裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

5日

火曜日

坂本竜馬の海綿体

 フニャフニャしてちゃいかんぜよ。朝7時起き。足を組んでいるとそこがじっとりと汗ばむくらい湿気がある。朝食、バジルスパゲッティ小皿一杯。スイカ小切れいく切れか。朝、週刊アスキー原稿を大幅に書き直してメール。一時的にこのホームページが見られなくなり、ちょっとあせる。アクセスが許可されてません、などと出る。他のところは大体のぞけるが、志加吾のところが同じ状態だった。朝飯を食い終わってからもう一度やってみたら、回復していたのでホッとする。

 午前中から1時半くらいまでかけて、遅れていたWeb現代9枚、ヤッとアゲる。テンションが高まっていたので面白く仕上がった、と自己的評価。さっきのアスキーも、直したことで原稿の密度は上がったと思う。こういう調子のいい日があるから、悪い日にドッと落ち込むのであるが。

 昼は時間がないのでマンション下のソバ屋でまずい天ざるを食ってすませ、新宿に行き、少し用事片付ける。それから水道橋。著書『とても変なまんが』で泉ゆき雄の『赤ん坊帝国』に触れ、泉氏が亡くなった、と書いたのだが、実はまだ館林にご健在であることがわかり、お詫びに早川書房のAさんとお宅までうかがうことにした。そうしたら泉氏の方から出向いてきてくれるとのことで(大恐縮である)、3時半に水道橋の駅でA氏と待ち合わせて、指定された喫茶店に行く。

 実はこの待ち合わせでポカをやり、飯田橋で降りてしまった。あわてて早川書房に電話して、なんとかコトナキを得て、時間ギリギリに水道橋の喫茶店『ライン』へ。泉先生の他に、当時の少年画報の担当者であったお二人の方も同席。丁重にお詫びを申し上げて、いろいろとお話をうかがう。泉先生の顔を見たとたん、失礼ながら、
「あ、『赤ん坊帝国』のイボイボ博士というのは作者自身がモデルなのだな」
 と思った。間違いにしろ殺されたことになり、泉先生にはさぞご不快のこととは思うが、“いや、唐沢さんの誠意はわかりましたよ”と言ってくれたのでホッとする。

 1時間ほどで辞去。A氏とはまた来週あたり、次の本の打ち合わせもしなければならない。青山に寄って買い物。帰宅して、Web現代、すでに入れてある二本の原稿のナオシをやる。これやり終わったところで、体力はまだ温存してあったが、気力の面で完全にヘタる。大塚英志・ササキバラゴウ『教養としてのまんが・アニメ』(講談社現代新書)を読む。若い世代に、“読み継がれるまんが、見継がれるアニメを伝える試み”。下手に新説を唱えるのでなく、かつてこういう作品があり、それはどう発表当時の人々に受け止められ、そして、今の人々はそれをどう、読むべきなのか、をきちんと(最後のポイントをも少し突っ込んでもらいたかったが)押さえた、“なぜこういうものがもっとはやく出なかったのか”的マンガ論。もちろん、マンガ評論を個々の作品論から脱却させて、大きなマンガ文化のワクの中で論じないといけないという私の主張とは対極的であるが、それとこれとは車の両輪であるべきで、また、
「文化というものは次世代に伝えて初めて文化となる」
 という私の持論とは100パーセント合一する。主に個人的知り合いであるササキバラ氏のアニメ論の方を中心に読んだが、蜀を望んで言わせてもらえば、もう少し、アニメというものが市場原理の中で作られ、消費されている“商品”である、という面に触れて欲しかったという気がした。著者の二人はともに徳間書店で『少年キャプテン』の編集に携わったプロなのだが、この本の中で自分の見てきた作品群を語るその口調は、プロというより、惚れた作品や作者の魅力を熱く語ってやまない、一純真オタク青年に戻っているのである。さぞや書いていて楽しかったろうと思うが、も少し苦衷の後も読んでみたい(意地悪かな)。

 10時、『幸永』で開田夫妻と待ち合わせ、ホルモン。気圧乱れて、いまにも降り出しそうな感じ。そこにホッピーがジャンジャン入ったものだから、もう、ナニガナンダカわからなくなる。こないだのと学会の話、SF大会の話、長野の花火見物&ソバ食いツアーの話などなどなど。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa