裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

15日

日曜日

朝の猥褻運動

 モーニング・ファックこそ明るい一日の始まりをもたらします! 朝、7時45分起床。朝食はスープスパゲッティ、サクランボ。IPPANさんから、昨日の会場選定報告をMLに挙げる件の報告。ちょっと表現について意見具申。トイレに入って用を足したら、便器の中の水が真っ黒になるほど。ゆうべあれだけサザエのキモを食ったのだから無理もない。たぶん、これまでの一生で食ったサザエのキモの総量を、ゆ うべ一日で越したのではないか。

 昨日の夜半から、頭頂部が腫れたような感じになって痛んでいた。夜中に目が覚めたときも、ピンピンという感じの痛みが感じられた。今朝にはそれが消えていたが、あれもキモを食い過ぎた故の頭痛か、と思う。いくら能登の海がきれいでも、ある程 度の毒素は海草にたまり、それを濃縮したのがあのキモであろうし。

 この歳になると体のあちこちにはガタが来ているから、たいていどこかかしこか、一カ所くらいには痛んだり痺れたりという部分がでている。そう、こないだ河出の撮影でヌード撮った帰り、新宿で鼻がむずむずするのでティッシュを取り出してかんだら、いきなり鼻血が出たのには驚いた。ヌードで興奮して鼻血が出たなどは高校生である。そうでなく、新式の鼻毛カット用具を買って、面白いのでパシパシと切ってい るうちに鼻腔内に傷をつけてしまったらしい。

 昼は外出して、東急ハンズ、東急本店など回る。新楽飯店で貝柱と野菜煮込みランチ食べて帰宅。腹ごなしにこないだ原稿の資料にと書棚から出したちくま文庫の森鴎外全集1を寝転がって読む。先ほど鼻毛を切って血を出した件のことを記したが、西洋人がはたしてハナクソをほじるか、という問題を大まじめに追求した『大発見』はやはり実に面白い。『舞姫』とか『高瀬舟』みたいな陰々滅々たるものばかり中学生に読ませようとするから、若い世代が読書嫌い、文学嫌いになるのだ。鴎外ならこの『大発見』、漱石であれば『琴のそら音』あたりを教科書に採用すれば、みんなもっ と本を読むようになるのではないか。

 4時半、ついうっかり時間を読み違えて、遅れて家を出る。4時40分に銀座みゆき館劇場受付集合のはずが、5時ギリギリになってしまった。受付にベギラマがいてチラシを配っていた。植木さん、開田あやさんとうわのそら藤志郎一座の『一秒だけモノクローム』『木星のペンギン』再追加公演観劇。こないだのライブで村木座長が“もう二回目の追加公演だから、飽きた。全く違う話にする”と言っていたが、アドリブはだいぶ分量が増えていたが、基本的には以前のものをきちんと踏襲したものになっていた。私が以前の感想で、おぐりゆかのミッキーを“アメリカ人には見えないけれど”と書いたせいではあるまいが、なぜ彼女がアメリカ生まれなのに日本人ぽいのか、という設定のやりとりが加えられていて、人物設定が精緻になっていた。

 村木氏演じる隊長の人格設定を植木さんが気にいったようで、何度も横で笑い声を立てていた。この場をまとめようという責任感と、変にまとまることを嫌がって茶化してしまう反抗精神が一人の中に存在するという人物像は、30代半ばを過ぎた観客には、かなりのリアリズムとして受け取られるのではないか。社会的にもそろそろ責任ある位地につかされて、若い連中に説教のひとつもせねばならなくなり、しかし、まだ精神的には若いつもりで、アナーキーに走っていたい、という願望があって、と いう。

 終演後の舞台挨拶で、村木座長が“一部出演者がアドリブをやりすぎて、終演時間が大幅にずれ込みまして……”と挨拶し笑いをとっていた(むろん、自分のことである)。確かに村木氏のアドリブのノリは誰も止められるものでなく、すさまじい。それだけに、ちょっと前回観た公演より、村木氏の出ていない『木星のペンギン』とのテンションの落差がはっきりとでてしまった感じがしたのは残念。ただ、阿部能丸さんの、他の人間にまるで価値を認められていない登場人物、という役は、前回よりも ずっと明確にそのポジションを確保できていたように思う。

 終わって挨拶し、外に出る。あやさんはバテている開田さんに食べ物を買って帰ると言って丸の内線へ。私と植木さんは銀座線で渋谷へ。東急文化会館閉館の前に、少し見学していきましょうかと、中に入ってみる。昭和31年開館というビルだけに、床や階段がいずれもスリ減ってデコボコになっている。古びて味がでてはいるが、確かにもう寿命かな、という気はしないでもない。植木さんと、われわれが子供の時分のビルの床って、そうそう、こんな感じのものでしたよねえ、階段もこうでしたよねえ、と懐かし話。やたら小さなスペースに化粧品屋さんとかスッポン粉末の店とかのテナントが隙間恐怖症のように入っているのも、昔のビルの特長。われわれにはたまらなく懐かしいが、懐かしさのレンジが狭すぎる。昭和の高度経済成長期世代のみへの郷愁で、世代を越えた文化的な尊厳というのがないところが、取り壊しもやむなし という結論に至るところか。

 K子と電話で、最初は駒形どぜうにしようと言うことになるが、行ってみて、沖縄料理の『沖縄』の方がいいだろうとなり、沖縄の前に言ってみたらつぶれている。つぶれたのではなく、ドンキホーテの並びに引っ越したのだとのことで、そっちへ歩いてみるが、探し当てられず。結局、新楽飯店で中華にしようということになり、私にとってはヒルヨル新楽飯店ということになった。青島ビールと貴譲老酒(仕込み水の代わりに老酒を使った、老酒で仕込んだ老酒)。相手が植木さんだけに遠慮なくピータン、腸詰め、水餃子、イカボール、コマツナ炒め、肉団子、ビーフン、焼きそば、ダイコン餅と、食った食った。話も当然はずんで、と学会関係から最新科学界情報に至るまでいろいろ出たのだが、リラックスしすぎていて、ほとんど記憶になし。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa