27日
木曜日
ロード・オブ・ザ・淫具
どっしようもないシャレだが、どこかのAVがやる前にツバつけておこう(淫具にツバつけるというのも)。朝6時、トイレに起床。寝直して7時半、再起床。最初の寝覚めのときに見た夢は、落語界の打ち上げでホモの前座にキスを迫られて逃げるというもの。二度目の目覚めのときにはやたら凝った夢で、最新のアメリカのテレビ番組の紹介本を読む夢。その本が全ページカラーで、おしゃれな三人組の中年の神父さんたちが事件を解決するという探偵もの、ハル・ベリー主演のホラーものなどが紹介される。英語の文章が夢の中ではスラスラ読めるのもおかしい。ハル・ベリーの役柄は軍隊経験のある女性だが私生児を身ごもって除隊したという設定で、この娘の父親が魔界のものだったらしく、眷属たちが娘を取り戻しに襲ってきて、彼女は娘を守るために彼らに立ち向かう、という話。レギュラーに、彼女に協力的なデブの警視庁の警部、オカルトマニアで教授と呼ばれている黒人のアイスクリーム売りなどがいて、解説文に“脇役たちがショボい”と書かれており、その番組のファンの私が腹を立てる、という件りまであった。そして、次のページには大特集で、新番組『ブレードランナー』テレビ版の、新番組設定書が紹介されている。スピナーやブリンプのデザインが、リドリー・スコットの映画とは全く異なっていて、感心した。スピナーは何故か羽ばたき式のオーニソプターになっていたが。
朝食、豆サラダ、種なしブドウ。今年は本当に花粉症の症状が出ない、と思っていたが、さすがに今朝はいくぶん鼻水が出た。ただ、去年などに比べるとウソのような軽症である。河出の本に原稿依頼したベギラマの原稿を読む。面白い。怪獣の話からはじまって、SMの話につながっていく(そのように注文を出した)のだが、そのツナギが実に自然で、ついうっかり読み過ごすと、いつの間にかムチャクチャにディープな話になっていて、愕然とする趣向である。ユリイカの編集長を務め、この類の原稿に関しては目が肥えているSくんからも“なかなか大した腕前じゃないのと驚かされました”と賛辞メール。監修者として頼んでよかったと思う。他の人の原稿も楽し みになってきた。
日記読者の女性(ナースの資格を持っているらしい)“るん”さんから、いろいろご教示あり。1月11日の日記で、皮膚科学会に遭遇したら女医さんばかりだった、と書いたが、るんさんの経験では眼科・耳鼻科・皮膚科という分野はかなり女性のドクターの比率が高いのだとか。外科・内科系に比べ、厳しい症例が少なく(死に直結する病気が少ない)、時間的に余裕があり(病院に何週間も泊り込んだり何日も徹夜するような事はあまり無い)、体力もそう使わず(手術や処置に何時間・十何時間もかからない)、家庭を持っても働きやすい(パート勤務感覚で働ける職場もある)など、女性が働き続けやすい条件があるからではないか、とのこと。
また、今月18日に私の遭遇した“スリッパ履いてシャワーを浴びていた中国人”については、マンガ家の小田空の『続・中国いかがですか?』という中国紀行マンガに、かの地での公衆シャワーの入り方がレクチャーされており、“シャワーの目的は純粋に「体を洗う」こと。皆、垢すりに余念がなく一回入るとけっこう長湯ならぬ長シャワーである”との記述があったとか。サンダル履いてシャワーする、のは中国に限らず、アジア全域でよくあるパターンで、理由はと言えば“中国人に言わせても公衆シャワーは非衛生的なところが多い”からだとか。いろいろ疑問が解決されていく 快感。
もうひとつ、今週号の『TVブロス』で、映画ライターの持永昌也が前号でポランスキーの『戦場のピアニスト』のユダヤ人の描き方を、
「この時絶滅させておけばよかった。戦場では生き残った者だけが勝者となる。死んだら負け。そんなユダヤ思想が良く分かるアンチ・ヒューマニズムな究極の恩知らず映画。胸に迫るのは、むしろドイツ将校の無念さだよ。かくして奴らは、ハリウッドはもちろんのこと、現在の世界経済までをも掌握したのであった。ナチよりもユダヤ人の方が極悪とオレは信じる」
と書いたことに対し、同じ雑誌にコラムを連載している町山智浩氏が、烈火の如く怒って、その論のトンデモ性と、ユダヤをそのように貶しながらユダヤ系が多くをしめるハリウッド映画の批評で商売をしている二律背反性をあばき、それでも飽き足らなかったか、
「ついでに君の立派な意見を広めるために英語に訳して各映画会社と外国人記者クラブ、サイモン・ウィーゼンタール・センターに送って、インターネットにもUPしといてやったぜ。感謝しろよ」
と書いている、ということがメールにあった。この件については、私も昨晩、待ち合わせの前に入った書店でブロスを立ち読みし、驚いていたところ。自分が書いている雑誌を消滅させる危険を冒してまでこういう行動を起こす、というあたりに、町山氏の怒りの度合いが見てとれるだろう。
私は今回の町山氏の怒りはまったく正当なものと思う。それは、持永昌也(この人物は別に差別論者であるわけではなく、暴論と辛口の区別がつかず、映画をケナしさえすればうるさ型と思ってもらえるとカン違いしているだけだと思うのだが)の愚かさの上にまさに落ちてしかるべき鉄槌であろう。だが、この最後の脅し行為に関してだけは、いただけないと思うものである。持永一人にその行為の報いがふりかかるのは自業自得として、これが本当に問題となり、世間も騒ぎたて、この原稿を掲載した編集責任が問われるということになり(なにしろ今、イスラエルは非常にピリピリしている状態なのである)、かの『マルコ・ポーロ』と同じく雑誌自体の消滅とでもいうことになったとすれば、持永の今回の原稿にはまったく関わり合いをもたぬ、ブロス関係者(デザイナー、編プロ、契約編集者、ライター、イラストレーター、出なくなった号にインタビュー等が掲載されるはずだった新人タレントたち等々)に、自分たちには何の責任もないのに大きな損害を与えることになる。自分も連載している雑誌なのだから、リスクは対等……という言い訳は通るまい。
週刊(隔週)誌仕事というのは、若いライターたちにとっては喉から手が出るほど欲しいものである。ブロスほどの大きな媒体で書く、ということでやっと、この業界での足がかりを得た者もいるだろう。編プロなどが関わっているとするならば、そこの社員たちにはかなり大きなウェイトをしめる仕事だろう。テレビ各局にとっても、春の新番組シーズンを控え、雑誌に大きく特集してもらうことで、視聴率への期待が高まっているところがあるだろう。それらが、一人のバカの所行をある人物が正義感から天下に知らしめた、という一事で全てパーとなったら。セ・ラ・ヴィ(それが世の中さ)で諦められるほど全ての人に余裕があるわけではない。この出版不況の中、次の仕事先を探すのがいかに難しいことか。いやしくも一誌の編集長まで務めたことがある町山氏に、それがわからないわけはないだろう。
われわれフリーのモノカキは、自分の知識と人格と文章の才能を世に問うて勝負している商売である。おのれの愚かさ、おのれの品格の低さ、おのれの才能のなさが原因でどう責められようと、それは甘受しなければならない。そういう覚悟を持たない奴は最初からモノカキなどになってはいけない。しかし、他人のそばづえで、突如自分の仕事がなくなるのは、若い人にとり、あまりに過酷すぎる。私も、十五年前、文章書きとして一人立ちし、結婚もして、やっと生活も安定したと思った矢先に、収入のほとんどを占めていた週刊誌連載が雑誌ごと消滅したときには、一瞬目の前が暗くなったのを覚えている。あの頃、あの雑誌(ちなみに『パンチザウルス』というやつだ)で一緒に仕事をしていたマンガ家やライターで、あれ以来、とんと名前を見なくなった人が大勢いる。私もあのとき前途を悲観して職業換えをしていたら、今、ここでこんな日記も書いていられないだろう。今回の件で、ブロスほどの受け皿が消滅すれば、二度とこの業界に帰って来られない人が大勢出ると思う。町山氏のあの最後の脅しは、単なる彼一流のジョークであってほしい。そう、切実に願う。彼の行動の根本が正義であればなおのことである。悪意は滅多に人を破滅させない。人を破滅させるのは正義である。ブッシュもビンラディンも、共に自らの正義のために、無辜の民 を無数に殺した(殺そうとしている)のである。
1時に時間割で打ち合わせ、その15分前に出て、『チャーリーハウス』で白身魚の広東風あんかけ飯を、10分でかき込んで、打ち合わせ。元・角川春樹事務所、さらにその前は元・幻冬舎、元・朝日ソノラマのNくん。確か彼が角川春樹事務所をやめざるを得なくなって、進行していた単行本一冊、文庫本一冊の企画がパーになったという件はこの日記にも書いた。あれから彼はフリーで編集をやっていたり、健康雑誌のライターをやっていたりしたらしいが、このたびバジリコという出版社に入社して、編集に返り咲きましたので、ということで挨拶に来てくれた。もっとも、まだ出来立ての会社で、翻訳書中心であり、こっちの企画を通せるようになるのは来年以降ということらしい。気軽に、いろいろ業界情報を仕入れる。ふんふん、という感じ。 まあ、世の中は狭いねえ。いろいろ因縁がつながっている。
別れて一旦家に帰り、3時からの打ち合わせに持っていく資料などをコピーしたり手を入れたり。仕事場に女性を招いて対談、という企画の依頼。周囲を見渡し、この乱雑な仕事場に人(しかも妙齢の女性)が招けるかと思ったが、しかしまたここを掃除し、整理整頓するいいモチベーションになるかもしれない、と思い、受諾。3時、また時間割にとって返して、銀河出版Iくん。Iくんは自らも古書探しが趣味で、別の出版社の私の本の執筆に役立ちそうな本を見つけてきてくれた。三百円で買い取らせてもらう。打ち合わせ、執筆スケジュール、他社で出す本との兼ね合いなど詰め。返す資料を持ってくるのを忘れたので、家まで来てもらい、ついでに品田冬樹さんからいただいたくもちゅうのてんとう虫フィギュアを進呈する。Iくんは金沢のSさん とも知り合いで、一度しゃもじ屋に行ったことがあるそうな。
Iくんとの雑談で、“最近、体の調子があまりよくないようですが大丈夫ですか”“いや、そりゃバテてはいるけど、まだ今年はマッサージのお世話にも一度しかなってないし”とか話したのだが、帰宅して仕事続きやろうと思ったら、急に左肩が腫れてきたように凝りはじめて、コレハイカン、と、マッサージ予約する。6時半、新宿へ。今日は完全に私一人で独占。マッサージはヘビー級の浅野温子、といった美人の女性の先生だったが、いや指の力の強いのなんの。指圧されると思わず悲鳴をあげるほどだが、そのあとじわーっと脳に快楽物質が分泌されるのがわかる。一時間ちょっと揉まれて、全身の細胞が入れ替わった感じ。帰りのエレベーターで、中年の外人女性と乗り合わせる。その香水の匂いにむせたか、花粉症か、急に鼻がムズムズしはじめ、くっしゃん、とやってしまった。“エクスキューズミー”とあやまったら、向こうも笑って、“GESUNDHEIT(ゲズントハイト)!”と返してくれたので、サンキューと答えた。外人は人がくしゃみをすると必ずゲズントハイト、と声をかけると英語の授業で教わり、映画などでもしょっちゅう観ていて(最も印象的にこれを使っていたのがジョゼフ・サージェントの『サブウェイ・パニック』)知識としては知っていたが、実際に声をかけられたのは初めて。くしゃみしてよかった、という気分になった。
9時半、仕事終えたK子と藤井ひまわりくんと三人で蕎麦屋『花菜』。葱と鶏のピリ辛、塩ブリ焼き、豚ぷらおろしなどで酒。人物月旦、私とK子があまりに過激なことを口走るので、温厚な藤井くんは“ボクはここにいなかったことにします”などと言う。最後は蕎麦、新蕎麦の打ち立てを出してくれた。香り高く、酒で火照った口中がさわやかに洗い清められる。家の近くにうまい蕎麦屋があれば、人生のおおよその面白くないことは帳消しになるのではあるまいか。