裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

10日

月曜日

半熟鮫

 鮫島寛がまだハードボイルドになりきれない、半人前の刑事であった頃の物語。昨日の話から続き。いいかげん酒にも食い物にも飽いた頃には、あっちこっちでゴロリゴロリと横になる、というよりはぶっ倒れると形容した方が適当している者、続出。と学会のS氏などは、横になったところを、酔うと指圧をしたがるI矢氏に足を、酔うとマッサージをしたがる編集S氏に頭と肩をもまれてヒーヒー言っていた。お母さんがデザート代わりに持ってきてくれたのがさんなみの畑で取れた大根と芥子菜。大根がまるで果物のような甘さであり、それに添えられた芥子菜が舌先の痺れるような辛さ。最後にオレンジまで食べつくし、マンサンたる足取りで部屋に帰る。離れへ続く道は、板やござが敷いてあるが雪解けでぬかるんでおり、開田さん、Oさんに“気をつけて”と言ったとたんに、自分でズルッとすべって転倒。うわ、ズボンや服が泥まみれになった、と思ったが、不思議に手と靴が泥ンコになった他は無事。ただ、右手首あたりにリストカットのようなひっかき傷がついた。

 お父さんが“離れは寒くないか”とさんざ心配してくれたが、エアコンの暖房で暑いくらい。布団にもぐりこんで6時までぐっすり。明け方、夢を見た。岡田斗司夫さんと共同でビジネスをやっている夢で、岡田さんが派手にブチ上げて行こう、と主張するが、私は、いや、基礎を固めるまでは地道にいくべきだ、と説得するという。面白いのは普段の私たち二人の会話は“そうですよ、そうですか”的な丁寧な口調なのに、夢では共同経営者ということで“違うよ、そうじゃねえよ”的な口調にちゃんとなっていること。夢の演出家みたいなのがどこかにいて、“それはリアルじゃない”と、ちゃんとシナリオに手を入れているんですな。

 7時くらいに、部屋を起き出て、本館の玄関にあるつくばいの水で洗面。冷たくてさわやか、この宿に泊まったときの秘やかな楽しみのひとつ。その後、庭を例により散歩。こないだ泊まったときは、毛布を持ち出して丸太製のベンチで寝転がったまま能登鉄道の音、カモメのウヤアウヤアという鳴き声、トンビのピイーヨロロロロという鳴き声などを聞いていい気持ちだったが、さすがに今朝は寒い。座って雲に覆われた海を眺めていたら、雲の切れ間から顔を出した太陽の光(日本海なのに朝日が昇るのである)が、一直線に私の方へ海面をつたって伸びてきた。何か重厚なエネルギーを貰った気がする。開田さん、Oさんも起きてくる。Oさん、“絵の素材だらけという感じですよ!”と写真を撮りまくっていた。本館の部屋の窓からこの様子をみな、眺めていたらしい。K子は例により、窓から“寒い!”と首だけ出して心霊写真みたいだったが、樋口さんは浴衣姿でやってきて、やがて“やっぱ寒いわ”と引っ込んでいった。

 やがて朝飯、豆腐に緑色の味噌がかかっているもの(後で聞いたら蕗味噌だそうだが、食べてもわからなかった)、糸コンニャク、モヤシのごまだれかけ、コンカアジ(イワシではなく今回は小アジ)、大根・水菜・キュウリのべん漬け、タラ汁など。温泉卵もついていたが、なんと黄身を箸で持ち上げても崩れない。地卵なのだろうがとにかく、全てのものに土地の栄養が行き渡っている、という感じ。タラ汁にみな、満足の鼻を鳴らす。昨日がアンコウ、今日がタラ、行きに電車で会ったおばさんの予言見事に二つながら的中、ノストラダムス以上。白子はもちろんキモも子も美味この上なし。キモが三つも入っていた。得した気になる。いや、実際得したのか。おまけにもうひとつ、ゆうべの山鳥からスープをとって、餅を入れた雑煮風吸い物が出た。餅がトロケてしまっていたのが残念だが、岩海苔がたっぷり入っていて、スープをすするだけで栄養が足りそう。昨日の朝のルネスの味噌汁にも岩海苔が入ってたねえ、と言って、K子に思い出させないで、と一蹴される。

 H川さん、S山さんなどと、“昨日あれだけ飲んだのに、まったく酒が残らない”と首をひねる。部屋の隅に、昨日飲んだ酒瓶がずらりと並んでいる。あれだけ飲めば普通は酔いつぶれて起きてこないヤツが一人か二人は出そうなものである。竹葉は漁師酒であり、朝の早い漁師に、あまり濃厚で翌朝残る酒というのはなじまないのであろう。その土地、その土地で愛飲されている酒には、ちゃんと理にかなった性質があるのである。もっとも、朝飯の最中にまた差し入れを持ってきてくれたTさん(本当にいたれりつくせりにお世話になる)によれば、それで物足りないという人のために竹葉のしぼりたて原酒というのがあるという。“ぜひ帰りの車中で試してください”と、各種干物などと共に五合ビンを手渡される。“エイヒレはライターで炙って食べるとうまいです”と。なかなか旅行の際のつまみの食い方として傑作であるが、今日夜、こちらから素材を虎の子に持ち込んで食う予定なので、そこで食べるつもりである。酒が入るとみんな寝過ごして乗り換えをミスするかも知れない。Tさんに“今日はお勤めは飛び石で休みですか”と訊いたら、“いえ、今日は休みを取りました”と言う。なんたる情熱。もっとも仕事が簡単に休めない性質のものなので、こないだ能登に来たときにはTさんとは顔を合わせられなかった。彼にとっては待ちに待ったるという感じのわれわれの能登訪問なのだ(昨日の日記に“開田裕治ファン”と書いたら、それだけでは正確ではありません、と訂正のメールが来た。彼はまた“唐沢俊一ファン”でもあり、能登一と自負しているとのこと。いやあ、嬉しいなあ)。

 しかし、みなよく食う。不気味社社主など、ご飯を三回もおかわりし、そのたび毎に山盛りにする。“仏様のご飯だね”“昔のギャグマンガによくあんな盛り方のご飯が出てきた”などと評されている。とうとう大炊飯器のご飯がカラになり、お母さんが自分たちの賄い用のご飯を提供してくれた。みんな、茶碗を持ってその前に並ぶ。修学旅行だ。あやさんは例によって自家製カツブシをもらい、お母さんと柚を採りに行く。私らはその間に精算をし、荷造りをし、記念写真を撮影。マニア揃いなので最新型デジカメなどがいくつもあり、カメラマニアのお父さんが嬉々としてシャッター役をかってでていた。

 こういうときにK子はスケジュールの鬼となる(さんなみでの快楽を徹底的に味わいつくすための)。10時開店のフラットに行って昼飯代わりに車中で食うパンを買い、その後金沢についたら飛行場行きのバスまでの40分間の時間に近江町市場で夕食用の素材を買い……と予定をめぐらす。めぐらした後は鬼軍曹のようにみんなを急かせるのである。お父さんの運転する車と、Tさんのバンに便乗して(それでも二回に分けて)一駅先の波並(なみなみ、ではなく“はなみ”)駅近くのベン夫婦の民宿『ふらっと』へ。15人の客プラスお父さんが狭い店内に押し掛けるのだからたまらんだろう。先に来てゆっくりコーヒーを楽しんでいた初老夫婦が気をきかせてくれたのか呆れたのか、出てくれた。ついさっきたっぷり朝飯を食ったばかりなのに、みんなパンを買って、食うわ食うわ。T社主などに至ってはメニューに“タイカレー”とあるのを見て、これは食べられるんですか、と言い、K子に“これはランチ!”と一喝されていた。それでも、昼にピタパンサンド(焼きたてピタパンの中に牛肉炒めと野菜がたっぷり入っている)を食べよう、と話がまとまり、急遽八つ焼いて、とK子が言い出す。八つを半分に切って15人で食べる。一人、一個丸々という人が出るがそれは当然ながら不気味社社主である。海岸線を散歩していた樋口さんが、古いバス小屋の中のヘンな自衛官募集ポスター(21世紀の自衛隊員募集! とか言って、パワードスーツみたいなものを着た男女の下手なイラストが描かれている)を見つけて喜んだりしている。Tさん、近くの山々を見て、“みなさん、花粉症でなくて幸いですね。あの赤いの、みんなスギの花ですよ”と言う。そう言えば、前々回能登電車に乗ったときは、途中で鼻水とくしゃみの連続で、ひどい目にあった。今年はなんでもなし。体調が復したせいか?

 ピタパン係一行を置いて他の面子は波並の駅まで歩く。途中、鳥が死んでいた。おお、山鳥、とも思ったが羽の色が白黒だったから、たぶんカモメだろう。Tさんといろいろ無駄話。能登のような地でオタクでいるということもなかなか大変だと思う。また、秋葉原だのビックサイトだのが手近になくともオタクにはなれる、という貴重な実例であるとも思う。見送りに来てくれた船下さんご夫妻にも挨拶。樋口さんが、“カエリタクナイヨー”とダダをこねた。Tさんは監督に握手してもらい“ああっ、しばらく手を洗えない!”と。天気はあくまで晴朗。波はちょっと高い。電車の時間が迫ったのに、ピタパン班がなかなか到着しない。S井さんに携帯で電話があり、K子からの伝言で“ちょっと電車止めといて!”って、そんな無茶な。なんとか間に合い、船下夫妻、Tさんに別れて、金沢へ。S井さんが“電車止めとけ、と言われたときにはあせりました”K子“誰か一人ドアにはさまれていればいいのよ”と。いや、よくはない。ともかくみんな無事で、と思ったが無事でないのが一人いて、I矢さんは何か仕事でトラブルがあったと携帯に連絡。

 能登鉄道の中では疲れがやっと出たか、みんなグーと寝て過ごす。私はゲラチェックの残りをやる。氷川竜介さんとS井さんが、“……あのメカゴジラの中の骨格がどのように……”“指があの形状だということは……”とゴジ×メカばなし。窓外の自然豊かな光景とアンバランスで面白い。穴水にて乗り換え、サンダーバード車中に席をしめ、いざピタパンサンドを。さすがベンの作ったピタパンサンド、うまいのなん のって。今度来たときも必ずこれは食おう、と決心。

 サンダーバード車内でS井さんの作った今回の旅の進行表を見せてもらう。まるで映画の進行表のようにキチンと(テレビのバラエティの進行表など、これに比べればゾロッぺえでお話にならない)細かく書き込まれている。いやあ、今回はこれあるによってこれだけの人数が無事、移動できたんですねえ、ご苦労さま、と言うと、イエまだK子センセイの買い出しが残ってますから、と言う。なるほど、とどめにさらにひとアクション。ダイ・ハードだね。

 金沢到着、市場への買い出し組とオミヤゲ組に分かれ、私とI矢さんが荷物の番で残る。I矢さんはずっと東京に電話連絡してばかり。かなりのトラブルであるらし。イッセー尾形の温泉旅行というネタを思い出した。20分ほど経って、私の携帯に市場から電話。“これから戻るから、駅のタクシー乗り場に、誰か誘導で待ってて!”と。その頃にはみな戻ってきていたので、こないだ薬剤師会の講演で泊まったホテルのすぐ脇のタクシー降車場へ。S井さん、あやさん、K子のOくんの三人が意気揚々と帰ってきた。手には甘エビの箱、カニの箱、ハマグリの袋を抱えて。聞いたら市場のいつも買っている店(S井さんのなじみ)に飛び込むや否や、“時間がないのッ。エビとカニとハマグリ見せてッ!”と叫び、“ハイハイ、甘エビはいま開けたてのこの箱の中に……”“あ、それ頂戴! 全部! カニは?”“これまだ生きているよ。ここに三バイあるけど……”“あ、三つ? じゃ、それ箱ごと! ハマグリもそこの全部袋に入れて!”“はあ……じゃ、どこに送ります?”“今夜食べるの。持ってくのー!”という大奮闘で、店の人アッケにとられ、次に大爆笑だったとか。あやさん “カッコいい買い方でしたよー!”と。

 そこでS井さんに別れ(ホントにご苦労さま)、大阪に行く社主と別れ(食べ過ぎないように)、バスで小松へ。次に来るときは久しぶりにハニベ岩窟院に寄りたいものである。このメンバーなら特に。あれだけオミヤゲ買って、また空港で買うものを物色。I矢さん、思ったとおり、例のガラス細工のトラを見つけて唖然としていた。私は明日の朝用の牛乳を買う。I矢さんの会社のトラブルは、ついに今夜の虎の子をあきらめて現場へ直行という事態に至ったらしいが、Oさんの方も、なんと仕事のクライアントがいきなり倒れて人事不省となり、キャンセルになるかも、という連絡が入った。この世の天国みたいな体験をすると、その埋め合わせがどこかで来るものらしい。フライトは何事もなく、羽田へ。広島へ乗り継ぐOさん、会社に戻るS山氏、これから有名俳優Yのもとへ某重要打ち合わせで行くという樋口監督、帰宅する氷川夫妻に一旦家に帰るという開田夫妻たちそれぞれと別れ、残りメンバー(Sさん、Hさん、FKJさん)と京急線でカニとエビとハマグリ持って品川へ、小雨そぼふる中を山手線に乗り換えて原宿へ、そこからタクシーで下北沢へ。一日のうちこれほど移動に費やしたのも珍しい。

 虎の子でキミさんにカニ、エビ、貝、それからTさんからの干物と酒を渡す。やがて睦月、安達OB、ひえださんという面子も来て、今回の旅行の締めくくりの大食事会。蟹が茹だり、海老が並べられるまで、テーブルの囲炉裏で干物類を焼いて食う。フグやカレイもいいが、しかし車中で食ってくださいと言ってもらったエイヒレが、身が厚くて味わいがあってねっとりとした歯触りで最高だった。もちろん、酒の方も言うことなし。萩原さんが竹葉のなましぼりを飲んでうなっていた。甘エビはもう剥くのがメンド臭く、殻ごとしゃぶって味わう。カニはデカすぎて丸のままでは虎の子の鍋に入らず、足と胴を別々に茹でるが、やはり生きたままのは味が違う。後から来たあやさんは、自分で掘ってきた蕗の薹で、調理場に入り、蕗の薹味噌をつくる。堀り立てのものは渋みもまったくなく、上品な酒のアテ。キミさんがそれを天ぷらに揚げたものも絶品。Tさんの酒はあっと言う間になくなり、萩原さんの持ってきた『醸し人九平次』なる酒(最初、“カポシ肉腫”と聞こえた)も二升、瞬時という感でなくなる。ハマグリを焼いてあふれる汁を、あやさんが勿体ないと言って全部皿にあけてしまう。ソンナことをすると貝の身がパサパサになるから、汁はあふれるままにしておけ、と私は言うが、彼女には汁を無駄にすることが罪悪のように感じられるらしい。あふれて汁が火に焦げた匂いが貝の浜焼きの醍醐味なんじゃあ、という私とソレはモノを無駄にする男の料理の論理だよー、と言うあやさんとが互いに酔って対立。

 脇では酔ったS、H、Fの三人がカニの甲羅に残ったミソに酒をついで火にかけ、中にクリームチーズだのしゃぶ餅だのを入れては喜んで食っている。子供の泥遊びのようなもので、舌より好奇心でものを味わっているという感じ。これは確かにオトコのコの料理というものであろう。青木正児(中国文学者、酒と食の研究の大家)の名エッセイ『陶然亭』に、各種つまみを小皿に盛って酒を味わい、酔いが回るとそれらの小皿の中身を自分の工夫でコネ合わせ、自分だけのオリジナルつまみを作成する、というくだりがある。これも多分、主に男性だけが好む趣向なのではないか。私は面白がったが、あやさん、キミさん、K子は眉をひそめていた。帰宅、12時。最後の最後まで能登を味わいつくした旅行であった。明日からは仕事だ。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa