裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

28日

金曜日

なんで石燕をあなたは気にする

 だって、京極さんの小説に出てくるようなオバケを一杯描いた人でしょ? 朝7時45分起床。軽くクシャミ一発。考えてみれば、私は子供のころから、朝起きがけにやたらクシャミを連発する体質だった。うちの爺さんというのが、毎朝、まるで日課のように“はあっくしょーい”とクラシカルなくしゃみを発する人で、血だねえ、と母が変な感心をしていたものである。

 朝食、豆サラダ。今日はグリンピース、トウモロコシ、豆モヤシ、蒸し大豆、の取り合わせ。昔、『GORO』に連載されていた小池一夫の『青春の尻尾』(平野仁・画)に、心壊了(シンフォアイラ)という六百六十歳の老婆が出てきて、長生きの秘訣が豆ばかり食っているからだ、という設定だったな。もっとも、これは女だけに効果のある長生法で、何故かというと女の命は“豆”が燃えることによって保たれているからで、豆を食うことで生命の“豆”を保たせるのだ、というイカニモ小池一夫的な解説があったものである(思い出したついでに書いておくが、このマンガに出てくる西王母の末娘、火の精の炎娘子というキャラは、丸顔でロリで、だけどおっぱいはちゃんと出ててビキニ姿で、耳が妖精耳でとんがっていて、興奮すると牙を剥き出すという女の子で、後の『うる星やつら』のラムちゃんの原型〜なにしろ高橋瑠美子は 劇画村塾出身なのだし〜ではないかと、私は秘かに思っている)。

 ブロス騒ぎに対する昨日の日記に対し、かなりメール等で意見が寄せられた。大部分は理解をしめしてくれたものであったが、中にいくつか、“本当に悪いのは、持永昌也及びあの原稿を無検閲で掲載した編集部であるのだから、それを指摘した町山氏ばかり責めるのは筋違い、もしくは片手落ちなのでは?”というものがあった。当然のことである。と、いうか、当然のことすぎてわざわざ日記に書く意義も感じられなかったから書かなかったまでである。

 ただし、だ。それこそ以前から私が言っているように、人間には全てのことを言う権利がある。言った後でその責任・結果を全て発言者がかぶる意志さえあれば、悪いことでも、間違ったことでも、全くリクツに合わぬことであってさえなお、発言の権利は認めねばならない。“言論の自由”ということを突き詰めていけば、そういうことになるのである。繰り返すが、それを口にすることでの責任を全て発言者がかぶることが原則であるが。古くはレニー・ブルース、なんてダサい例を出すと町山氏とかにはバカにされるだろうが、釈迦に説法で申せば、身体障害者やユダヤ人、黒人を徹底差別したギャグを持ちネタにしている芸人はアメリカには山ほどいる。第二次大戦のときに日本人の扮装して舞台に上がり、“ニッポン、バンザイ”とやって半殺しにされたコメディアンもいるというのがアメリカの凄いところだ。日本の全知識人絶賛のマイケル・ムーアなんてのも、別にアメリカの良心の体現などではない。こういう伝統に乗っかった上での存在である、ということをみんなわかって言っているのか?あらゆる発言にタブーを許さない、という原則をまず根底に敷いた上でなければ、自由の国などとは言えないのである。持永昌也が問題なのは、以前、彼は同じブロスで橋口亮輔監督のゲイ映画『ハッシュ』を、“女性蔑視映画である”と怒ってみせていたことだ。一方で差別に怒り、一方で差別主義を表明するというこの腰の据わらなさこそ、発言者として責められてしかるべきことなのではないかと思う。

 そしてまた繰り返して言うが、町山氏の怒りは徹底して正当である。ニッポン、バンザイのコメディアンを半殺しにした観客が正当であるのと同様に。たぶん、彼の怒りは持永一人にではなく、その原稿を疑問視もせず掲載したブロス編集部自体にも向けられているのだろう。だからこそ、雑誌の存続すら危なくなるような行為を敢えて町山氏はやってみせ、“言ったこと、載せたことへの責任”ということに彼らを覚醒させようとしているのだろう。それは、正義である。テロ行為へのアメリカの報復が正義であることと同様。そして、正義には犠牲がつきものである。町山氏は、自らの行為で、多くの“自分の同業者”が巻き込まれ、犠牲になる可能性があることを認識しているのだろうか? その上であえてなお、あの行為を行ったのであろうか? そうなのであれば、その行為には筋が通っている。大義親を滅すも考え方の一つだ。その是非を問える立場に私はない。ただし、バカを叩く爽快感、悪を追いつめる愉悦感だけで彼の行為に喝采を送る人々には、少なくともブッシュ政権のイラク攻撃を非難する権利はない(それがその発言のかぶる責任としての結果である)ことだけは言っ ておきたい。

 昼は六本木に出て、ABCで資料をあさり、明治屋で買い物をする。ちょうど明治屋で北海弁当祭というのをやっていたので、大漁旗弁当とかいうのを買って、家で食べる。ウニ、イクラ、カニのほぐし身、イカの丸煮、煮帆立、茹でエビが酢飯の上に乗っている。乗りすぎの感もある。三時から時間割で打ち合わせだから……と思ってゆっくり食べて、仕事部屋に戻ったら、留守録が入っていた。待ち合わせ、1時だった模様。うひゃあ。昨日が1時と3時の打ち合わせで、今日はそのどっちかと同じ時刻、と思い、3時とカン違いしていた。あわてて謝りの電話を入れる。Hさんから苦笑した返電あり、後日仕切り直し。

 これで調子が完全に狂ってしまう。飯で腹もふくれたので、ごろんと横になったらいきなり一時間半も寝てしまった。これは昨日の揉まれ疲れだろう。電話で起きる。インタビュー依頼。熟女ヌード写真集を見て何か語れというもの。いや、こういう偉そうでない仕事、最近あまり来なくなったので(皮肉でなく)大変にありがたい。それからメールを見たら、これまたインタビュー依頼で、土佐の坂本龍馬像に落書きがされていたという事件から、落書きの歴史とかについて語れというもの。落書きについては以前何度かエッセイに書いたから、今回もその流れで来た依頼であろうと思って承諾の返事を出しかけて、ふと文面をよく見ると、“佐藤さまはこういうことにお詳しいかと思い”と書いてある。社会学の見地から、とか書いてあるから、たぶん、佐藤健志さんか誰かに依頼するはずのメールが、間違えてこっちに届いたものであろうと判断。お間違えなのでは、と返信する(あとでまた返信が来て、私と佐藤氏と双方に出したものが間違えた、とのこと。と、すると、佐藤氏のところには“唐沢さまはこういうことにお詳しいかと思い”というメールが行ったらしい)。

 夜9時、K子、アシの藤井くんと新楽飯店。またまた夫婦漫才(最近は藤井くんも加わってトリオの様相を呈してきた)のような会話しながら、腸詰、イカとセロリの炒め物、肉団子、カニ豆腐など。金曜で満席。幸い、入ったときにちょうど出た組がいたので一階に席がとれる。二階には、次から次から次から次へと、マルクス兄弟の映画のシーンみたいに人が詰め込まれていった。藤井くんに、“仕事場の片づけを手伝ってくれない?”と言って、K子に“マンガ家にそんなこと言っては失礼だ”と怒られた。考えてみればそうである。長年モノカキをやっている者の部屋の資料棚とかを片付けるのは、若いライターとかには資料収集や仕事場環境整備などの勉強になることで、役に立つ。芝崎くんや伊藤剛くんなどは、自分から、そういう場合は是非呼んでくださいと言ってきた。つい、そのデンで藤井くんにも気軽に頼んでしまったのだが、彼は別にモノカキになるわけではないから、単なる労働力としかみなさなかったことになる。悪いことをしたと反省。11時帰宅、ちょっとパソコンに向かい、1時ころに就寝。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa