裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

17日

月曜日

短躯勘九郎

 まあ、中村屋って案外背が低いのね。朝7時半起床。何か夢を見たはずだが思い出せない。昨日打ち上げの席で芦田さんに“旅行中などは日記用のメモをつけておくんですか?”と訊かれて、イエ、ほとんどつけませんと答えて驚かれた。日記の記述は連鎖式なので、記憶をたどればだいたいのことは思い出せるのである。ただ、メモをつけておかないと忘れてしまうのが夢とダジャレ。なんべん、ムチャクチャに面白い夢を見て起きて、日記をつけようとパソコンの前に座るまでに全て忘れてしまって、地団駄を踏んだことか。ダジャレも同様。他の出来事などに一切関連がない事項なので、連鎖式に思い出すことが出来ないものだからだろう。

 朝食、トウモロコシのサラダ。豆が切れてしまったのだった。ブラッドオレンジの小さいの一ヶ。FAXにて、私やK子の本を担当してくれた、ダイヤモンド社のNさんがこのたび編集生活を引退するので、ご苦労様会を開く、その発起人になってほしいとの依頼。Nさんにはある意味での私の文筆生活のエポックとなった『古本マニア雑学ノート』正続の他、私がプロデュースしてK子の『入院雑学ノート』、ササキバラゴウ(佐々木果)さんの『クラシックカメラ雑学ノート』、母がお世話になっている生田倫哉氏の『ニューヨーク暮らし雑学ノート』などを出してもらっている(本当はもう一冊、伊藤剛くんの『鉱物マニア雑学ノート』の企画もプッシュして通したのだが、何故か彼が執筆しないまま流れてしまった。惜しいと思う)。まず、引き受けないではいられまい。許諾のFAX。

 筑摩書房M氏からメール。先週、ここの文庫で秋刊行予定の『美少女の逆襲』の原稿フロッピーを引っ張り出してきて、『書院』ワープロにかけて読み出してみた。うまく読みとれればMS−DOSに落として、データにして手を入れようと思っていたのだが、すでに磁気が消耗しているらしく、読みとれなかった。次善策として、印刷屋さんに頼んで刊行された本からテキストファイル化してもらうことにする。ただ、あの本、編集者が勝手に文章に手をいれて変梃なものにしてしまっており、そこをいちいち原文(と、記憶するもの)に戻していくのは実に面倒臭い。12時過ぎに家を出て、六本木に向かう。銀行で古書代金など振り込み、それからABCで新刊数冊、 さらに明治屋で食料品買い込み。

 帰宅、直後にササキバラゴウさんから電話。自分のサイトの1978年論を仕切り直し的にアップして、そのすぐ後に私の日記を読んで、15日の記述を見つけたとのこと。“いや、「補助線」「軸足」と言い方こそ違え、全く同じことを先にカラサワさんが書いているのを見て、驚きましたぁ”とのこと。ただ、前のアレは挫折ではなく、“一応、一回は壁にぶつかっておかないといけないかなあ、と思ったんで”やってみた、そうである。ホームビデオ発売以前のテレビ番組の一回性などをササキバラさん、熱く語る。その状況打破のためにみんなでテレビ局に再放送嘆願書を出そう、と連絡をとりあい、徒党したのが、現在の形のオタクの出現契機であった、と私。引きこもりをオタクの根元とするような見方は根っからの誤謬なのである。あれは、引きこもっていて情報収集、発言が可能になるツール(パソコン通信)が出現してからのものだろう。『新現実』は無事、掲載が決まったとのこと。3月半ば発売。1時間ほど、長電話。昼飯は電話しながら、明治屋で買ったサンドイッチひとつ、エクレア 小ひとつ。 

 4時10分、書評原稿アゲ、メール。それから、コラム原稿800字を45分で書き上げてメール。5時カッキリに家を出て、タクシーで新宿まで(15分)、そこから中央線でお茶の水まで(15分)、総武線乗り換えで新小岩(20分)。待ち合わせに5分遅れて着。河出のSくんと、タクシーで森林公園わき、ヴィ・ショップへ。品田冬樹さんにインタビュー。工房では今年後半の新番組の、いやコレハ書いてはいけないこと。品田さん、かなりテンパッた状況らしいが、そこへどんどん名指しの仕事依頼が入り、断っているとか。“さすが売れっ子ですねえ”と言ったら、“いや、一ヶ月前まではすさまじくヒマだったんですが、くるとなると……”と。どの仕事もそんなもの。

 二階事務所でインタビュー開始。品田さん、今回のテーマ(『怪獣と官能』)に、大変入れ込んでくれており、自分なりの咀嚼でいろいろ語ってくれる。とはいえ、品田さんの解釈と本自体のテーマ(これはつまり、編・監修の私の解釈)との間に距離があることはもちろんであり、基底インタビュー(品田氏、開田裕治氏、実相寺昭雄監督)としては少し話が拡散しすぎるかな、という感じ。絞っていこうと思って水を向けても、怪獣の話となると、怪獣マニアというのはその“全て”を語ろうとするから、どうしても時間がかかる。Sくんは心配していたが、しかし、中盤を過ぎるあたりから、ポツ、ポツ、と、こちらにとってうれしい発言が飛び出してくる。まさに、インタビューというのは川底の砂の中からキラリと光る砂金を探し出す作業なのだなと実感する。結局、2時間くらいと予定していたインタビューが3時間になる。

 インタビューは話を聞くのが仕事の三分の一。残りの三分の二は、その砂金を集めて一個の金塊に練り上げる、原稿まとめの作業である。これは、私がテープ起こしします、と言うとSくん驚く。私は、テープ起こしというのは創作作業だと思っているので、人にまかせたくない。もちろん、ほとんどは時間がないのでまかせてしまっているが、今回の話を原稿にまとめるには、なまじの腕では無理である。聴いていてオモシロイ話(怪獣ファンというのは実は全国で一万人しかいないという話とか、東宝関係の裏話とか)でも、テーマに絞り込むためには落とさねばならない、その判断は余人ではこれは無理である。幸い、品田さんは以前の『くもとちゅうりっぷ』のフィギュア取材の記事で、私のインタビュアー能力に関しては信頼してくれている。

 品田さん、事務所を出がけに、“カラサワさん、これちょっと”と、オミヤゲをくれる。うわっ、と驚くものだったし、それにかける情熱の凄さで品田冬樹という人間のマニアック度がわかるが、しかし説明をするとヤバいものなので略。“メシ食いましょう”と品田さんに誘われ、近くのとんかつ屋へ。ビール飲みながらまたいろんな話。政治論から宗教論にまで及ぶ。品田さん、ビールに酔ってなお雄弁になり、ふと“僕にとって造形というのは性行為みたいなものなんですよ”と口走って、私とSさんを慨嘆させる。“なんでさっきそれを話してくれないんですかあ!”と。これはもう一度、残りお二人のインタビューの後にもう一度新小岩を訪れないといかんな。

 9時にとんかつ屋に入ったので、下北沢に10時に、とK子に電話したのだが、その発言がらみでいろいろツッコミを入れたりして、店を出たのがすでに10時半。そこから新小岩までタクシー、総武線でお茶の水。これがお茶の水止まりであった。イラついて、“ここで降りますから”とSさんと別れ、駅からタクシー。ところが、道が混むこと混むこと。年度末で、道路工事がやたら多いのである。K子に連絡を取るたびに声が冷たくなってくる。日本の行政を呪いながら、車中でため息。渋谷から三茶に抜けるまでに1時間以上かかり、途中でついに日をまたいでしまった。おまけに携帯の相手が怒っていることを運転手さんが気にしていたらしく、それで気をとられて、茶沢通りに入るはずが通り越して、駒沢大学から用賀の方へ行ってしまう。呆れてそこで一旦降りて乗り換え、下北沢に到着したのが12時半。やっとついた私の姿にキミさんがケラケラ笑っていた。黒龍一杯飲んで、帰宅。床にもぐったときには、ふう、とため息が出たほどであった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa