24日
水曜日
ギョーム連絡
アポリネールさん、アポリネールさん、いらっしゃいましたら。ちなみに、アポリネールのフルネームはギョーム・アルベール・ウラジミール・アレクサンドル・アポリネール・コストロウィツキー。朝8時起き。朝食、黒五パン(ゴマ・クロマメなど黒い色の穀物を五種類、練り込んだパン)にサーモン。果物はポンカン。
朝10時、部屋掃除のおばさんが来る。原稿を書く。ことえりの調子がどうもおかしい。“ないよう”と打っても内容という単語が出てこない。辞書にこの読みを登録してもダメである。仕方なく“ねいよう”と登録して出している。“さつえい”と打つと真っ先に“薩英”と出てくる。幕末ファンか、プログラマーは。メディアワークスから『キッチュの花園』の見本刷りが届く。内容通りキッチュ趣味極まる装丁は井上デザインの真骨頂。『鳩よ!』連載時、編集のNさんに“もっとデザインを派手に出来ませんか”と注文したのだが、“デザイナーさんが文芸関係専門の人で、どうしてもおとなしめになってしまうんです”とのことだった。そういう不満がやっとここで解消された。中もスゴイよ。早ければ来週から書店に並ぶとか。
一日中部屋にこもって原稿書き。けど進まず。寒いせいもある。肩が冷えから凝ってくる。血が滞るようで、昼飯(掃除のおばさんの作ってきてくれた洋風巻寿司)を食べると、急激に眠くなる。ちょっと横になると、落ち込むように眠ってしまう。バイタルなパワーがほとんど体にない。夕方あたりから、やっと調子が出始める。
資料などを読む。秦豊吉のことを調べようと、徳川夢声の『いろは交友録』を読んでいたら、別項で、宮田重雄が戦後のNHKラジオが『二十の扉』の放送を始めるとき、そのレギュラーを頼まれて、夢声に果たして出たものであるか、と相談にきたという話があった。そのとき夢声は“これからの世の中は看板だ”と言い、ぜひ出るべきである、と即断して勧めたという。古川ロッパがNHKの出演料は安いからと嫌がり、テレビのレギュラーも撮影がキツい、と降りて(まあ、病気もあったろうが)、戦後に人気が凋落したのに対し、戦後の夢声が水を得た魚のような大活躍が出来たのは、この“これからの世の中は看板だ”という意識を持っていたことが大きい理由だと思う。
7時に芝崎くん、来る。先日コピーして渡した日記フロッピー、彼のマックワードではバージョンが古くて読めないということで、DOS―V用のものに改めてコピーする。コピー待ちの間に、成功するライター、しないライターの実例をいろいろと教える。ロフトの斎藤さんから電話。岡田斗司夫は、例のやまけんとかオタッキー佐々木とかとオタクアミーゴスのバトル対談企画に出る気はないそうです、とのこと。柳瀬さんによれば、岡田さんから直接お二人にはそう連絡行っているとのことですが、と言われるが、何にも聞いてない。まあ、岡田斗司夫らしいが。
その件の確認でオタクアミーゴスパティオをのぞいたら、角川春樹事務所から文庫化される『オタクアミーゴス!』、元本出版社のS社が図版を全部紛失しているので撮影しなおす必要がある、という眠田さんからの書き込み。パソコンやゲーム関係の出版社にはよく、原稿を保管しておく、という観念自体がないところがあるので注意が必要と聞いていたが、まさに、という感じ。あのころの物件で、今はもう手許にないものもあるし、どうしようかと思ったが、前後して春樹事務所のNくんから来た、再撮り必要なブツのリストを見たら、あるものばかりだったのでひと安心。
8時半、K子と夕食にパルコ7Fの紗舞里。同じ階にある軽食レストラン、これまでディスプレイしていたアンティークグッズ類、販売もするようになったらしく、いろいろ店の外に並べられている。おまけに、一般の古オモチャ屋より幾分安い。メキシコの古マンガ雑誌一冊と、アメリカ製の、声の出る電卓を買う。