裏モノ日記

裏モノ採集は一見平凡で怠惰なる日常の積み重ねの成果である。

27日

土曜日

なにをニュートリノ

 素粒子発見者も初期には世間の無理解に泣いた。朝8時起き。昨日は早めに就寝したので、今朝は早めに起きて原稿を書こうと思っていたのだが、8時まで目も覚めずにグー。疲労がかなり溜っているのか。カゲロー日記読むと、睦月さんもかなり疲れているようだったが、先日の飲み会ではほとんどそれを感じさせなかった。さすがだと思う。気を使う人はこれがつらかろう。私は平気で人前でも倒れる。夢を断続的に見た。出演者全員が同じ演目をやる落語会の夢、美人の弁護士秘書がボスの弁護士を計画殺人で殺す、アトクチのよくない火曜サスペンスのような夢。窓の外は大雪。これにくらべれば今年今までの東京の雪は耳クソみたいなもの。ちょっと驚く。朝食、茹でたソーセージとチーズをパンにはさんで。銀座Johanの黒五パンはちょっと癖になりそう。

 連載から先に、と、週刊アスキー。手許にあるブツで案外スラスラと出来るが、完成してメールした後、急にやる気がなくなる。エンターブレインNくんからも催促が来て、早くやらねばならんのだが、天候のせいか疲れのせいか、テンションが一向に上がらず。こういうときが一番苦しいな。

 K子には弁当に肉ジャガを作る。私は昼は実家からのカレーですます。御飯が少ししかなかったので、あとはカップの京風うどん。雪はやむことなく降り続けている。今月いっぱい、東京の交通事情がマヒするほどの降りになるかもしれぬ。ネットを少し回る。いまだ松沢呉一はHPで私との論争について、彼の極めて私的な視点からの独善的経過報告を書き散らしているようである。苦笑。私ばかりでなく、回りじゅうの人間をああまで低劣漢呼ばわりしてまで自分のプライドを守らねば平常な精神が保 てないという状態は、憫然きわまりないものがある。

 もう一度、海拓舎関係の資料を整理しなおす。私ならでは、というものがかなり集まっており、これに気をよくしてやっと手を入れ出す。あとはバリバリ。7時半まで断続的に書き続ける。昨日、うなぎ屋でK子に、“今年はまだ一冊しか本を出してない”とハッパをかけられた。まだ一月なのに、まだ一冊しか出してないと叱られるのは私くらいのものだろう。本を出しすぎる弊害ももちろんあるのだが、知り合いの作家さんが先日、書き上げて出版を待つだけの新作の、初版部数を減らされ、印税支払い日を延ばされてショックを受けていた。彼は人気作家なのだが、不況で出版社自体 がとにかく部数を減らしたがっているのである。こういう時代に、仕事を量でこなせ ないモノカキは生きていけない。それに、寡作の人の書いたものが珠玉 の本になるという保証は、どこにもありませんからな。

 仕事のあいまに、先日談之助さんにダビングしてもらった元気いいぞうの、田村真一郎時代のビデオを見る。全身からオーラを発しているような高座であった。天才とはこういう人を言うのか、と思うと、自分が天才でなかった幸を思うこと切である。以前、正狩炎からよく聞いた彼のエピソード(いきなりへらちょんぺの家へあがり込んで五日間も居続けをして、酒を飲ませろとゴネ、冷蔵庫から勝手にメロン出して一人で食い、帰るときに、“では、お礼に歌をうたいます”と七、八曲、放送禁止歌を連続して歌った、など)を思い出すたびに、天才は遠きにありて思うもの、としみじみ感ずる。

 8時、雪が雨に変わり、地面がジャボジャボの中、食事に出る。一階に降りたら、アベックがいて、“すいません、このマンションの一階にカフェがあると聞いたんですけど……”と訊いてくる。ザリガニ・カフェでしょう、ここからは入れませんよ、一旦外に出て……と教えたが、外は暗い。どうもこの雪で早めに閉めてしまったらしい。無理もない。溶けた雪が交差点のあたりで池になり、NHK角のところなど、底の横断歩道のマークが見えないほどジャボンジャボンと波立っていた。

 『船山』でK子と食事。それでも私らの他にもうひと組、お客が来ていた(帰ったあとで聞いたら牧伸二の奥さんと娘さんとのこと)。刺身盛り合わせ(ヤリイカが甘くてねっとりとして美味)、オックステールの角煮、それと天ぷらで御飯。テール絶品で、骨をしゃぶる。水上爆撃機のディフォルメみたいな、実に面白い形の骨が残る。持って帰って部屋に飾ろうと思ったが、雪がどうのこうのと話しているあいだに忘れてきてしまった。今日は船山、いつもの若い衆が風邪で休みをとっており、奥さんが手伝いに来ている。私のことをいつもラジオで知っているとのこと。“こないだも、ブリキのオモチャの番組に唐沢さん出ていて……”と言うが、何の番組か、私は記憶になし。雪、うまい具合にやみ、雨水のジャボジャボも大分引いて、なんとか無事に帰りついた。

 開田さん家の猫(すもも)、この大雪の日に永眠とか。これから雪の日のたびに偲べると思えば悪くない。焼いて深大寺に納めたそうだが、わが家の猫ももう十三歳、まだ老衰のきざしは見せてないとはいえ、死んだとき、うちは基本的にドライな家だから、ハテどうするのか。

Copyright 2006 Shunichi Karasawa