裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

14日

木曜日

ブリザードは遠きにありて思うもの

 喪中につき、シャレは以前のものの改作。朝3時起き、シャワーのみ浴びて、やらねばならぬこと片付ける。頭がボーとしたまま、6時、タクシーで羽田。小雨がパラついていて、タクシーがなかなか拾えなかったが、反対方向の運ちゃんがUターンして乗せてくれた。空港まで、と言うと露骨にラッキー、という顔をしてはしゃぐことはしゃぐこと。

 JASの窓口でなをき夫婦と待ち合わせ、喫茶店でメシを食う。朝粥というのを試してみたが、シャケのオジヤみたいなもの。朝粥と言えば茶粥の梅干しだろうが。飛行機の中でまた仮眠とって、千歳着。こう毎日往復していると通勤客の感覚である。駅地下の弘栄堂書店で仕事の資料用の本を買い、さらに五番館西武(いまは五番館も取れてしまっているのか)でカレーパンやサンドイッチを買う。今晩は通夜で斎場に泊まり込みのため、明日朝の食事がまずかったときの用意。

 家にたどりつくと、親父はすでに湯灌されて棺の中に納められていた。お手伝いさん二人にK子、優子、留守番に来てもらった須雅屋の裕子さんなど、家の女性軍がなんかやたら盛り上がっている。各新聞に乗った親父の訃報記事を見る。北海道新聞の記事はなんと、『評論家・唐沢俊一氏、漫画家・唐沢なをき氏の父』と肩書されている。グレて店も継がなかった息子たちの父、などという評価では、“生きていたらさぞ怒るだろうねえ”などとよくわからないようなことを話して笑う。母まで含めて何か家中盛り上がっている感じである。豪貴の奥さんの優子さんが一番、喪家の人っぽ く、親父の棺の前で座っている。

 弔電、私の関係のところからも何通か。と学会からのものは、昔ながらのカタカナ文でのもの。逆に大変だったろうな。いかにも植木不等式氏らしいシャレである。その他、長男として立ち働かなければいけないことも多々、あるだろうが、とにかく体が自分のものでないくらいくたびれ果てているので、自家製のつけ麺のみ食べさせてもらって(これがベラボウにうまかった)、二階のベッドでしばらく寝る。泥のごとく、というのはこういう感じだろうという眠りだったが、2時間ほどして目が覚めると、なにか両目がムズ痒い。アレ? と思って鏡をを見てギョッとなった。左目の方は真っ赤に充血し、右目は白目の部分がゼリーのようにふくれあがってドヨンとしている。疲れがたまって、結膜炎になってしまったらしい。この目で告別式出るのか、と暗澹たる気持になり、母に言うと、“あ、いいクスリがある”と、すぐ出してくれる。さすがはクスリ屋の家である。タリビット眼軟膏とフルメトロン点眼液、いずれも親父がさしていたものの残り。こんなところで形見をもらうとは。それと、深海ザメの肝臓抽出油という、サメミロンのカプセル。これを飲む、のではなく、注射針でその軟カプセルに穴をあけ、中の油を直接、眼にさすのだという。“パパの結膜炎はこれで治した”というので、大丈夫かいな、と思いながらオソルオソルやってみた。すると! 驚いたことに、さして十分くらいで眼のイガイガがとれてきて、一時間半ほどで、あんなにひどかった白目のブヨブヨも、まぶたの充血も、すっかりひいてしまった。まさにドラスティックな効果である。まあ、もちろんタリビットなどが効いたのかも知れないが、これらのクスリ類は以前に試し済みで、ソンナに劇的な効果があった記憶はない。このサメアブラが効いたとしか思えない。大感服する。

 4時、迎えの車が来て、棺を抱え、霊柩車に乗せる。近所の人々が道路に出て、見送ってくれる。斎場は山鼻にあるてんぱん祈念斎場なるところ。家からは四○分ほどかかる。もっと近いところにすればいいにと思ったが、駐車場がある程度広い斎場という理由でここに決めたのだとか。親戚筋、どんどん到着。うちは親戚の少ない家で比較的ラクなのだが、これの多い家はたまるまい。東京からは小野の幸三叔父、栄一伯父、それから中田の秀生兄が三人揃い踏みでやってくる。一時にたまたま同じ飛行機で到着し、いままで三人でしたたか飲んできたというので、みんなすでに赤い顔。坂部の兄弟などに向かい大変な盛り上がり様で、特に栄一伯父と秀生兄は以前、ビジネスの件でモメたこともあるのに、意気投合、大気炎をあげている。

 会場の花輪をひとわたり見る。私がらみで出版関係十数社からちゃんと届いているのに驚く。OTCやFABコミュニケーションズ、井上デザイン事務所、ロフトプラスワンからまで届いていた(ロフトのは気の毒に“ロストプラスワン”と誤記されていた)。恐縮。なをき関係のところに至っては、ビッグコミックなどの担当編集が飛んでくるそうな。冠婚葬祭というものにいかにわれわれが疎いというか、無関心かということで、実際のところ、世間ではこういうつきあいを大事にしているのだねえ、と兄弟で話し合う。

 坊さんが来て、通夜の読経がはじまる。曹洞宗の葬式は実は初めてである。そもそもウチは以前は真言宗だったのだが、親父の兄が戦死したとき、ドタバタで間違えて浄土真宗で葬式を出してしまい、門徒で長いことやっていたのを、爺さんの死んだとき、正式なものに戻したのだが、この寺と金のことでトラブルを起こし、親父が“もうアンタんとことはつきあわんから!”と縁を切って(またウチの婆さんというのがこういうときに“おやめ、罰当たりな”などと言うどころか、“そうだともそうだとも”と息子を煽る女であった)、それからまたいろいろあって、一時お寺と縁が切れた状態になっていたのを、今回、親戚関係の縁から曹洞宗でお願いしたのである。かなり高位の住職らしく、頭巾をいただいて恭しく入ってきたのを見て、よしこさんが
「うわあ、即身仏みたい!」
 とヨロコんでいた。

 曹洞宗のお経というのはマカハンニャハラミッタの他は和訳したものを読み下すという感じで、有り難みが薄い変わり、意味がはっきりわかるのがなかなかいい。で、さも大事そうに金色の箱(ただしボール箱)の中に入っている、お血脈を取り出す。落語でおなじみの御印だが、実際に見たのは初めてであり、なをきと、ははあ、こういうもんか、大きいんだねえ、などと感心して眺める。焼香のやり方や順序などは、ネットの『今日の仏様』のサイトなどを読んでいたのでとまどわずにやれた。何でも役に立つものである。焼香にはじゃんくまうすさんはじめとする古本屋さんたちや、 AINのメンバーも来てくれた。深く御礼いたします。

 その後は葬儀委員長(北海道薬剤師会々長さん)の挨拶があり、われわれは控室に戻って通夜をすることになる。通夜は線香を絶やさぬようにする、とはいえ、そこは必要は発明の母で、最近は蚊取り線香のようにグルグルとウズを巻いた線香があって12時間保つようになっている(さすがに平ったいままではモロに蚊取り線香なので円錐状に渦を巻くような形にデザインされている)。仏様の枕元に蚊取り線香を置くと言えば田河水泡の『蛸の八ちゃん』にあるギャグで、親父が線香というとその話を持ち出していたなあ、と思い出す。なをきは高校時代の親友だった庄司くんが来てくれて、本当にウレシソウだった。

「まあ、飲んで楽しく話すのが供養だから」
 というお決まりの文句で、みんな勝手に飲んで雑談。ちか子さん(豪貴の実の母)は例によって心霊のオハナシ。K子が相手をしてやっている。母もいろいろ話して陽気に笑う。どうも、わが家というのはテンから湿っぽくなれない家であるらしい。母は最初は幸三叔父に、“栄一兄がまた恥ずかしい自慢ばなしなど始めたら止めて頂戴ね”などと言っていたのだが、その頼まれた幸三叔父が、何かゴキゲンに酔っぱらってしまい、“シュンイチ! おめエはエライよ! ウン、わしゃそう思っとるけんのう”と、各地の方言が混ざったわけのわからない言葉(会社員時代にあちこちの支社に溶け込もうと、転勤のたびにその地方の方言を勉強したマジメ人間である)でクダを巻き始めた。やたら握手をして回り、体をつねり、大声で“ウン、エラい!”とくり返す。私のおふくろというのがまた、こういう酔っぱらいというのが大嫌いなタチで、よく親父が酔っぱらったときにも“恥ずかしい、なによその酔い方は”などと説教していた。今回も、最初は“あら、嫌だ、恥ずかしいわねえ”とか言っていたが、叔父の酔い方が尋常一様でなくなってきたのを見て、とうとうたまりかねて
「あなた、ちょっとそこへおすわりなさい、今日はどういう席だと思ってんの」
 と談判しだす。いくら談判されても相手は酔っぱらいなのだからさっぱり要領を得ない。
「ねっちゃん、何を言うとるんじゃ」
「ねっちゃんとはなによ、どこの言葉よ、私たちは東京生まれよ!」
 というようなアリサマで、見ていて大笑いした。また、叔父の酔い方というのが、まるで絵に描いたようなというか、下手なシナリオライターがいいかげんに描写しました、という感じの、極めてオーソドックスな酔っぱらい方で、なをきやK子と、
「本当にこういう酔い方をする人がいるんだねえ」
 と、変な感心をする。なにせ、酔いつぶれてテーブルに突っ伏して歌う歌が、
「♪ベサメムーチョ〜」
 というのと
「♪ワ〜レハ〜ユク〜」
 という『昂』。この選曲が絶妙。二十年前のマンガである。つぶれたところで、みんなでかつぎあげて、部屋の隅まで運んで寝せつける。母はホンキで怒っていた。番頭さんからもらったヘネシーはじめ、備え付けの酒、かなり空ける。1時過ぎ、フトン敷いて、ゴロ寝状態。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa