裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

21日

金曜日

笑ってリー・ド・ヴォー

「胸腺の料理を作ってくれるかなぁ?」「リー・ド・ヴォー!」朝、肩、腕の軽いしびれを覚えつつ7時45分起床。ここ数年、冬になるといつでも、朝、左腕中心にしびれを感じている。血行か、神経かしらないがなにやら脳溢血の前触れのようで不気味でもある。暖かくなってくると消えてしまうのだが。朝食、豆サラダ。今日はトウモロコシ、グリンピース、豆もやしの取り合わせ。豆もやしのシャキシャキ感がアク セントになる。

 母から電話。いま、井上の真琴がニューヨークに来ているという。チャイナタウンでうまい北京ダックを食べた、という話。周囲の人々はみな、母のマンションに食事目当てに足を運んでくるのだそうな。最近のこのサイトの目玉は一行知識でも裏モノ日記でもなく、母の料理日記とK子の掲示板であるような気もする。

 アスペクトから、『社会派くんがいく! 激動編』(このタイトルに決定した模様である。最初は続編という名目だと売れないから、新しい名前を、と言っていた営業が、急に“しかし、前作が案外売れたので、今回もこれで、と180度方向性を変えたのである)のゲラが届く。前半のみだが、これに赤を入れていく。書き下ろしコラム、書いているときは全然力の入らない、フヌケた内容だ、と自分で嫌ンなっていたが、活字にになって改めて読み直すと、案外過激かつ正論かつ馬鹿なことを吐いてい ていいんじゃないか、と思えてくる。

 1時半、バスで新宿へ出る。“願思叶石”とかいう、石屋の広告があった。“忘れないで、この世界にあなたが大好きな人がいることを”“こんな世の中だけれど、みんなではげましあって生きていこう”などという陳腐な言葉を石に彫りつけて、5万円(から)で売ろうという商売である。あいだみつを風をねらってるんだろうが、字も文句も、味があるわけでもない、単なるヘタクソだ。こんなしろものに金を払ってまで、現代人は癒しをもとめたがるのか。“私は癒されなくてはならないのだ”という強迫観念ではないのか。癒しストレスがたまりそうである。テンパってる方がむしろ楽なのではないか。途中、参宮橋で降りて道楽でラーメン。時分過ぎで空いていたが、スキーの先生らしい人が来ていて、店員全員、スキーの技術の話で大盛り上がりであった。

 新宿で、雑用済ませ、松竹ビデオショップに行く。あと一週間で閉店。もうほとんど店内にもめぼしいものはナシ。B級ホラーのDVDをこういうときでもなければなと数枚買う。ロジャー・コーマンの『ジュラシック・アマゾネス/恐竜対巨乳』なんて、半額でも高いのだが、まあ。よほど奥の方まで在庫をさらったとみえ、十数年前のB級スプラッタものビデオがあったので、ほう、と手にとってみたが、見たら値段が1万5000円。まだこんな値段で売っていた時代だったのだな、としみじみ。さすがに買わず(値段は正価だから、半額でも7500円)。

 そのあと、伊勢丹で買い物、ちとここには売ってないものがあったので、地下鉄を乗り継ぎ青山紀ノ国屋。年をとってから、私はこういう移動が苦にならなくなった。大学生のころは出歩いたり電車を乗り継いだりするのが嫌いで仕方なかった。階段など見ただけでイヤだった。今はふと思い立ってはちょこちょこ出歩いている。若い頃の運動はただ疲れるだけのものだったが、この年になって、減量と健康のため、という目的が出来、疲れれば疲れるだけカロリーを消費した、という満足感が得られるようになったためであろう。もっとも、テンションにもよる。

 帰宅したら、ロフト斎藤さんから電話。次のエロ朗読の会のこと。まず作品を選定しないとな。アスペクトから後半のゲラ届いたので、これにも赤入れて、前後編あわせ、入れたところのみ、FAXで送る。そのあと、またフラフラと外に出かけてしまう。やはりテンションか。HMVなど冷やかす。椎名林檎『加爾基 精液 栗ノ花』の“加爾基”がなかなか読めなかった。“哈爾濱(ハルピン)”の“ル”か、とやっと推量。もっとも、“カルキ せいえき くりのはな”と読んで、家で調べたら精液は“ザーメン”と読むのだとやら。その後いくつか細かい買い物。

 8時、夕食の支度に。今日は鯛を浜焼きにしたものと、フライパンパエージャ。鯛はピチットでざっと水分を抜き、笹の葉でくるみ、塩に卵の白身と片栗粉をまぜて溶いたものをその上から塗りたくって、オーブンで30分、蒸し焼きにする。私は鯛っ食いで、これから4月までの、鯛がうまい季節には毎日でも鯛を食いたいと思うくらいの男なのだ。パエージャはタマネギ、ニンニク、セロリをみじん切りにし、オリーブオイルで米と一緒に炒め、米が透き通ってきたら白ワイン(なかったので日本酒)少々ふり、上からコンソメスープ缶とトマトジュース缶をそれぞれどぼどぼと注ぎ、水気が無くなって底が少し焦げついてきたら出来上がり、という極めて簡便な料理。冷蔵庫の中をその間にひっかき回し、マッシュルーム、ピーマンなど余り野菜を適宜切ってぶち込み、さらに冷凍庫の中の魚貝ミックス、タラなどの残りをそのまま加える。わが家でのコツはバタと味噌をほんのちょっと隠し味に加えることくらい。鯛は30分後、焦げて固まった塩を出刃包丁の背でポン、と割って取り出すと、ホクホクと蒸しあがったうまそうな姿が現れる。木の芽をたっぷり散らしてむさぼり食う。

 DVDで『サインはV』、ついに最終回。その一話前、因縁の椿麻里との試合場面の熱の入りようは大したものだが、しかしジュンが死んだ後は気がぬけたような感じなのは、やはりその存在感の大きさだろう(回想とかで出てくるかと思ったら、一回も出さないのには驚いた。かえって贅沢な感じがする)。最終回前回でやっと役名が記載されるようになり、最終回でやっとセリフらしいセリフがもらえた田中万里、このときはまだ、ちょっと目立つ顔の女の子、という感じだったが、後に真理と改名、日活ロマンポルノで一世を風靡する。中学一年で初めて買った『平凡パンチ』のグラビアには田中真理のヌードが“あの、『サインはV』のマリちゃんが帰ってきた!”という惹句で掲載されていて、それを見た私は興奮するというよりも、それまでコレクションしていたエロ雑誌(小学生時代から、店員が温泉旅行などから持ち帰るエロ雑誌をこっそりくすねてコレクションしていたのですな、私は)の写真のモデルとのあまりの質の差に、“こんな美人がヌードになるなんて、果たしていいことなんだろうか”と首をかしげてしまったくらいだった。彼女はそれまで白川和子とか、宮下順子とか、江沢萌子といった、どこかに薄倖なイメージがあるタイプの女優ばかりだった日活ロマンポルノのイメージをまったく塗り替えた、ロマンポルノのビートルズ的な存在だったのである。白人(ロシア人)の血が流れている、というのは当時から言われていたが、いま、キネマ旬報『日本映画俳優全集・女優編』をひいてみたら、なんとあのスタルヒンと血縁関係なのだそうである。『サインはV』最終巻には岡田可愛、中山麻里、范文雀へのインタビューがあるが、いずれも女優生活の中でこの『サインはV』が一番の代表作、といった感ある中、この作品を踏み台にして、時代を代表する女優、にまでなったのは彼女だけだろう。

 主演三人(プラス中山仁)へのインタビュー、范文雀はこれが生前最後の姿になったわけだが、彼女が一番、地味で飾り気のないファッションをしている。“現役の女優”の貫禄であろう。こういうお仕事も日常の一環、なのだ。岡田、中山の二人は今日のためにバリバリにファッションを決めてきました、という感じ。それでも、以前『007/ゴールドフィンガー』の思い出を語るインタビューに出てきたオナー・ブラックマンやシャーリー・イートンに比べれば、日本人というのは可愛い年の取り方をするわ。老けたと言えばナレーションの納谷悟朗、特典映像のナレーションが、入れ歯のせいかアル中のせいか、“あにょでんしぇつのみぇいばんぐみが……”と、もうモニョモニョもいいところで、聞いていて耳をふさぎたくなった。こないだの舞台ではそんなこともなかったところを見ると、やる気がなくて酒でも飲みながら吹き込んだか? ……まあともあれ、昨年11月の范文雀死去をきっかけに三十数年ぶりに見返してきた『サインはV』もこれにて大団円、なにかタイムカプセルを開けたような気分になった。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa