていた。ところも下北、I矢くん、チーズにハチミツと、四題ばなしである。

 話題もあっちゃこっちゃに飛び回りハネ回り、笑い声11時過ぎまで絶えず。K子は大阪のぺぇさんの上京の際に、開田家に泊まらせて、と頼んでいる。『UA!』の新刊も完成披露。Tさんの帰りの電車の時間があるので、そこらでお開き。サザエ腹をさすりながらタクシーで帰宅。K子は多弁かつ笑いまくり。こんな機嫌のいい女房を見たのは、長い結婚生活の中でも数回しかない。自分の作った虎の子のサイトを見てみて、と言う。注意事項(トラノヲ)コーナーに曰く、“大声で話さない”“仕切らない”。これ、二つとも見事に今日はわれわれ、違反していたと思う。

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