裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

9日

日曜日

♪ズワイズワイカニカニカニカニダスキー

 クイタイヨー、クイタイネー。朝、7時起床。ここのベッドは枕がやたら小さいのだが、その割にはぐっすり寝られた。外は小雨がそぼふっている。昨日のJINENからの帰り道は大雨で、乗ったタクシーの運転手さんが“明日の朝には小雨になって昼は晴れるそうやで”と言っていたが、まず朝はアタリ。

 大浴場に行ってくるから、とK子に言って部屋を出るが、どう行ったらいいのか、しばらく迷う。やっと案内図を見つけて、それに従って歩き出すが、広いもので、もう歩く々々。渡り廊下のようなところを歩き、プールの脇の通路を半周して、ゲームセンターを抜けて、やっと大浴場へたどりつく。驚いたのは入浴コーナーに入ると、泊まり客がみんな床にゴロゴロと寝ていること。仮眠室はちゃんとあるのだが、せまいので人数が多いと外にあふれるのだろう。それにしても、通路はおろか、ゲームセンターの床、階段のところにまで人が横になっているのは異様な光景。大島の被災民が体育館で寝ているような光景。いや、子供などが並んで床に横たわっているのは、洞爺丸事件の後の遺体収容みたいである。

 姉妹なのか、近所の友達同士か、4〜5歳くらいの可愛い女の子たちがこのリゾートセンター内の屋内着一枚で5人くらい並んで無心に眠っている図を見ると、そのケのある者なら変な気にならざるを得ないだろう。金沢の民心が道徳的なればこそ、別に何事もなく、こうやって親たちも無防備に寝かせているのだと思う。私はと言えば何かメザシを思い出してしまった。浴場で脱衣していたら、開田さんがやってきた。一緒に入浴した地元の人の話だと、ここの垢すりサービスは、やはり風営法にひっか かりかけたという。打ち湯を使い、洗髪、ひげ剃り。

 8時、着替えて、今度は食事にK子と出る。また、同じルートを通って食堂に行くが、着替えて靴を履いて出たのが災い。食堂は入浴コーナーの脇にあり、靴を履いて入ってはいけないゾーンにあったのである。K子の額に青筋がキリキリと立ってきたので、急いで二人の靴を持ち、脱衣所のロッカーの中に一時しまっておく。食事はバイキング。納豆にご飯、味噌汁で、と思ったが、納豆に辛子がついておらず、そのかわりに紫蘇だれとかいうものの袋がついている。これをかけてかきまぜて食べるが、どうも不味。K子はパンを食ってなんだこれは、という顔。段ボールで作ったような味だと言う。いつぞや、近江町市場の店が閉まっていて、談之助夫婦などと仕方なく飛び込んだ喫茶店のトーストとコーヒーがバカンマだったことがあり、“さすが百万石の文化伝統は”とほとほと感心したことがあったが、ここはその文化の恩恵には浴していないようである。しかし、周囲はほとんど満席の状況。納豆をパンにつけて食うというキビの悪いことをしている若いのもいた。われわれの舌の方が美食に慣れすぎた、と言う見方も出来なくもない。したくないが。部屋への帰り道、渡り廊下でこれまた美食慣れの舌の持ち主である開田夫婦とすれ違う。K子、悽烈な笑いを浮かべ“お前たちも同じ気分を味わうがよいわ”。

 9時頃、ロビーに集合。開田さん始めさんなみ組は2時くらいまでには部屋に戻ったらしいが、金沢組は明け方まで怪獣ばなしで盛り上がっていたらしく、中には立ち寝をしている人もあり。氷川さんの奥さんと、廊下だの階段だので寝ていた目撃談をいろいろ話す。フロントで精算。ちょっとごった返している有様。怪獣酒場で使ったビデオや同人誌の売れ残りを宅急便で東京へ送る。朝飯を食い損ねた人が多いらしいのでこれから近くの回転寿司へ行く、とのことだが、まだ時間が早いので、ここの喫茶部で時間つぶし。S井さんたちの部屋の組と雑談。今朝のハリケンジャーの最終回はどうだったの? と訊くと、まあ、呆れるほどオーソドックスに終わったとのこと であった。

 11時、出て、15分ほど歩いて回転寿司チェーン『アトムボーイ』へ。FKJさんと、あれ、この店はアトムの絵がありませんね、マルCとってないんですかね、と話す。店内のメニューとかにはちゃんと鉄腕アトムの絵あり。なんで看板とかに掲げないのか。カウンター内はてんてこまい。そりゃそうだろう、まだ回転カウンターに一枚も皿が回ってない状態のところに、いきなり25人からの人数がドッと入ってきたんだから。最初二人で握っていたのが、急いで増援が来た。回転寿司のメカニズム をよく知らないK子に茶の入れ方から説明。

 ブリ祭ということで寒ブリ、ブリとろから回ってくる。脂が乗りきった白くて甘いブリで、昨日しゃもじ屋の定食で出たブリより上物である。せっかく金沢で食べるんだから、とハチメなど東京の寿司屋にないものを頼む。東京名はメバルだが、ほとんど煮付けにしてしまって寿司ネタにはならない。これが甘くて絶品だった。K子は各値段の皿をコンプリートしよう、などという奇妙な情熱を燃やしていた。朝飯を食わずに来た組のところには見る間に高い皿のタワーが築かれていくが(上に茶碗蒸しの茶碗を置いて延びていくので、とんとナゾータワーなところもあった)、われわれはルネスの朝飯が入ってしまっているので7皿くらいでストップ。

 食後、金沢駅へ移動。そこでさんなみ組と金沢残留組が別れる。さんなみ組はS井さん(息子さんは残留)、われわれ夫婦、開田夫妻、氷川夫妻、Oさん、と学会からSさん、Hさん、I矢さん、FKJさん、T社主、編集S山氏、それに樋口監督と、都合15人の団体。完全貸し切り状態である。樋口さん、ゆうべフードピアの打ち上げでかなり飲んだらしく(曰く“ひとケタ違うという酒を飲ませていただきました”と)まだ酔いが醒めていない。電車の時間にはまだ2時間あるので、それぞれオミヤゲを買ったりしていてください、と団長のS井さんが言う。K子が“誰か樋口監督についててあげて!”と言うと監督“イエ、大丈夫、俺オトナですから”と、どこかのマンガ喫茶あたりにふらりと消えていく。私とK子は近くの喫茶店へ。K子もすぐそこから買い物に出かけ、私はアスペクトのゲラチェックをずっとやる。

 時間になり、再集合。と学会メンバーは地酒の自動販売機なるものを見つけて試したらしく、赤い顔で現れる。さっき赤い顔をしていて樋口監督は時間を過ぎてもいっかな現れない。S井さんが青い顔になって構内放送で呼び出しをかけてもらいに行くが、そもそも構内にはいなかろう。携帯も待ち電になってしまっている。K子、“だからついてろって言ったでしょっ! オトナだって自分で言うヤツにオトナがいたためしがないのよ!”とカンシャクを起こす。やっと携帯がつながり、駆けつけてきて間に合った。待ち合わせに余裕を持っていてよかった。しかし監督、そこから和倉温泉までの1時間半は、ずっと席で寝っぱなしだった。

 いつもは金沢から和倉温泉、もしくは穴水まではサンダーバードで行くのだが、今回は接続の関係で各駅。S井さんから“さんなみの食事をフルで味わうために、車内では何も口にしないでください”とクギが刺されているので、時間を持て余す。K子とFKJさんは一駅ごとに能登の地図を持ち出して“今、ここ”と確認作業をしている。私は向かい合わせの席に座った、小池栄子を少し劣化させてみました、という感じのおっぱいの巨大なお姉ちゃん(また、胸もスカートの奥も、ちょっとかがんだり動いたりすると見えてしまいそうな服を着ている)をぼーっと眺めていた。脇の金髪の、今時の農村青年が精一杯おしゃれしたようなカレシが、肩に手を回したり、膝で眠ってみたり、こういうカノジョを持った幸せみたいなものを精一杯味わおうとしているのが微笑ましい。手にファッションショップの袋をいくつも持っていたから、金沢の街まで和倉温泉から(終点まで乗ってた)買い出しに来たのだろう。カレシの体格や顔つきのたくましさから見て、小さいときからのガキ大将だったと思える。そういうタイプとして、このレベルのカノジョを得たというのは、まさに十里四方に喧伝したいくらいの、人生の勝利であろうと思える。東京で見るカップルと違い、頽廃の臭みがないのである。

 途中、何度か特急待ちをして、和倉温泉着が少し遅れそうだったのか、やたら飛ばす。以前もこういうことがあってK子がヤキモキしたが、今回は列車の時間などはみなS井さんまかせなので、K子もおとなしい。S井さんは胃に穴があきそうな気分であったのではないか。だいたい、S井さんはいつもさんなみには車で来ていて、電車を使ったのは今回初めてなのである。乗り換えは私や開田さんたちはもう、ベテランという感じで。能登鉄道、誰かやるかと思っていたら、やはりT社主、先頭車両の前面の窓にハリついて、ビデオを撮影している。途中から目を覚ました樋口監督も、デジカメをかまえて前方の窓の前に立つ。T社主に、以前夜にこの電車に乗ったときの話をして、“いや、ススキのぼうぼうと延びた中を電車のライトだけが照らしてゴトンゴトンと行くところ、まさに水木しげるの『幽霊電車』って感じです”と言うと社主、ウレシそうに“あ、「次は骨壺、骨壺〜」ってやつですね”と。樋口監督も“このトンネルはリアル『千と千尋』だなあ”と。能登空港が出来てさんなみへのアクセスが便利になるのはいいが、このレトロでもどかしい能登鉄道ルートもなくなっては欲しくない。降りる間際におばさんが、“東京からおいでたんかいな。そうかいな。今は能登はタラとアンコウやで。これが一番おいしい季節や。ブリやカニはもう、季節やないな”と教えてくれる。以前来たときも、乗り合わせたおじさんがこういう風 に声をかけてくれた。能登の人情。

 矢波到着は5時半ころ。駅に能登の開田裕治ファン、Tさんが迎えに来てくれていた。バンで開田さん、樋口さんたちを宿へ送ってもらい、われわれは歩いて行く。途中でTさん引き返してきて、荷物だけ先に運んでくれる。まったくここの人は親切である。他郷の人とのふれあいにあまりスレていないからもあると思う。大都市で、余所の住人と会うことが日常茶飯になってしまっては(いや、自分自身余所者という意識を持って暮らしていては)もてなしの精神などは涵養されまい。

 船下のお父さんお母さんに挨拶。部屋の割り当てを決め(私は開田さん、Oさんと離れの部屋)、Tさんの持ってきた同人誌類にサインなどしてさしあげ、それからお母さんがわれわれのために(昨年12月10日の日記参照)冷凍してとっておいてくれた見事な山鳥の羽を、みんなでむしる。K子はメールで“私が全部処置するから”と言っておきながら“手が痛い〜”とむしれず、お母さんに“あなた、口だけねえ”と言われていた。四方八方からよってたかって手が伸びて、女性を輪姦しているような罪悪感と期待感のないまぜになったような感覚あり。ただしこの鳥は雄だそうな。

 社主はもう、風呂に入り、浴衣と丹前に着替え、すっかりくつろぎモード。他のみんなは鳥の羽むしりやこの宿の様子をカメラでバチバチと撮影。オタクの旅行というのはカメラの行列となる。この記録癖というのもオタクの本質のひとつであろう。思想や哲学でなく、モノや情報の記録を通して人生をビルディングするのがオタクなのである。Oさんは特に設計内装が専門なので、お父さんの手作りのこの宿に非常に興味を持ったらしく、写真を撮りまくっていた。台所にこもったK子の“きゃ〜”とい うはしゃぎ声が時折響く。鳥の解体が急ピッチらしい。

 さて、いよいよ夕食。T氏も誘って、席についてもらう。さんなみさんが特にT氏の分も料理を出してくれた。今回、はじめてさんなみの一万五千円コースというものを味わう。と、いうか、以前は一万三千円コースだったらしい。あまりにうまいのでこの上のランクがある、などということは知らなかったのだった。以下、料理の記録に移るが、あまり読まない方がいい。私自身、あの様子を完璧には再現できる文章力を持たないし、その程度であっても、なまじグルメな人が読むと地団駄を踏みたくなるから。

 囲炉裏が切られたいつものテーブルには、吉例の海餅、魚の串焼き(今日はアジ)が焼かれており、刺身(甘エビ三尾、寒ブリ、サザエ)、小鉢(胡麻豆腐)、いしりの貝焼き(海老、イカ)が並べられている。つきだしはこのわた。甘エビはぷりぷりとした身が、一、二度噛むともう、形状をなくし、飲み込んだかどうか怪しまれるほどすばやく喉の奥に身を隠す。後に残るのは果物みたいな甘味。考えて見れば自分のことを甘エビなどと味で呼ばれる生き物も珍しいのではないか。気の毒と言えば気の毒であるが。サザエは刺身か壺焼きかを選べる。私は壺焼きを。Tさんは“こっちでは普通、壺焼きは二、三個叩き割って、その中身を別の一個にぶち込んで作ります”と言い、K子に“土地の人間だと思ってそういう贅沢をして!”と怒られていた。

 それから神馬藻という海草。おひたしだが、ホンダワラのようなプチプチした浮き袋の感触がいい。酒はTさんが差し入れてくれた能登の地酒。おなじみ竹葉のにごり酒というめずらしいものに、宗玄という口あたりの非常にいい酒。同じテーブルには開田夫妻と樋口さんがついたが、みな陶然。それに合わせた珍味として、鯨のひゃくひろの湯引きが出た。モチモチとした感触が最高。さらにサーモンのおから寿司。一品出るたびにフラッシュがパチパチとたかれ、一箸口にしては“うまい〜”と歎声がわく。

 続いてがカニ。見事な焼きガニと、カニ足の洗い。洗いはさっと氷水につけたもので、カニ肉がひらいて、藤の花が開いたような形になる。それに醤油をつけ、ちと行儀は悪いが下の方から口で迎えに行き、あぐっとくわえ、歯でしごくようにして身をこそぎとる。甘エビのような濃厚さとはまた違う、鮮烈でさわやかな甘味のカプセルが、ぽろぽろと口中にほぐれてたまる。よく噛んで味わいたいのは山々だが、そんなことをしている精神的余裕はない。口や舌ばかりではなく、喉も胃袋も、早くこっちに回せ、と叫んでいるような感覚で、あっというまに胃の腑へと吸い込まれていく。テーブルで焼きガニと洗いが出る順番がてれこだったので、自分の方に洗いがないと最初カン違いしたK子が、SさんHさんたちのテーブルから洗いを一本さらおうとして、“わ〜”と悲鳴で阻止されていた。Tさんは例により、“地元ではこの程度のカニは……”とやってK子が今度は“わ〜”と阻止。焼きガニは社主がなんと甲羅をバリバリ齧っていた。キチンキトサンの効果でおとなしくなるだろう、などと樋口監督と話す。ミソは私と監督、きちんと真ん中に線を引いて、仲違いせぬように。焼かれて濃縮されたミソの味は、もう、麻薬と一緒。“中島らもは馬鹿だなあかかァ”というやつである。これを食ってりゃハッパなどいらぬものを。途中で、今日の手伝いに入っていた女性がサインを求めにくる。なんでも娘さんがK子のファンだそうで、今日はそのセンセイがさんなみに来るというのでワクワクしていたそうだ。こういう人物だとは知っていたのだろうか?

 そして今回のクライマックス、山鳥のしゃぶしゃぶ。きれいに盛りつけられた肉の大皿をK子が抱え込み、“はい、箸持って並んで! 一人三切れ!”と指示。みんな列を作って、箸で三切れをつまみ、鍋でしゃぶしゃぶと洗って、口に含む。山鳥の冷凍は難しいそうだが、冷凍とは思えない出来で、さっきの海老・カニとは異種の、山の甘味が舌にしみる。もう、この段階に来るとみんな、“うまい”などとは口にしなくなり、ただもう“ううう……”“む〜!”“あうあうあう”などとうめくのみ。さらに特別メニュー、うずらの雛の串焼き! オシラサマみたいな形の白い雛を半割にして焼いたものをほおばる、その瞬間、全員言葉を失う。樋口監督の鼻から、ガメラのうなり声みたいな音が漏れた。昨日の日記に、食の淫楽はモノカキから執筆意欲を失わせると書いたが、監督、さっきのカニミソで“もう俺はここに永住する。映画はここで撮る!”とわめき、この雛焼きでは“映画なんか撮れなくてもいい!”とつぶやいた。クリエイターの蟻地獄。

 普段のさんなみなら、いかになんでもこの程度だが、なにしろ今日は最高ランクの料理である。書いてて呆れるが(読んでても呆れるであろう)まだ終わらないのである。まず、たっぷりのアンコウ鍋が自在にかかる。このスープのうまいこと。そしてさらに、近所からの差し入れということで、巨大なるイワナを焼いて酒にひたした、イワナの骨酒が出る。骨と言っても身も何も全部入っている。全員の目がひン剥かれて、いささかの狂気の様相を呈してきた。Oさんが飲もうとすると開田さんが“まてまて、これは弟子には毒じゃ”などと横取りをする。酒はすする、身はほぐす、狂乱とはこういう状態を指すために発明された言葉であろう。Tさんもお母さんお父さんも、いささか呆れたのではないか。もっとも、骨酒は船下夫婦も飲んで“うわあ、おいしい!”と叫んでいた。アジの串焼きなども、気がついたら骨になっていたが、いつ食ったものか、記憶になし。“車中は何も口にしないように!”と言っていたS井さんはすでにここの段階ではダウンしていた。

 ランクが高ければいつでもこのような料理が味わえるわけではない。山鳥も、去年の暮れに捕れてから今までは一羽も捕まらなかったそうだし、イワナもたまたまの差し入れ。お母さんも、こんな料理は二度と出来ないかも、と言っていたそうな。何かわれわれは前世で善行を積んだのかも知れない。そんな風に感じた。結局のところ、酒は総勢15人で4升半、ビール6本。樋口監督は最後の飯まで食い、私の残したブリ刺身(まずいわけではないが、他のもので忙しかったのだ)をオカズにしていた。まったく、この一夜のBGMはムソルグスキーの『禿山の一夜』が最もふさわしかっ たと思う。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa