裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

16日

日曜日

畜生パズル

 ピースを埋めると親子相姦の図が。朝、7時45分起床。小雨がパラつき、寒々しい冬の空。朝食、豆サラダ、ブラッドオレンジ、ミルクコーヒー。金正日誕生日に向けての北朝鮮の祝祭の模様がテレビで報道されている。ははあ、日蓮上人と誕生日が同じであるわけか。みんな必死で楽しげにふるまってはいるが、白頭山に集う年配の軍人や政治家たちの表情は、極めて寒そうでもある。旧ソ連の指導者たちは、高齢にも関わらず革命記念日(11月7日)のパレードで屋外に長時間並ばねばならず、のきなみこれで健康を害したというが、半島の2月の寒さは、ロシアの11月以上であろう。金正日も嫌な時期に生まれたものである。

 母から電話。ニューヨークは反戦デモでうるさいうるさい、とのこと。そのせいでもないだろうが、電話がうまくつながらず、途中からこちらの声が全く届かなくなったらしく、ブツッと切れた。いかにも、遠い異国の地らしくてよろしい。手元の電話で、まるで隣町にでもいるように話が出来るという状況はなにかものたりなくて、わ ざわざ渡米している意味がない。

 最近、早川のポケミスでG・G・フィックリングのハニー・ウエスト・シリーズを読み返している。罪がなくってよろしい。第一作は『ハニーよ銃をとれ』。もちろん『アニーよ銃をとれ』のもじりだが、原題が“ア・ガン・フォー・ハニー”。アニーの方の原題は“アニー・ゲット・ユア・ガン”だから、これは訳者(平井イサク)のお遊びなのだな(テレビで昔やっていた連続シリーズ『アニーよ銃をとれ』の方の原題は“アニー・オークリー”)。で、このハニー・ウエストがテレビになったときのタイトルは『ハニーにおまかせ』。こっちのタイトルは『宇宙刑事シャイダー』で、森永奈緒美の女刑事アニーに人気が出たとき、サブタイトルに“アニーにおまかせ”というのが出て、同名の挿入歌まで作られて、森永奈緒美自身が歌っていた。ハニーとアニーの互換作用みたいなもので面白い。こんなものを面白がるのも私くらいかもしれないが、私の目にはこれが一種の文化ピンポンに映るのである。もっとも、『ハニーに……』の方はともかく、『アニーに……』の方は見ている者にはほとんど、そ れがもじりだとわからなかっただろうが。

 シャレとかお遊びというのは受け手の基礎教養を信じてのものである。先日、サイトで『お父さんたちの好色広告』を評してくれている人がいて、私の文章を
「推敲と修辞を突き詰めてストイックなのに遊び心のある書き手」
 と認めてくれているのだが、
「本書は初心者向けに平易に書こうと媚びていて逆に読みにくい」
 と苦言を呈し、“お父さン”などという表記は不愉快ですらある、とイキドオッていた。あの文体を“初心者向けの平易なもの”ととられては、こっちは泣くに泣けないのである。昭和高度経済成長期のお父さんたちの文化を伝えるのにはどういう文体がふさわしいか、と、“推敲と修辞を突き詰め”かつ“遊び心をもって”、小沢昭一のラジオ『小沢昭一的こころ』の口調を取り入れているのだが。たぶん、この人は小沢昭一のあの名番組を聞いたこともないのだろう。こういう評に接すると、ああ、やはり初心者向けに平易に書く、ということを基本にしないといけないのかな、と思っ てしまうんである。

 11時半、家を出て、新宿から中央線、総武線と乗り継いで両国へ。両国駅で立ち食い蕎麦屋で冷やしたぬきをすすりこみ、雨の中をしばらく歩いて両国永谷ホール。大阪の講談師旭堂南湖さんの探偵講談の会、『幻の南湖』第一回公演。以前の日記に記したとおり、在大阪のミステリ作家芦辺拓氏のお招きである。両国永谷ホールは前に一度オタクアミーゴス公演で使用したが、舞台が三角形という、なかなかユニークというか奇妙な作りの場所。椅子はパイプ椅子で、しかも客席の端にはどーんと太い柱がある。まあ、スペースが余りましたのでホールにも使えるようにしてみました、という程度のもの。最初の東京公演なので手軽な会場にしたんだろう。入ると、いわゆる演芸ファンではない、ミステリファンと一目でわかる(SF大会などに集うSFファンとも、やはりちと違うのである)みなさんが、かなり集まっていた。著書の近影で顔は見知っている芦辺氏が、挨拶しにきてくれて、楽屋の南湖師に引き合わせてくれた。南湖師は庵野秀明はじめ才人を多々産んでいる大阪芸大の、なんと大学院を出て講談師になったという人物であるが、写真で見ると坊主頭のおっさんという感じなのだが、実物はやっと30歳になったばかりという好青年(志加吾と同い年か)。学生時代から私の著書は読んでいて、ほとんど揃えている、と、招待券に添えられていた手紙には書いてあった。挨拶し、手みやげがわりに冬コミ同人誌を差し上げた。しかし、すでにタコシェで購入済みとのことで、恐縮。今朝、届いたCD『講談・猟 奇王』にサインをもらう。

 最前列で芦辺氏と並んで鑑賞。と学会の原田実氏もわざわざ上京していた。芦辺氏と古書ばなしちょっと。氏と私は同じ昭和33年5月生まれである。“その年その月にきっと、古書宇宙線みたいなものが地上に降り注いだんですな、きっと”と話す。氏は私の著作の中で実は『ガメラを創った男』が一番好きなんです、とのこと。大変嬉しい評価ではあった。怪談ばなしの歴史についても軽く(他の人が聞いてたらかなりディープに聞こえたのではないかと思うが)。貞水師の演る四谷怪談の古バージョンのことなどを話す。

 さて、いよいよ南湖師登場、まずは軽く、と漫談調の新作講談『さやま遊園』。大阪南海電鉄沿線にあった、古くて小さい遊園地の思い出話というローカル極まる演目だが、これがおもしろい。大阪近辺の人間ばかりでない、消えゆきつつある高度経済成長期の産物に対するオマージュという、どの世代にも共通のノスタルジーを刺激するネタだからであろう。続いて、古典講談『藪井玄意』。本来は四回読み継ぎで2時間くらいかかるという連続ネタの、今回は第一回、さてこれから……というところで“おあとはまた明日……”で。いかにも大阪の講釈らしい、ヒチッくどいストーリィと語り口調である。講談の原型である説教(経)節の色も残していて、東京(江戸)的な洗練とは対極にあるのだが、それが今聞くと、話芸の原点の形を残しているという感あって、非常に心地よい。歌い調子というか、うねるようなリズムがこちらを催眠状態にかけていく。こういう形の洗練もあるのだ、と思いを新にする。芦辺さんに言わせると、東京の話芸はそぎ落としていく芸、大阪は付け加えていく芸であり、例えば『饅頭こわい』みたいな話も、間に怪談ばなしを差し挟んだりして、40分以上もかかる長講にしてしまうのが大阪落語、という。曼陀羅的な性格があるのだろう。

 休息をはさんで、お目当ての探偵講談、海野十三作『蝿男』。冒頭の、現行版では“奇人館”になっている怪しの洋館を、オリジナルに忠実に“きちがい館”とする、といったところは、芦田氏のようなマニアックなブレーンがついているからだろう。もちろん原作版も大好きな作品だが、いわゆる海野調の馬鹿馬鹿しさに対し免疫がない人間にはちとつらい、あまりにマンガチックでご都合主義(驚天動地のトリックもまた)な話だと思っていた。それが、講談にすると実に決まる。しかも、演者が原作にツッコミを入れたりも出来るので、話にアラがあればあるだけまた楽しめるというおトク感もある。読んだときはちょっと想像に及ばなかったが、名探偵帆村荘六、この話ではドテラ姿で犯人を追っかけるようなしまらない姿で、しかもクライマックスは別府の砂風呂での格闘、すなわち犯人も名探偵も素っ裸なのだ。フルチン姿で怪人を退治た名探偵はこの帆村だけだろう。終演後、そのことを原田氏に話したら、アッ と膝を叩いていた。

 予想以上の出来に満足、急いで近くのコンビニにレンズ付きフィルムを買いに走って、壇上での南湖師の写真を撮る。山前譲氏との対談。山前氏の娘さんが客席から声をかけるのが楽しい。終わって、打ち上げまでの間に1時間ある(終演が3時半なので、居酒屋などが開くまでの時間が半チクに余るのである)ので、芦辺さん、原田さん、あのブラッCのサイトの管理人(ある日突然ブラッCから電話で“私のサイトを作ってください”“なぜ私が?”“今日びサイトのひとつも持っていない落語家は時代遅れですから”“いや、だからなぜ私が?”という会話の末にさせられてしまったとのこと)であるSさんと、近くのファミレスで時間をつぶす。芦辺さんと、東京という街の魅力などについて雑談。大阪でSF同好会時代に、デビュー前の山本弘に出会ってそのバイタリティーに感服した、という話が面白かった。SさんはブラッC、柳家風太郎などという面々を来年(2004年)の岐阜SF大会に連れていき、SF寄席をやらせるとか。雑談中にK子から携帯に電話。今日、実は7時くらいまでで打ち上げの席を切り上げ、おおいとしのぶくんたちの十条での飲み会(飯塚昭三さんも久しぶりにいらっしゃるとのことだったので)に顔を出すつもりで、メールも出していたのだが、それがこっちのカン違いで、昨日だったとのこと。あちゃあと頭を抱え るが、まあ、じゃあ時間気にせず居座れるな。

 1時間ほど時間つぶす。外は氷雨がみぞれに変わり、雪になるかという案配。原田さんはこれから東北の方へ向かうという。東日流外三郡誌関係ですか、と気軽に言ったら、本当にそうで、ちょっと今度大きな動きがアレ関係でありそうなので、ということだった。鶯色のインバネスをひるがえして、怪人、雪の帝都の雑踏に消ゆ。こちらはタクシー相乗りで、浅草橋へ。会場の居酒屋『華の舞』は人形の久月ビルの地下にある。人形問屋街で、吉徳、秀月、久月、米州などの有名人形店が並ぶ。雛祭り前の時期ということで、“どうですか、ちょっと見ていってください”、と呼び込みを やっているのには驚いた。

 二次会は15人ほどのメンバー。ほとんどが老舗ミステリファンのSRの会のメンバーである。芦辺さんを中心にいろいろな人とミステリばなし。聞いてははあ、とわかったのは、現在のミステリ界の状況は、いまオタク界がおかれている(岡田さんと文春文庫『オタクの迷い道』の対談で話した)状況とほぼ、パラレルであるということ。つまり、私や芦辺さんの世代は、かろうじてミステリを読もうと思えばポーやドイル、乱歩・正史からちょっと遡れば涙香あたりまでたどっていき、そこからまた最前線の現状を俯瞰できる立場にあった。それが、昨今のブームで、今や若い人は毎月毎月出る新刊を追いかけるのに精一杯で、その歴史に関する知識がまったくない。と言うか、歴史が遡れるものだという意識がほとんどない。だから、ミステリの手法などはみな京極夏彦、島田荘司あたりが発明したものだと平気で信じ込んでおり、それは違う、と掲示板で指摘したりすると、感謝するどころかうるさがるという。知識、 教養に関する欲求というものが消失しているらしい。

 若手の評論など、事実関係の誤りが呆れるほどぼろぼろとあって、しかもそれをいちいち訂正すると、“そういう細かいところばかりをつついて”とくってかかってくるという。一瞬、デジャブを起こしそうになった。芦辺氏曰く“……しかしね、例え小言幸兵衛と言われようと、そういうことをきちんとやる人間は絶対必要やと思うんですよ”と。私もまったく同感である。思えばアニドウなどに在籍していた頃は小うるさいロートルマニアがいて、私のような若僧が何か言おうものならその間違いや知識不足を徹底してつつかれて、“○○も見ていないでアニメを語ろうなどとは十年早い”みたいなモノイイをされ、かなり腹立たしく思ったものだが、しかし今思えば、 あれはまことにありがたい師匠たちであった。

 芦辺氏はSRの人たちのサイン攻めにあっていた。私の隣りに座った初老のミステリファン、公演の質問コーナーで山前さんに“今日のネタの藪井玄意を主人公にしたミステリが昭和三十年代の『面白倶楽部』か『講談倶楽部』に連載されていたはずですが……”とマニアックな質問していた人だが、しばらく話して、私がと学会員だと知るや、エッと驚き、いや、アレは凄い、私、シリーズ全部揃えています! と絶賛してくれた。ありがたいこと。9時にお開き。次回の公演は私のサイトにも情報を載 せますから、と南湖さんに挨拶。

 K子と10時にクリクリで、と携帯で打ち合わせ。芦辺氏も誘って、両国のホテルにチェックインした後、タクシーで参宮橋まで。絵里さんに芦辺氏を紹介したら、笑い出す。どうしたのかと思ったら、“だって、お二人があまり似てるので”と。そう言えば兄弟、とはいかないが従兄弟、くらいには言っても信じてもらえるかも知れない。K子、例によって初対面の人にでも傍若無人で、今フィンランド語教室で作っている家族の話をミステリ仕立てにしたいのでトリックを考えて、とやる。“そうですな、それでしたらそこで死んだと思われていたお父さんが実は……”と、すぐにスラスラ作るのがさすがプロ作家。12時近くまでいろいろと雑談。帰宅時にはもう雪は やんでいた。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa