裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

18日

月曜日

二人残虐

 夫婦揃って猟奇殺人競走。朝8時起き、朝食はスパゲッティペペロンチーニ。昨日原稿送ったSFマガジンのS編集長から、Dちゃんの方に報告行ったらしく、お悔やみFAXが届いていて、ちょっとうれしかった。

 午前中の時間は雑用で消えてしまう。まあ、モノカキの仕事なんて全部雑用みたいなものだが。どういう雑用かというと、図版用ブツのバイク便依頼、キャプション書き、ゲラ赤いれ、などなど。札幌から送った荷物類(バカでかい僧侶用座布団など)も届く。

 昼はレトルトのごはんを温め、冷凍庫の中の豚肉を焼いてウナギのタレをからめ、簡便豚丼。食べてから六本木へ出る。資料本をABCで3万円ほど買い込む。ひさしぶりの本のまとめ買いである。それから三菱銀行で通帳を新しくする。窓口へ持っていったら、お姉さんが受け取って、クイックコーナーの方へ持っていく。何をする気か、と思ったら、自動通帳更新機というのが設置されていてオドロいた。印鑑がいらなくなったと思ったら、今度は機械でできるようになったか。年寄りの決まり文句であるが“どこまで便利になるのやら”という感じである。“へえ、こういうの、出来たんだ!”と言ったらお姉さん、“ええ、でもしょっちゅう故障するんです”とのこと。まだ試験運用段階なのかもしれない。しかし、ここまで便利にする必要があるのか、という感じである。極ノス(極右的ノスタルジー派)の私としては、窓口で女の子が作ってくれる通帳の方が何となくアリガタミがあるように思う。進歩派は、そんなに昔がよければ携帯やパソコンなんて使わなければいいではないか、と言うが、他人が使っているからこんなもの、仕方なくこっちもつかわないといけないだけで、一斉に無くなれば、何の不便も感じない。

 幸い故障せず、三分まって新しい通帳の交付を受け、明治屋で買い物。帰宅して、北海道新聞の原稿をやる。あと数行で書きあがる、というところで時間になり、あわてて渋谷駅前に。井の頭線で西永福・佐々木歯科まで。今日は歯石取りのみだが、約一時間かけて、極めて丁寧にガリガリと掻き取る。奥歯をガシガシやられたときは、拷問にかけられているような気がした。

 終わって渋谷まで戻って、資料で買い忘れたものがあることに気がつき、そこからタクシーでまた六本木へ。買ってトンボ返りする。帰宅後、北海道新聞原稿、書き上げてメール。私の原稿の書き方はいつでもこのような、きわめて落ち着きのないものである。

 5時、東武ホテルロビーにて待ち合わせ、時間割にて、イベント企画会社アド・イベントと、ハローミュージックネットワークの二社の人と打ち合わせ。9月後半に、後楽園ジオポリスで、B級キッチュ文化をテーマにした、小博覧会を開催するとのことで、スポンサーの後楽園からのお名指しで、私にそのイベントの監修と講演の依頼である。どういうものだかちょっとイメージがつかみにくいが、オマツリは大好きな男なのですぐ引き受ける。いささか軽率というか、自分を安売りしすぎているような気もするが、まア、それほどの巨大イベントというわけでもないので、気軽に引き受けてもかまわんだろうという感じ。いろいろ話を聞いてみると、キッチュカルチャーイベントということで企画を通したが、具体的にどういうものをやればいいのかというアイデアがまとまらず、それなら、ということで私にオハチが回ってきたものらしい。いろいろと使えそうなメンバーの名を挙げて教えておいたら、やけに有り難がられた。

 このイベントが9月22日から2週間ちょっとくらい。その一週間くらい前に山口県へ出張ってのオタクアミーゴス公演をせぬか、との依頼があった(山口きらら博の一日を『オタクの日』として(通称おたきら)、オタアミやら開田さんの怪獣トークやらをやる企画らしい)。さらにその前には小石川でのポップカルチャー展での講演もあり、もちろんSF大会、コミケとあり、本多きみ夫人を迎えてのロフトあり、この夏から秋にかけてはオマツリ期間である。何かワクワクしてくる。根が芸能プロダクションの人間らしく、こういう時に燃える体質らしい。結局、親父の葬儀も、イベントとして楽しんでしまったのではないか、という気がするのである。

 終わって7時。雑用すませ、渋谷『沖縄』。打ち合わせ済ませたK子と啓乕くんが来ている。なにやら、またゲームのイラストの発注があったらしい。啓乕くん、相変わらずの調子で、『メトロポリス』の話、手塚真氏の話、ゲーム業界の話などなど。くーぷいりちい、スクガラス豆腐、トウフヨウなどつまみに、泡盛古酒40度のを二合やり、かなりいい気持になった。啓乕くんにご馳走(会社の打ち合わせ費)になってしまった。余したラフテーなどを包んでもらう。帰宅したら青山正明死去の情報。まだ本当かどうかわからないが、また葬式か、とぼんやり思う。驚きはするものの、意外性がその死にこれほどまつろわぬ人間も珍しいのではないか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa