裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

25日

火曜日

熟女敵陣なぐり込み

 航空隊娘子軍OBの大活躍。朝、7時45分起床。空模様悪し。朝食、カリフラワスパゲッティ。たまっていた新聞読む。最近の楽しみである読売日曜版『本・よみうり堂』の大原まり子氏のトンデモ文章、今回もなかなか。佐藤亜紀『天使』(文藝春 秋)を評して
「ジョルジュの魂を動かすものは、女でも国家でも血を分けた子供でもない。実の父の正体を知り、自分をかばって死んだ仲間の復讐のために殺人を犯すところで幕は下りるが、この後、彼がどうなるのか、私には想像できない。タイトルの通り“天使”を見るような思いだ」
 ほう、復讐で殺人を犯す者をこの評者は天使と見るのか。なかなかユニークな感覚ではある。もちろん、この語に評者はさまざまな意味を込めているのであろうし、佐藤亜紀氏は実際、天使のような純粋性を主人公に与えているのであろう。しかし、いまだその書を読んでいない読者(この書評に有効性を求めるユーザー)にとって、こういう理解に苦しむ比喩は、何の意味も持たない。評の最初にこの作品がSFであるとも、ミステリであるとも、ファンタジーであるとも説明せずに“青春小説として読める”と別の読み方を提示されてもとまどうばかりなのだ。タソクにならぬ評、とはこういうのをして言うのだろう。文学ならばいい。どんな言葉を用いようと、その選択は著者の自由のままだ。それについてくる読者がいれば問題はない。だが、批評・評論というものにはある種の論理性がどうしても求められる。それが新刊書評となればなおさらである。書評の読者はその評を頼りに、乏しい書籍購買費の中から、どの本を買うか、やめておくかを判断するのだから。独りよがりの評であっても、その奥に“この本を薦めたい”という闇雲な熱意があればまた別だろうが、大原氏の書評はそれすら感じさせない。私は別に佐藤亜紀氏の小説のファンではないから、ただこのような悪文も、文章マニアとして笑って自分のコレクションに加えるだけだが、実際にこの書評欄を購買の基準にしようとしている読者には、まことに迷惑至極な文章で しかあるまい。

 午前中からずっと、講談社Web現代原稿。途中で昼飯にしようかと思ったが、イキオイをとめたくなかったので、2時半までかけて12枚、完成させて編集部とイラストのK子にメール。晩の買い物にと青山に出る。昼飯は志味津でカツカレー。今日 は少し持て余した。

 帰宅、次の仕事にかかろうとするが、カツカレーが腹にもたれてダメ。ネットでいろいろ情報をさぐる。北朝鮮が、韓国の新大統領就任演説にあわせて地対艦ミサイル発射のニュース。威嚇のつもりだろうが、二発打って一発は失敗。威嚇になるのか。と学会MLでアメリカ、ロシアにそれぞれ知り合いがいませんか、という問い合わせあり。その国でなくては買えないビデオなど入手のためだが、思えば今の私、どちらにもいる。人間関係も国際化したものである。とにかく、なんだかんだで本日だけで メール受信27通。クズメールは削除してこれ、である。

 しばらく横になる。グーといきなり寝込んでしまう。眠りは浅いが。8時ころ起き出して、仕事またちょこちょこ。扶桑社のオタク大賞本、原稿は全部入れた筈なのになんでこうも刊行が遅れているのか、ちょっと担当編集者に対して下唇を突き出したい(途中でこの企画がはさまったために、と学会本が遅れている)気分だったのであるが、今日来た遅延理由説明のメールを見てひっくり返ってしまった(要するに、豪傑なデザイナーさんがいるんである)。これじゃあまあ、シカタアンメエになるのが不思議。世間的不満というものは、世間知で動いていない人間に弱いのである。最も 担当のOくんは胃を痛めているそうである。

 9時、夕食の準備。ウドの皮のきんぴら、鯛ちり、氷川さん宅から到来の笹かまぼこ。『DVDで見る世界のCMフェスティバル』第一集、を食べながら流すが、すぐ別のものにする。さすが、CMというのは凄まじい力があって、ドラマのように、食べながら見るということが出来ないのだ。つい、箸をとめて、じーっと見つめてしまうのである。とにかく面白い。まあ、一本十数秒のCMに、有に映画一本分の金をかけているのだから凝縮度が違う。ブラックなネタがやたらあるのも、日本のCMとは 大違い。

 ロシアに知り合いがいる、と上で書いた(サハリンで仕事している)が、K子に訊いたら、会社の社長とケンカしてやめてしまったそうである。残念。この社長も金髪フェチぽいが、オタアミで金髪好みの連中について話題にしたばかりだったので、なかなか興味深かった。

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