19日
水曜日
もうだかぽ。
『ダカーポ』で連載切られたときはそう思いました。朝、7時に目が覚めたらえらい二日酔い。もう一時間寝て、8時起床。脱水症状で喉がカラカラなので、グレープフルーツジュースをがぶ飲みし、黄連解毒湯と百草胃腸薬のんでなんとか。朝食はしっかり食べる。トウモロコシにグリンピース、それから豆モヤシを茹でて、ドレッシングをかけたものを一皿。果物はモンキーバナナ。テレビは韓国地下鉄放火事件でいっぱい。凄いのはこれだけの死者を出した原因となった男性(56)が軽い火傷程度でぬけぬけと助かっていることだろう。自殺しようと思ったのなら逃げるな、火の中に飛び込め、という感じだが。
だが、私はこのニュースは昨日の夜もうたっぷり見てしまったので、昨日の産経新聞の一面の『川崎の市立小・小1に過激な性教育』という記事を読んでゲラゲラ笑っていた。この見出しだと、実際に児童生徒の前で本番でもやってみせたか(『ミーニング・オブ・ライフ』みたいだ)とでも思えるが、実際は男女の裸の絵を配って、性器の名称を書かせた程度らしい。記事を読むと、どうも問題は“性器の名称を「書かせた」点”にあるらしく、川崎市教育委員会も、それが学習指導要領に反している、ということを遺憾としているようだ。事実、記事によれば
「同小は十九日、一年のクラスで学校関係者に公開する形で性教育の特別授業を実施する予定だが、“名称を児童に記入させることはしない”としている」
とある。学習要領というのは遠足のことを小学一年生に作文に書かせるとき、遠は二年の配当漢字であるから、“えん足”と書かせないと教師が叱られるという、世にも馬鹿らしい規則である。校長によると川崎市の小学校では以前から性器の名称を教える授業はやっていたそうだ。ペニスと口にするのはいいが、字に書いちゃいけないというのは何か南方のタブーででもあるかのように思える。授業自体は絵のその部分のことを『ペニス』、『ワギナ』、と女教師が教え、それらの機能を児童に質問し、“おしっこ”という答えに“もう一つあるので、続きはまた”で終わったらしい。この程度の騒動を一面記事に持ってきて、“過激な性教育”という見出しで人目を引こうとするのはいかがなものか。若い美人教師が“ペニス”と口にするところを想像するだけでもうもう、という連中も中にはいるだろうが。
『週刊ポスト』届いたので読む。マンガ評欄で、大月隆寛が、このたび復刻された水木しげるの『劇画ヒットラー』(実業之日本社)を取り上げているが、内容にはほとんど触れず、やれ現実の側からマンガが浸食された時代がどうのこうのといった、どうでもいいことばかりに終始している。この人にはどうもジャーナリスティック感覚というものがない。マンガ史的にどうだとかいうことは『マンガ夜話』ででも語っていればいい。いま、この傑作が読めるようになったのなら、何をさておいてもこのヒトラー像をフセイン、金正日に置き換えて読む、そのような読み方を読者に勧めなくては(少なくとも週刊誌における時評としては)意味をなさない。それが一番の旬の読み方なのだ。私だったらなによりも、今の読者にこの『劇画ヒットラー』で勧めたいシーンは、初読のときにも最も印象的だった、ミュンヘン会談の件りだ。戦争回避のために、英国のチェンバレン首相はチェコスロバキアに圧力をかけ、ズデーテン地方の割譲を認めさせ、これで戦争が回避されたと大喜びし、帰国する。水木しげるの筆はそのチェンバレンの得意満面な顔を描き、一転、一年後のヒトラーのポーランド侵攻に呆然とした、辞任時のふてくされた表情を描く。今、ここを読まないでいつ、読めというのか。
独裁者にとり、平和というカードほど強力な武器はない。なにしろ、世界の国民というのは重度の平和ジャンキーなのだ。麻薬中毒者に対し、いくらでも麻薬を与えられるバイニンのヤクザと同じ立場にいるのが軍事力を持った独裁者たちなのだ。そうなればなんだって言うことを聞かせられる。ヤク(平和)が欲しければへいつくばって足を舐めることも、肉体を自由にもてあそばれることも、なんであっても厭わないのが、末期ジャンキーのあわれな姿だ。マイケル・ムーアあたりに影響されて、反戦デモに参加してブッシュの悪口を言ってはしゃいでいるような連中に、今の自分たちの姿がどういうものなのか、見せてやらねばどうにもならない。そして、軍事的独裁者にもてあそばれた平和中毒者たちの群れが、世界をどういう破滅の淵に追い込んでいったか、その歴史を学ぶのに、この『劇画ヒットラー』は何より優れた教科書的作品なのである。この作品が、今この時期に復刻される意義は、そこにある。
昼は青山に出て、冷やしたぬき。紀ノ国屋で買い物。K子のリクエストでフィンランドのパン“ペルナリンプ”を買う。真っ黒で丸い、爆弾みたいなパン。ここはフィンランドパンに昔から力を入れており、永福町のフィンランド料理店『キートス』の主人もここで買い込むそうだが、元々は紀ノ国屋の主人がフィンランドの大腸ガンの発生率が非常に低いことに注目し、繊維質たっぷりのパンを食べているからであろうと考えて販売をはじめたのだとか。
原稿書き、進まず。6時45分、家を出て渋谷駅でK子と待ち合わせ。講談社の編集さん(Yくん、Iくん)と、芝公園のロシア料理店『ヴォルガ』で会食。いつも、東京タワー脇の旧・東京12チャンネルのビル(現在は貸しスタジオ)に行くときにこの道を通り、その異様な外観(下記URL参照)を眺めては、一度入ってみたいもんだと思っていた。これで後ろに花火をあげれば、まるきりテトリスである。
http://www.tokyo-oasis.com/gourmet/hiroo/hiroovolga.html
JRで恵比寿、そこから地下鉄日比谷線。この時間帯の割に空いているような気がするのは、やはり韓国の事故でみんな怖がっているのか。神谷町で降りて徒歩10分くらい。例のど派手な外観は夜見ると、さらに凄い。濃いピンクのネオン看板が伝統とか雰囲気をまるきり壊していて、そこがまたいい。このレストランは完全に地下に埋まった形になっていて、この建物は単に入り口を飾ってあるだけのハリボテなのである。巨大なオモチャ看板なのだ。中に入ると、薄暗いライトアップにいたるところに飾られた肖像画や甲冑が目につく。殺人事件が起こる屋敷というか、ディズニーランドのオバケ屋敷というか。しかし、内部は重厚なクラシック造りのレストランで、何か時間が止まった世界にまぎれこんだような気がする。客はわれわれの他に三組くらいしかいなかった。……大丈夫か?
Yくんは先日会ったときも風邪で苦しそうだったが、今もまだ、咳が抜けない。Iくんは相変わらずエロ怪人で、メチエの執筆者の大学教授たちにエロダジャレを連発して大変好評を博している(?)とか。ストリチナヤのウォトカとビールで乾杯。さすがにウォトカは絶品の品であった。ザクースカの盛合わせはスモークトサーモン、生ハム、キャビア、ニシン、ピクルス。これはわざわざ来て食べるだけの価値のあるもの。ニシンの甘味は涙が出るほどだったが、キャビアはそれほどでもなし。イクラ丼をいつも食ってる北海道人にとっては。ただし、薬味として出た半熟卵(キャビアの塩気がきついと思ったら、その黄身を少しかけて和らげる)の中に少しキャビアを落としこんで、逆にキャビアを鶏卵の薬味として食べてみると、これはウマイ。そば粉で作ったブリニ(パンケーキの小さいの)と、黒パンがついているが、この黒パンがまたうまく、あっという間になくなってしまった。それとは別に暖かいフランスパンが脇皿でつくが、これが食べる後から後から補充され、それでかなりお腹がくちくなってしまう。
その後、ロシア料理の定番であるボルシチとピロシキ。ボルシチは濃厚なシチューのようで、他の店で食べたボルシチのイメージを一新するに足る。ピロシキはまあ、普通。ここは基本的にはロシア宮廷風フランス料理の店、であるらしく、メインは完全なフランス料理。しかも的矢湾産の牡蠣だとか、沖縄産黒豚とかがメニューに謳ってある。味を第一にしていることはわかるが、ちと感興をそぐことは事実だな。ここまで本格的なロシア風装飾の中で食べるなら、徹底したロシア風をバーチャルで体験したいではないか。
結局、メインはエイのムニエル、ちりめんキャベツとマッシュポテト添えなるものにしてみる。味は予想した通り。つまり、金沢でTさんからもらったエイヒレの生のやつだな、という味。非常においしいが、どうしても日本人にとっては“珍味”の範疇からは脱しきれない素材というか。昔ブニュエルの『ブルジョワジーの秘かな楽しみ』で“エイのバター煮”という料理名が出てきて、何かウマソウだと感じて以来、エイ料理は追っかけているのだが。
こんな正統かつ高級な料理を味わいながら、話題は韓国の地下鉄だの歌舞伎町の風俗店だの、ロシア女好みの知り合いたちのうわさばなしだの。まあ、気取らない分、料理がうまくなるのだが。K子は従業員に、“この店、ロシア人はどれくらい働いているの?”と訊いていた。苦笑しながら返ってきた答は“一人もおりません”。ストリチナヤと、店お勧めのロシア産ズブロッカに陶然となりつつ店を出て、赤く照明された東京タワーの、なにやら不吉にそびえ立つ図を眺めつつ地下鉄駅まで歩く。