13日
木曜日
なだ万八千円
さすが老舗料亭、一食でこの値段! 朝、7時15分起床。豆サラダ。自殺よびかけサイトで男女3人心中のニュース。どのキャスターも理解不能とか現代の病理とか言っていたけど、これって相対的に言えば明るいニュースなんじゃないの。個人主義の行き着く果ては誰もが他者の理解を完全拒否して孤独の中で死んでいく、もしくはその虚無感を勝手に他者にも応用して無差別殺人を犯して自己を社会的に抹殺する、というところに行き着くであろうに、このサイトの主催者(月夜・美夕というHNはなんとかならんかと思うが)は“やはり一人では寂しい”と仲間を集め、その趣旨に理解する女性たちと出会えたんだから。まだ、人と人とのつながりは失われていないのである。
上記記事を報道していた今朝の産経新聞に、脚本家の大石静(『オードリー』『ハンドク!!!』)が『人はなぜ宇宙に行くのか?』と、先日のコロンビア号爆発事件に関し、私が3日の日記で“なんでこういう意見が載らない”と言った通りの意見を述べている。
「だが私は思う。なぜそんなにまでして宇宙に行かなければならないのだろうかと。もちろん発見することの刺激と理解への希求なくして、文明は発展しない。真理を追究する心なくして文学も生まれない。ただ私にとって、宇宙開発だけは不可解だ。東西対立のあった時代は、軍事的な目的でさまざまな衛星が打ち上げられたのはわかるが、今、莫大な費用をかけて宇宙開発に励むのは、ただただアメリカの権威を世界に見せつけるためだけの、ショーのようにしか私には見えない。(中略・“レッドプラネット”計画に触れて)そんなことをしてまで人類は生き延びる必要があるんだろうか? もちろん命は重い。しかし、火星を第二の地球にしようとする考え方は、人間の傲慢である。(中略)宇宙より地上に、見据えなければならないことは多々ある。解明しなければならないことも……」
いささか視野狭窄ではあるし、非論理的ではあるが、しかし、ほとんどの人間、ことになまじっか教養がある人間が思っていても口に出せないことをはっきり言った、という点で、私は(誤解しないでほしいが、私は宇宙開発推進派である)この発言を支持したい。かつて山本夏彦がアポロ月着陸で騒ぐ世論に対し、“何用あって月世界へ”と書いて冷や水を浴びせた。それに続く快挙である。
昼、公園通りのコンビニでSFマガジン用の図版ブツを井の頭こうすけ氏に出す。2時からインタビューなので、花丸のさぬきうどんの行列にならぶ。釜揚げうどんと昆布のおにぎり。釜揚げうどん、麺はともかく、出汁が甘くて少し持て余した。2時から、時間割にて『日経クリック』インタビュー。編集のK氏、以前アスキーでいしかわじゅんの担当をしていたという。“それはご苦労さまで”と言うと、“みなさんにそう言われます”と。『創』の公開対談で私といしかわじゅんが対談したときに、一回会っているとのこと。今回はネットに跳梁する都市伝説、というお題。私はそもそも都市伝説とは、という基本事項から解説する役割。最近の例として、“アッチョンブリケ横隔膜矯正帯説”を挙げるが、へえ、そんなのがあったんですか、と驚かれる。ネットでのウワサの特長は、その寿命が極めて短いことだなという思い新た。
終わって帰宅、仕事関係の電話数本。某社から依頼があった評論原稿だが、評論対象の人物の遺族の方から、いろいろと注文が入るらしい。○○の件は書くなとか、作家の××の書いた本からは引用するなとか、いや、やかましい。幸い、そっち方面に触れる内容ではいかないつもりなので、あまり支障はないものの。書いた後でチェックしますから、箇条書きにして送ってくださいと言ったら、編集部も苦笑していた。別件で、新しい仕事の話。それも、ちょっと大がかり、かつ“エラソー”なお仕事である。今年後半はこれにかかりきりということになるか? 何にせよ、これまでやってきたことが無駄でなかったという、一種の結実的な仕事であり、正直なところ、うれしい。しかもちょうどいま、別の出版社でその本(今回の仕事は私のその本を読んで企画が立ったという)の文庫化を進めている最中。西手新九郎、今回は大仕事かもしれない。
先行きのメドは立ったが、足下をキチンと固めていかねばならぬ。SFマガジン原稿11枚にかかる。最初の話の進め方にちょっとあぐねたが、中盤から筆が乗ってくる。だだだと書き進めて、あと2枚、というところでK子と約束した待ち合わせの時間。電話して一時間遅らせるかとも思ったが、読み返してみて、いや、一旦頭を冷やした方が結論部分を書くにはいいだろうと思い、中断して外出、船山で夕食。昼来るとやはり、夜、来たくなるらしい。一番安い定食コース。それでも十分、堪能は出来る。刺身に、珍しい“かっぽれ”という魚が出た。シマアジの仲間ということだが、甘くて美味。ネットで調べてみると、かなりな巨大魚である。ちゃんとゼイゴがついているところを見ると、やはりアジの仲間らしいが、アジとは似ても似つかない。大きいので、釣り師が悪戦苦闘をする様子がかっぽれを踊っているように見えるからこの名がついたとも、あまりの旨さに思わずかっぽれを踊ってしまうほどだからかっぽれと呼ばれるようになったとも言う。酒はやや抑え気味にして食べて帰宅、SFマガ ジンの残りを書き上げて、11時にメール、やれやれと床につく。